これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

生涯無子率・未婚率上昇☆今や家族はリスク・重犯罪者を身内から出したら人生終わり

家族や周囲からの愛や承認を得られず、劣等感を募らせ、それが社会への異常な憎悪へとつながる――それが引き金となって起きるのだろう『無差別殺傷事件』から、家族を持つことのリスク、子を持たない人・結婚しない人が増加していることについて、より良く生きるにはどうしたらいいのか、考えてみた。

目次じゃ!

家族を持つのは高リスク?

犯罪者を育てた親の責任

『のぞみ新幹線車内無差別殺傷事件』の加害者について――「発達障害精神疾患があり、中学時代から親元離れ施設で育ち、後に両親は親権を手放し、母方祖母と養子縁組し、祖母と暮らしていた」という家庭環境が報道された。
息子に暴力を振るわれ、親は教育することを放棄したらしい。

父親の加害者息子と事件に対するインタビューの受け答えが『無責任』『他人事』のようで、ネットではかなりの非難を浴びていた。母親のインタビュー記事も同様。

確かに父親の受け答えは相当に違和感があった。もしかしたら父親も発達障害(コミュ障害)なのかもしれない。

でも、加害者家族を叩く人たちって自分には必ず『まともな子』が生まれると思っているのか? それともどんな子でも育てられる自信があるだろうか。
もちろん被害者は気の毒であるが……。

これから加害者側家族もプライバシーを暴かれ、連帯責任を求めるかのように厳しい制裁が加えられ、社会から爪弾きにされるのだろうか。

秋葉原無差別殺傷事件では加害者の家族は離散。父親は職をなくし生活保護暮らし。母親も精神を患い生活保護暮らし。弟は自殺した。

こんな考えの人がいた。
https://twitter.com/Ankitsukai/status/1005785596923559937より編集転載

秋葉原通り魔事件は加害者の加藤智大さん目線で考えると、完璧な形で復讐を遂げていると感じます。

社会への恨みを通り魔殺人にして発散して、逮捕後に恨みの元凶とも言える家族は崩壊、特に確執のある弟はマスコミの執拗な取材で心身衰弱、恋人にも見捨てられ、ついには自殺しています。

加藤智大さんが一番恨んでいたのは家族ですが、一番恨んでいたからこそ、時間を掛けて深く苦しめる必要があって、その意味では、加藤さんの犯した通り魔事件は、憎むべき家族に「前代未聞の凶悪殺人犯の家族」のレッテルを貼って一生苦しめる事が出来る、復讐としては最良の手段だったのだと思います。

もし今回の新幹線車内殺傷事件の加害者が自分の家族を恨んでいたとしたら、最大の打撃を与えることができた。復讐は大成功ということになる。

家族への復讐は、殺すことではなく、社会から制裁を与えてもらい、地獄へ道連れにすることかもしれない。

家族って『愛』を得られる代わりに『憎悪』も育ちやすい。地獄を見る可能性もある。

今の日本で起こる殺人事件の55%が「親族間殺人」だという。

※関連著書

「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)

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子供の死を祈る親たち(新潮文庫)

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母親やめてもいいですか

母親やめてもいいですか

毒親

以前、絵本作家・のぶみ氏の「わたし、お母さんだから」の詩が、母親のみに子育ての我慢を強いる内容だとして炎上した。

世間の正義は――父親も含め、親は子のために己を犠牲に当然であり、もちろん子に見返りも求めず、無償の愛を注がなくてはいけない、ということになっている。

親が「これだけ我慢しているのよ」と子に恩を感じさせてしまうことも「虐待」だという。子に何かを強制したり、強要したり、要求したりするのもNG。毒親扱いだ。

虐待の定義が、セクハラの定義と同じく広がっている。

そもそも『我慢』『犠牲』などと思う段階で親の資格なし。それほどに親になるということは厳しく、覚悟が問われるものなのだろう。

もはや親は誰にでもできるような仕事ではない。

子に対し強制・過干渉もいけないが、放置・放任もいけない。バランスの良さが求められる。バランスの悪い人・偏っている人は親業には向かない。

「子どもは欲しくない」「育てる自信がない」という人が増えるのは当然。

子育ての失敗(子が犯罪者になってしまうなど)は、被害者側を巻き込んで、大きな不幸を生む。

子を持たない選択をした人はさほどの地獄を見なくていいのだ。恋愛ができない・結婚ができないなどの不幸なんて大したことではない。

そもそも恋愛できない・結婚できないのはコミュ力や人間関係を構築する能力が低い可能性があり、そういう人は『厳しく難しい子育て』に向かないかも。

子とのコミュニケーションが上手くいかない、関係を上手く築くことができないなんて、いい親になれるはずがない。

とにかく、子を持つということは、就職や結婚とは比較にならないほどの『非常に難しく責任重大なこと』である、少なくとも今の日本社会では。

どうしても子育てができない、育てる自信がない、子と離れたいという親のために児童養護施設を充実させ、親から捨てられても子は幸せな環境のもとで成長できる、それを許す社会になれば別だろうけれど、そうはならないだろう。

無責任な親を日本社会は絶対に許さない。そんな人は最初から親になってはいけないのだ。

※婚外恋愛=不倫を我慢できない人、子よりも恋人を優先してしまう人も親になる資格ないかも。たとえば、国会議員の山尾しおり議員は夜も家に帰らず、子と過ごすよりも恋人である倉持弁護士と過ごす方を優先した。倉持弁護士も同様。そして家庭を壊し、子から母親を奪う形となった。その後、山尾議員も離婚。双方の家庭を壊す結果となった。自身の欲望を封じ込め、子を最優先する生き方ができる人は意外と少ない?

生涯無子率

興味深い記事があった。その内容は――

『2015年時点でも、男の36%、女の27%は生涯無子で終わる』

『結婚しても1割の夫婦は子どもを生まないまま生涯を終える』

『男の生涯無子率は現在3割だが、2035年には4割を超える。女の生涯無子率も2035年には3割を超える』

2035年には、男の生涯未婚率が30%に達する。男の4割が生涯子どもを持たずに死ぬ』

なお、男女で未婚率が10%値が違う理由は、未婚者人口が男の方が300万人以上多いことと、再婚男が未婚女と結婚する率が高いことによる。

――とのこと。

何度も繰り返すが、子どもを育てるのは本当に大変。親は相当の資質を問われそう。なので、親になる資格がある人って実はそんなに多くないのでは、と思う。

子は強制的にこの世に生み出されてしまうわけで、親は子へ全責任を負わなくてはいけない、今の日本社会ではそれが正義となっている。

それでも毒親、虐待親が後を絶たない。

少子化を嘆くよりも、まずは今そこにいる不幸な子を救うことにエネルギーをかけたほうがいい。日本全国、子が少なくなれば、子に対する社会のケアはもっと手厚くなるだろう。

生涯未婚率上昇

子を持たないのであれば、結婚する意味もうすくなる。

実際、生涯未婚の人が増え、近い将来、男性では3割、女性では2割に達するという。3割超えると社会の中で市民権が得られ、発言力も強くなり、ごく普通=健全なことと認識される。

そうなれば、未婚者や子のいない人は、不幸感を持たずに堂々と生きていけるようになるし、世間から今ほど負け組扱いされずに済み、本当の意味で一つの生き方として認められるようになる。

現在は残念ながらそこまではいっていない。「かわいそう」「人間として負け・失格。どこか偏っている」といったような、どこか『不健全の烙印』を押される。

世間の価値観(家庭がある人が幸せ、勝ち組という考え方)を全く気にせずに生きていける人は増えているけれど、まだ少数派。

けど、自分が果たして本当にそれ(結婚・家庭・子ども)を欲しているのか、自分に合っているのか、より無理なく不幸や疲労を感じないで済むのはどっちの生き方か、世間の価値観に惑わされず、じっくり自己分析したほうがいいかも。

そうそう、こんな記事があった。

一部編集転載。

もともと日本人は未婚も離婚も多い人々。江戸時代から明治初期にかけての離婚率に関して言えば、当時の世界一。

17世紀くらいまでは日本の農村地域は未婚が多く、結婚して子孫を残すというのは身分や階層の高い者に限られ、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人が多かった。

1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚。

農村よりも未婚化が激しかったのが江戸などの都市部。幕末における男の有配偶率を見てみると、現代の東京の有配偶率よりも低い。

昔も『結婚できないのが普通』だった。で、離婚も多かった。家族主義は上流階級の価値観であり、一般庶民は自由だったようだ。

独身男性であふれていた江戸時代、最も栄えたのが食産業なんだとか。そして風俗(吉原)、コスプレなど今に続く文化を量産していたようだ。

なので独身者が増えるのはそう悪いことではなさそう。

ネガティブ結婚イメージ

3組に1組が離婚する時代。とはいえ、婚姻関係を解消するのは簡単ではない。

けど、努力に努力を重ね、時間とお金をかけ、やっと手にした家庭ならば、お互い大事にしようとするかも?

あるいは、こんなに努力してエネルギーをかけて手にしたのに、思ったほど幸せ感を得られない、こんなはずじゃなかった、となるのかもしれない?

結婚後のほうがずっと大変なので、婚活程度の努力で「大変だ、疲れた」と思うようなら「結婚生活や子育ては無理」「結婚・子育てには向かない」などという厳しい意見も聞かれる。

というか、そこまで結婚が大変で耐え忍ぶものであるとするなら「自分には無理。自信ない。向かない。やめておこう」という人がいて当然。

子育てしながら仕事をするって、やはり相当に運に恵まれ(子どもが健常で、さほど問題を起こさない、聞き分けがいい、病気がちではない、など)、体力がないと務まりそうにない。休む時間なんてほとんどない。

こんな余裕がない生き方に幸せを感じない人もいるだろう。ラクにのんびりいきたいっていう人だって、けっこういるはずだ。

世間がお勧めする勝ち組的生き方は、実はかなり大変で難しい。無理ゲーってやつ。

なので、ここんとこ空気がちょっとずつ変わってきた気もする。結婚についてネガティブなイメージの話題が目につくようになった。 

↑この記事でも触れたけど、イクメンを求められる男性も相当、お疲れのようだ。話題になった『あまり幸せそうではない牛乳石鹸PR動画に登場したパパ』の姿といい、『家族=幸せ』の図式に疑問をもつ男性も増えていることだろう。

いや『家族=幸せ』どころか家族が最大の不幸を呼ぶケースも。

『元きらぼし銀行員の夫が育児疲れの妻を殺害した事件』を思う。子育てがネックとなって家庭不和となり、夫婦共々精神的に追い込まれ、おかしくなってしまったのではと推測。

激務の中でイクメンできる男性は少ないだろうし、だからといってワンオペ育児を耐えられる女性も少ないだろう。子育てを甘く見て、安易に子を持つと大変だ。

この夫婦の場合、子を持ったことで最大の不幸を招いてしまった。そして一番の犠牲者は子。子から見たら、母は殺され、父は母を殺した犯罪者だ。

家族は助けてくれない?

男女ともに「結婚したい人」って結婚に幸せや安定を求めたりする。
で、困難が訪れた時、お互い、助け合えると思っているだろうけど――

朝日新聞AERA記者のツイートでこんな発言を見つけた。

https://twitter.com/i_tkst/status/790048349277728768より
「障害児のいる家庭は、離婚率が健常児世帯の6倍」

やはり、子どもを持つ前に、夫婦で覚悟を確認すべきかも。
障害児が生まれても、育てる自信があるのかどうか。(発達障害児は15人に一人の確率と言われているが、グレーゾーンが広く、実際はもっと多いかも)

本当なら夫婦助け合っていかなくてはいけないのに壊れてしまう――これが現実の厳しさ。

子どもの問題だけではなく、夫婦のどちらかが病に倒れた時、離婚するケースもけっこう聞く。

「麻央さん、海老蔵さん夫婦はレアなケースか」
http://president.jp/articles/-/20331?page=2より一部転載。

夫婦愛が強くなければ、どちらかががんになった場合、闘病もサポートもうまくいきません。お金がかかり、精神的に追い詰められることが多いからです。

サポートする人のなかには、「わが家がやすらぎの場でなくなった」と感じる人もいます。

闘病生活を送るほうもパートナーの愛が感じられないサポートでは、不満、不安が募るばかりです。闘病だけでも大変なのに、これでは生き地獄のようなものです。

実際、夫婦のどちらかががんになると、夫婦の関係も悪くなるのは、決してめずらしいことではありません。ですから、夫婦で健康に気をつけるだけでなく、夫婦の愛を築いていくことも忘れてはならないと思うのです。

私の場合、妻と結婚できたのは幸せだと思っていますが、それでも限界を感じることがあります。ときには妻に対して、心ない発言をしてしまうこともあります。

批判を承知で書かせてもらうと、娘は私や妻のようなリスクを負わないよう、結婚をしてほしくないと思っているくらいです。若い頃からひとりで生きていく覚悟を決め、生涯の仕事を見つけて健康に気を使いながら生きていくほうが幸せに思えるからです。

結婚できない者が劣等感を募らせるのも、結婚に幸せイメージを持っているからだろう。
けど、幸せになるには、相当の努力が必要。恋愛相手や結婚相手を見つける以上のものすごい努力が。

で、もちろん運も必要だろう。というか『運』が一番の要素かも。

病気や子どもの障害など、あまりに大きな困難にぶち当たってしまうか、そうでないか。まさに運。
夫婦で助け合って、というのは理想だけど、大きな困難を前にして壊れてしまうことも多々あるだろう。

結婚したことでかえって不幸になる人もいる。もはや闘いじゃの。

※藤沢数希氏の著書『損する結婚 儲かる離婚』の影響か、「コンピ地獄」という言葉もポピュラーになりつつある? ちなみにコンピ=婚姻費用は、夫婦関係が破たんしていても、婚姻関係が書類上続いている限り、収入の多いほうが、無収入・低収入の配偶者へ、生活費を負担しなくてはいけないルールになっている。

損する結婚 儲かる離婚 (新潮新書)

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 ――とネガティブに語ってきたけど、もちろん結婚し家庭を持ったことで幸せな人生を手に入れる人もいるだろう。

『これも何かの縁』の四条静也と理沙はそこそこ幸せに暮らしているぞ。

ただ、結婚・家庭を持つことで幸せを手に入れられるかどうかは――『合うか合わないか』そして『運』なんだろうな。

※四条静也と理沙って誰? という方はここをどうぞ↓

※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓

不幸を回避するには

『幸せ』ではなく『やりがい、楽しさ、心地よさ』を求めよう

↑この記事でも取り上げたけど改めて、婚活を描いた小説「幸せ嫌い」(平安寿子)で印象に残った言葉を紹介しておこう。

以下「幸せ嫌い」より引用。

【人生って苦しいことの連続よ。幸せじゃないのが普通なのよ。それなのに幸せを求めるから不幸になる。不幸にならない唯一の方法は、幸せを願わないことよ】

幸せ嫌い (集英社文庫)

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幸せ嫌い

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ただ……幸せを願わない生き方なんて、ちょっち味気ない。

『幸せ』を求めるのではなく、自分にとっての『快感、やりがい、楽しさ、心地よさ』を求めるほうがいいのかもしれない。

『幸せ』って、とても曖昧なもの。で、世間の価値観に惑わされやすい。

――いい歳の未婚者が「私、幸せです」と言うと、「無理しちゃって」「負け犬の遠吠え」と茶化される気がするので言いづらい。

反対に、家族(子ども)を持っている者は「私、不幸です」とは言えない。
言ったら「子どもがいるのに不幸とはどういうことだ? 子どもがかわいくないのか」と責められ、鬼畜扱いされそう。

『幸せ』って世間にジャッジされやすい。

ノーリスクはありえない・リスクを考えて選択するしかない

ノーリスクの人生は不可能じゃ。

要するにリスクを理解し、起こりえるリスクに対処できる自信があるのか、責任が取れるのか、覚悟を持って行動すればよいのでは、ということ。

たとえば『結婚すること』『子どもを持ち育てること』。

漠然と『結婚すれば幸せになれる』『子がいれば幸せになれる』と思って、実際に結婚したり、子を育ててみれば「こんなに大変とは思わなかった。自分には耐えられない」「こんなはずじゃなかった」と痛い目に遭うかも。そう簡単に縁を切れない=逃げることができないので、上手くいかない場合の不幸度は大きい。特に子育ての責任は重大。

リスクをとらない=何も得られない。

リスクは大小あれ、何にでもついてまわる。ただ「リスクを最小限に抑え、できるだけ安全に」「大きな責任は持たずに気楽に暮らす」という生き方もあり、それは『悪』ではないという話じゃ。

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