これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

地味キャラはどうしたらいいのか~☆「通りすがりのあなた」はあちゅう氏の小説内での童貞弄り☆リンクする恋愛工学と村田沙耶佳の世界

はあちゅうさん初の小説作品集『通りすがりのあなた』より『友だちなんかじゃない』、そして恋愛工学小説『ぼくは愛を証明しようと思う』、クレイジー芥川賞作家・村田沙耶佳作品を語ってみる。

……ってどういう組み合わせじゃ……。これらの作品同士は、あんまり関連がない気がするが、一緒に綴ることにする。

以下、ネタバレ注意。

『通りすがりのあなた』作家はあちゅう氏が描く地味キャラ

まずは、はあちゅうさんの短編小説集『通りすがりのあなた』について。

通りすがりのあなた

通りすがりのあなた

 

この短編集の中で、一番印象に残ったのは『友だちなんかじゃない』だ。

ちょいとスクールカーストを思い出させる話で――
ランクが下位の『容姿がダサく地味な友だち(ちなみに女)』がうざい、寄ってこないでほしい、ひっそりとしていればいいのに、あなたなんて友だちなんかじゃない=私(主人公)のランクに合ってない、というような描写が刺さる。

はあちゅうさんもよくステージ=ランクの話をしているっけ。

言い方は悪いが「ランクが下の人間とはつきあうな、切り捨てよ、上位の人間がいる世界を目指せ」と。

これは何も、はあちゅうさんだけではなく、上昇志向の強い人はそう思っているだろう。ランクが下の人間とつきあうと成長しない、引きずられて自分も落ちてしまうし、上位のステージに進めないから。

何を持って『ランク』が決まるのか――年収や学歴や職、周りにいる友だちのステータス、および彼氏彼女のステータス、いろいろなジャッジ要素はあるけれど、容姿および地味でダサいか、華やかでおしゃれでセンスがいいか、ということも問われるようだ。

あ、そうそう、梅木雄平氏によると、女の価値(ランク)はバッグで決まるらしいな。

(ちなみにワシは最低ランク♪ 地味の中の地味女。当然、バッグもブランド品は持ってないぜ。エルメスは聞いたことあるが、セリーヌは知らない。梅木氏によるとブランドが分からない『教養のない人間』じゃ。哂うがよいぞ。あなたが勝ちじゃ)

そんな地味キャラ・ブサイクキャラが忌み嫌われる話といえば、有川浩氏の『別冊図書館戦争2』が思い出される。

別冊図書館戦争II (図書館戦争シリーズ 6) (角川文庫)

別冊図書館戦争II (図書館戦争シリーズ 6) (角川文庫)

 

こちらの『別冊図書館戦争2』に登場する『地味キャラ(女性)』は皆からバカにされながら落ちるところまで落ち、ひとかけらの幸せも与えられなかった。しかし地味なので存在もすぐに忘れ去られるというオチ。完膚なきまでに惨めなまま終わった。

が――はあちゅうさんの『友だちなんかじゃない』は、もうちょい優しい。
その『地味でウザい友だちもどき』は周りの空気が読めないけれど、性格はいいのだろう、実に親切だ。
最後、主人公はその地味な同級生の存在を認める。「友だちじゃないけど、忘れない」と。

うん、作家性って、こういったところに現れるよな。

つまり、キャラの扱い方――どういった性格・性質のキャラを、どう描き、どういった結末にするのか――作家の考えや性格が大いに作用する。

はあちゅうさんについては、童貞弄りの件などで「地味な人やモテない人を見下す人」というイメージを持ったが――

地味キャラ・不細工キャラを雑にあつかった作家・有川浩氏や椰月美智子氏より、はあちゅうさんはずっと優しいと思う。

恋愛小説 (講談社文庫)

恋愛小説 (講談社文庫)

 

たしかに『友だちなんかじゃない』では、モテなさそうな男子キャラを「だから童貞は云々」と見下したり、おしゃれのセンスがない不美人な地味女子キャラに対する主人公の言葉はキツイものもあった。

が『別冊図書館戦争2』や『恋愛小説』に見られた徹底的な底意地悪さはない。

かく言うワシも『地味キャラ』だ。なので物語上の地味キャラが気になるのだろう。

ちなみにワシの場合、快適さを追求するためラクな格好でいたい。ラクであることを優先している。となると必然的に地味にならざるをえないのじゃ。
華やかさを演出するって疲れるし、体的に健康を害する。細く見せようと体をしめつけたり、化粧やネイルで肌や爪を傷めたり――おしゃれとは、不便・不快さとの闘いだ。そんなおしゃれが楽しいという人もいるが、ワシはただただ面倒で楽しくない。

※ちなみに肌はちょっとでもこすったりすると毛細血管が傷つき、その刺激でシミが増えるから要注意。マッサージなんてとんでもないぞ。乾燥と紫外線にだけ気をつければよい。

あとは地味でいることで、他者から哂われてもバカにされても虐められてもいいか、という問題が残る。

そこで不愉快な思いをしたり傷つけられたりして、かなり損をする・心が病むとなると、不便・不快さを我慢して装うしかないが、そもそもそんなことで哂ったりバカにしてきたりする人間からは離れたほうがよい。

ま、学校のクラスなど閉鎖された場にいると、そういうわけにはいかなくなるが――とにかく逃げるが勝ちじゃ。

基本、世間が良しとする価値観から背くと、嫌な目に合う確率は高くなる。同調するか、我が道を行くか――どっちがより自分にとって幸せか、快適か、だよな。

地味キャラはどうしたらいいのか

ワシの若い頃は今ほどには『明確なランク付け・カースト』はなかったが、友だち(いや、今思えば友だちではないが、ぼっちにならないようにしていた)に雑に扱われたこともあったりした。ドタキャンすっぽかし、おいてけぼり、などなど。

こんな地味キャラはどうしたらいいのか。

うむ、地味キャラは、得意なことや好きなことを見つけ、ひたすら腕を磨くのじゃ。
それがなきゃ、読書もいい。特に伸び盛りの10代という時は貴重だ。

ぼっちを恐れなければ、そこそこ快適に過ごせる。嘲笑や悪口など実害のないイジメは気にするな。

もち、それが難しいのは分かる。でも、それこそ、あなたを雑に扱う友なんぞ『友だちなんかじゃない』

ワシも今なら、堂々と一人で行動するし、なまじ他人と一緒だと気を使うので、一人のほうがいいとさえ思う。

んで不思議なことに「一人のほうが気楽でいい」と思うようになると、他者に雑に扱われることがなくなった。

これって、恋愛工学の『非モテコミット』に通じるよな。
追いかけると、雑に扱われ、見下されるものなのかも。

つまり『友だちもどきの尻』など追いかけないほうがいい、ということじゃ。

非モテコミットとは、一人の人間にフルコミット=執着しに尽くしてしまうことで、かえって軽く雑に扱われてしまうこと。

※恋愛工学についてはこちらを参照。

 恋愛工学『ぼくは愛を証明しようと思う』の続編を希望するなら

ところで、恋愛工学といえば『ぼくは愛を証明しようと思う』だけど――これについても少し語っておこう。

内容は――『非モテのわたなべ君』が『恋愛マスターの永沢さん』と知り合い、女の子たちをナンパしまくり、モテを目指す。やがて一人の愛する女性にめぐり会うが……という話。

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 
ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

 

※コミックも全3巻

『ぼく愛』について、一部の恋愛工学生は、続編=『主人公わたなべ君のその後』を期待していたようだけど、ワシは『恋愛マスターの永沢さん視点の話』が読んでみたいよなあ。

わたなべ君は普通といえば、ごく普通の人。平凡。なので印象に残らない。最初は地味キャラとして描かれているようだけど、決して下位ではない。中位。

わたなべ君よりも、彼を指導していた『恋愛マスター・永沢さん』のほうがキャラとして奥が深そうだ。

※やっぱ永沢さんは、作者である藤沢さん自身を投影したキャラなのだろうか。

永沢さんが主人公だと、今までにない『科学的・合理的な考えの下に生まれる冷徹な恋愛物語』が誕生するかも。『人間なんて所詮こんなもの』という冷笑・皮肉がちりばめられた、感情・幻想におぼれることが一切ない『新しい恋愛もの』。

って、それって恋愛なのか??? とツッコミ入りそうだが、「そもそも恋愛とは何か?」ってことを考えさせられそうじゃ。

そこにちょっとサイコパス的なものが入れば『芥川賞作家・村田沙耶佳テイスト』に近いものになるかも。

クレイジー村田沙耶佳の世界

村田沙耶佳氏は「世間の価値観から大きく外れた異常者ともいえる人間」を描くのが得意。『普通・正常・良識』に対するアンチテーゼ的なものを書く小説家だ。
よって『普通の人たちが良しとすることに共感できない人・価値観から外れた生き方や考え方をする人』を主人公にすることが多い。 

消滅世界

消滅世界

 
殺人出産 (講談社文庫)

殺人出産 (講談社文庫)

 
タダイマトビラ (新潮文庫)

タダイマトビラ (新潮文庫)

 
タダイマトビラ(新潮文庫)

タダイマトビラ(新潮文庫)

 
タダイマトビラ

タダイマトビラ

 
コンビニ人間

コンビニ人間

 

コンビニ人間』で芥川賞をとった。

主人公は恋愛経験はなく、普通とされている感情が欠落している36歳の独身女性。世間の価値観からずれているというか、全く別世界にいる人の話。一般の人たちとの共感力のなさから『サイコパス』扱いされてしまうのだろうか、アマゾンのレビューには「主人公はサイコパスのような、この世に生まれたはいけない人間」という恐ろしい感想まであったようだ。(その意見に共感したのか、たくさんの「いいね」もついたようで)

ま、いいんじゃないですか、たぶん主人公のような人間は、結婚せず子も持たないだろうから、そこで淘汰される。サイコパス性質を受け継ぐ子孫は残らない。

いやいや、ナチス思想を否定できないね。自分とかけ離れている価値観を持つ人間を嫌う。それが人間の性なのだろう。その自分とやらが世間一般の多数派に属していればいいよね。

※オタクが嫌いな上野千鶴子氏も『平和に消えていってほしい(淘汰されて欲しい)』とナチス発言をされていたことを思い出すぜ。

ちなみにワシが好きな村田沙耶佳作品は『しろいろの街の、その骨の体温の』じゃ。主人公の心情とリンクさせた街の風景描写が素晴らしかった。そして、この作品は性的なものを扱いつつ、サイコパス的なものもクレイジーさもなく、読後感も良い。村田沙耶佳にしてはめずらしい……。

しろいろの街の、その骨の体温の

しろいろの街の、その骨の体温の

 
しろいろの街の、その骨の体温の

しろいろの街の、その骨の体温の

 

 では、村田沙耶佳氏の『消滅世界』についても語っておこう。

 『消滅世界』では婚外恋愛が当たり前で、藤沢数希氏および恋愛工学生にとっての理想世界が描かれていた。

婚外恋愛はするものの、結婚相手とは『交尾』はしない。結婚相手は家族であり、家族と交尾することは近親相姦みたいなものとして、忌み嫌う。
従って、子をもうける時は体外受精をする。

※『消滅世界』ではあえて『交尾』という言葉が使われている。

また、平等を良しとし、格差を嫌うリべサヨの理想も描かれていた。
『消滅世界』では、子どもを平等に育てる特区が作られるのだが――くじ引きで、卵子精子の組み合わせを決め、これまた体外受精で生ませるのだ。
特区の住人、男性を含め皆が『おかあさん』となる。

よって子どもたちは公=『平等な環境』の下で住民ら皆で育てる。貧富の格差もなく、虐待もない。
皆が「おかあさん=親」なので、誰かに負担が偏ることがなく、育児に疲れることもない。おかあさんだからおとうさんだからと個々に責任を負わなくてもいい。

家族が解体され個が尊重される――村田沙耶佳の『消滅世界』ではそんな世界が描かれおり、結婚しても自由に婚外恋愛を楽しみたい=一夫一婦制の婚姻制度に懐疑的な恋愛工学の何歩も先を行っている。

そんな作品を書く村田沙耶佳氏は周りの作家(朝井りょう氏など)から「クレイジー沙耶佳」と呼ばれているらしい。外見はふんわりしたおとなしい感じのお嬢さんに見えるけど。

そんな「クレイジー沙耶佳」に対し――『通りすがりのあなた』の中の一編『友だちなんかじゃない』では、はあちゅうさんの童貞弄りが熱く描かれており、ワシの中では「童貞弄りのはあちゅうさん」という呼び名が定着しつつある。

はあちゅうさんといえば童貞弄り、童貞弄りといえばはあちゅうさん、だ。

まとめ

ということで――『ぼく愛』『消滅世界』に較べると、『通りすがりのあなた』は気持ちよく読める話であり、普通に共感できる。小説を読み慣れていない人には読みやすい。
逆に小説を読み慣れている人からみれば、ちょいと物足りなさを感じるかもしれないが、はあちゅうさんに興味ある方にはおすすめだ。

短編集『通りすがりのあなた』の主人公たちは、感情におぼれることなく、自分を見失うことがない。相手にすがったりせず、過剰に相手に入れ込まない、執着しない(=こういったところは恋愛工学に通じるよなあ)――そんな主人公たちは、やっぱ『こうでありたいという誇り高いはあちゅうさん自身を投影したキャラ』のように思う。

はあちゅうさんが次にどんな小説を書くのか、気になるぜ。

※地味キャラ・ブスキャラが雑に描かれた小説についての記事

 ※はあちゅうさん関連記事 

☆短編連作物語『これも何かの縁』にも「自分よりランクが下の同級生とはつきあいたくない」「自分のランクを守りたい」というイジメをからめた話があります。