鯉づくしの端午の節句―四条カップルの地味で豊かなGW
『仕事にしろ趣味にしろ情熱燃やせる好きなものがない人』=『家族・子どものことを最優先できる人』こそ結婚・子育てに向いているかも、と思う今日この頃。
ココに登場する四条カップルはそんな感じ。仕事は『生活する上で必要なお金を安定的に得る手段』であり、趣味も情熱を傾けるほどのものはない。地味といえば地味な二人である。
ということで――ゴールデンウィーク、どこにも出かけず(近所を散歩する程度)地味に過ごす四条静也と理沙カップル。
端午の節句(由来、歴史)、柏餅、ちまき、鯉のぼり、菖蒲湯に関する雑学満載。
では、以下本文。
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待ちに待ったゴールデンウィーク。
すっきりした青空、若葉の瑞々しい緑、咲き乱れる花々――初夏の陽を浴びて風景が鮮やかな色をまとい出す季節。
四条夫婦の予定は特にない。
静也は人であふれる混雑しているところは好きではないし、理沙も妊娠中とあって、連休はまったりと家で過ごしていた。
連休1日目と2日目はたまっていた家事をやり、近所の図書館に行ったり、貯めていた録画やレンタルDVDを観たり、いつもの休日と変わり映えなく――
3日目の今日も寝坊をし、遅い朝食を摂っているところだ。
そう、ゆっくりと朝食を味わえるのも休日の醍醐味のひとつ。
今朝のメニューは、スライスした新玉ねぎにシーチキンを散らしたサラダ、マイタケとシメジ入りスクランブルエッグ、バナナ、生乳と食塩だけで作られたチーズ。そして最近、理沙がはまっているクルミパンだ。
飲み物は牛乳か100%果汁還元オレンジジュース。冷蔵庫からパックごと出し、その時に飲みたいほうを各自コップに注ぐ。
こうした栄養に富んだ朝食を終え、汚れた食器を運び、テーブルの上に出ていたドレッシングやバター、牛乳とオレンジジュースのパックを冷蔵庫に片づけながら、静也は残りの連休の過ごし方について考えていた。
「やっぱ5月5日の子どもの日だけは、ちょっとしたお祝いしたいよな」
端午の節句は、昔から男の子の健やかな成長を願う日として日本に根づいてきたが、昭和23年に『子どもの日』に制定され、男女関係なくお祝いする日となった。
静也は、理沙のふっくらと目立ってきたお腹に目をやる。
早ければ、妊娠4か月半で男女の判別がつく。
男の子だったら、ぜひとも端午の節句を盛大に祝い、兜や五月人形を飾り、鯉のぼりでも掲げたいところだが、残念ながら性別はまだ分からない。それに――
「うちは狭いマンションだからな。ベランダでオモチャの鯉のぼりを飾るのがせいぜいか」
「そういえば、小耳に挟んだんだけど、稲荷神社の向こう側の農家のお宅、広いお庭に盛大に飾っていて、一見の価値があるそうよ。見に行ってみる?」
皿洗いを終えた理沙はタオルで手を拭きながら、静也を見やる。
「そうだな。でも、ちょっと遠そうだけど、歩くの大丈夫か?」
この間、静也は理沙と共に『パパの妊婦体験教室』に行き、『妊婦体験ジャケット』を着させてもらい、妊婦さんの大変さを思い知ったところだ。
「うん、今のところはね。それに妊婦も運動不足にならないようにしないと」
「よし、じゃあ行くか。摂取しすぎたカロリーを消費したいしな」
実は昨晩、理沙が鯉の甘辛煮を作ってくれたのだけど、それがあまりにもおいしくて、ご飯にもよく合い、ドカ食いしてしまった。
このまま家でゴロゴロしてばかりだと、正月太りならぬゴールデンウイーク太りしそうである。
ちなみに鯉料理は、昔、信州や会津など海のない地域で『祝いの膳』として出され、甘辛煮にして食べられていたそうだ。
中国でも『鯉が滝を登って龍となる』との伝説があり、鯉は龍神の使いとして祝事に重宝されている。
そんな鯉にはコラーゲンが多く含まれ、お肌の美容効果も高く、あの小野小町も美容食として食べていたんだとか。
また、妊娠中のむくみを改善させたり、母乳の出を良くする効果があり、妊婦にもお勧めの魚である。
「昨日は鯉料理。今日は鯉のぼり。鯉づくしの連休だね」
ということで、二人は運動を兼ねて稲荷神社の向こう側にある「鯉のぼりがすごい」というウワサの農家を目指すことにした。
外に出ると、初夏の眩しい陽光が降り注ぎ、路面を白く反射させていた。理沙は日傘を差し、静也と共に、木陰を選びながら歩を進める。
歩道の脇の植え込みには真っ盛りのツツジが咲き誇り、覆い茂る木々の若葉からやわらかな木漏れ日が零れる。
新緑のトンネルを抜け、家々の間を縫うような小路を行き、坂を上ると例の稲荷神社だ。
少し汗ばんできた。この時季でも日向は辛い。
稲荷神社へ入り、木陰でちょっとひと休み。ベンチに座り、用意してきた水筒のお茶を飲んで水分補給する。
「ああ、しまった~、お弁当も用意するんだった~。朝が遅かったし、今はまだお腹空いてないけど、さすがに夕飯までは持たないよね」
今、正午をちょっと過ぎた頃だ。
「昼食というより、軽くおやつとして、どっかで食べられるといいよな」
「神社の向こう側に和菓子店があったはず。海苔巻きの類も売ってるんじゃないかな」
「じゃ、そこで買うか」
お参りを済ませ、二人は稲荷神社を後にする。住宅地から大通りに出て、しばらく行くと例の和菓子店があった。
店の前には『粽』と『柏餅』を宣伝する幟旗が立ち、ケースの中には数種類の粽と柏餅が所狭しと並んでいる。
「そうか~、端午の節句といえば粽と柏餅だよね」
「この中華風粽、おいしそうだな」
「糯米に鶏肉と椎茸入れて炊き込んだヤツね。昼ご飯代わりのおやつにぴったりだね」
「じゃあ、この粽と……小豆餡と味噌餡の柏餅といくか」
端午の節句ならではのメニュー。
子どもの日をお祝いする食べ物に、お腹の赤ちゃんも喜ぶに違いない。
粽と柏餅を買った二人はさらに歩く。
その途中、鄙びた風情の日本家屋の軒先にあった藤棚に思わず目を奪われる。覆い茂る葉の陰から垂れ下がる花房。鮮やかなツツジとは違う趣の、淡い紫色をまとった涼しげな藤の花は日本特有の詫び寂びの世界にあった。風流とは、まさにこのこと。
「庭のある家って憧れるよな」
「庭付き一戸建てかあ。夢だよね」
「いや、郊外のほうなら手が届くんじゃないか」
「そっか。私がずっと働ければ……縁がないわけじゃないんだ」
夫婦共働きでやっていけば、庭付き一戸建ては決して夢ではない。
けれど……理沙は思わずお腹に手をやった。
妊娠してから幾度となくこのことを考えている。
――仕事と育児の両立。
世間は「働くママを応援しよう」と口では言うけど、現実は厳しそうだ。
しかも理沙と静也には両親がいない。おじいちゃんおばあちゃんの助けがない中、外で働きながら子育てをするというのは相当、難しい。
ただ、これから先、静也が何かの理由で働けなくなってしまった場合、理沙も仕事をしていたほうが安心ではある。リスク分散ってヤツだ。大黒柱は二本あるに越したことはない。
結局、何を優先して、何を捨て、どういうリスクをとるのかである。個々の家庭の事情も環境も、そして目指す幸せの形もそれぞれ違う。正解はない。だから余計に迷ってしまう。
藤の花を眺めている静也の隣で理沙はひっそりとため息を吐いた。
昼下がりに入ると、少し風が強くなってきた。雑木林の葉擦れの音がさわがしい。
日傘が飛ばされそうになり、理沙は渋々傘を閉じる。紫外線が心配だけど、鯉のぼりを観るならば風があったほうがいい。これはラッキーだと思うことにする。
そうして20分ほど歩いているうちに雑木林が開け、一面に広がる畑の向こう側に、横につながられている青・赤・黄・白・黒の5つの大きな鯉のぼりが目に飛び込んできた。
「うわあ、見て、あれ」
理沙は思わず叫んだ。
「五色とは、豪勢だなあ」
静也も感嘆のため息をつく。
「基本は三色だよね」
「いや、五色が本当だ。鯉のぼりの吹き流しだって五色だろ」
「そういえば、そうか」
「五色は『木・火・金・水・土』を表しているんだろうな。森羅万象、宇宙、自然の摂理ってヤツだ。お守り・魔除けの意味もあるのかもしれない。昔は、幼い子どもは成長する前に亡くなることも多かっただろうし」
「赤ちゃんの時、男の子は女の子に較べてよく病気するらしいしね」
「やっぱ無事に成長してほしいもんな」
二人は巨大な鯉のぼりを仰ぎながら、ゆっくり近づく。いつもより広く感じられる大空は、吹き荒ぶ風が雲を隅に追いやり、どこまでも碧く晴れ渡っていた。
「立派だよなあ……」
農家の敷地に入らないように気をつけ、天の海を泳ぐ鯉のぼりを観賞する。
「鯉のぼりは立身出世の願いが込められているって聞くけど、これを見たら、なるほどって思っちゃうよね」
「鯉は昔から出世魚として、縁起のいい魚とされているし、まな板に載せてもジタバタしないんだってな。それが『強い魚』と言われる所以だ」
「まな板の鯉ってヤツね」
「それに『鯉の滝登りの伝説』は『登竜門』の語源にもなっている。成功へと至る難しい関門を突破するってことで、まさに立身出世を願うにふさわしい魚だよな」
「滝登りの伝説?」
「ああ、『竜門』は中国の黄河中流にあって、この『竜門』の急流は、強い魚とされている鯉も登ることができないと言われているんだけど、もし登ることができれば『その鯉は竜になれる』という言い伝えがあるんだ」
「へええ~『登竜門』って、そこから来ているんだ」
「端午の節句だって、もともとは中国から伝わった厄除け行事らしいしな」
そう、昔の中国では強い香りがする菖蒲は災厄を退け、悪霊を祓う霊力があると考えられており、この時期、菖蒲酒を飲み、菖蒲で体の汚れを祓う厄除け行事が行われていたという。
そして今も『端午節』といって、中国では重要な祝日になっており、古代からある風習は現在に受け継がれている。ただし、旧暦に合わせているので時季としては6月初旬辺りとなる。
ちなみに端午の『端』は『初め』という意味であり、端午とは『月初めの午(うま)の日』ということになるのだが――
『午』は干支で表すと『5月』を指すことと、奇数が重なる日はめでたいと考えられていたので、5月5日が『端午』となっていったようだ。
静也のうんちくはまだまだ続く。
「平安時代、端午の厄除け行事は、宮中では『節会(せちえ)』と言って、青・赤・黄・白・黒の五色の糸を結びながら、菖蒲や蓬を使って丸く編んだものを飾ったりしていたんだけど、これが現在、祝い事で使われるあの薬玉(くすだま)の原点になるんだってな」
武士の間でも、武を尊ぶということで『菖蒲』を『尚武(しょうぶ)』と掛けて、端午を祝うようになり、そこから男の行事になっていく。
さらに江戸時代に入ると、幕府が『端午』を重要な日として定めたため、武家に男の子が生まれると、門前に幟(のぼり)を立ててお祝いするようになり――
やがて、この風習は庶民へ広がっていくのだが、庶民は幟を立てることが禁じられていたので、代わりに『鯉のぼり』を揚げるようになったという。
「へえ、鯉のぼりは江戸時代からなんだ」
「で、男の子の身を守るとして、紙の兜や武者人形も飾られるようになり、現在に至るわけだ」
端午の節句は男の子の厄除けと健康祈願、成長を願う行事であり――鎧兜や五月人形や鯉のぼりは、子に降りかかろうとする災厄を払う魔除けの役割を担っている。
「歴史ある風習なんだね。今もこうして受け継がれているなんて素敵だよね」
理沙はお腹の赤ちゃんのためにちょっとお腹を突出し、天に祈る。
この鯉の力強さが、男であれ女であれ、うちの子にも宿りますように……。
五月晴れの陽光を受け、煌びやかに輝く五色の鯉のぼりを、二人は吸い寄せられるように暫し見惚れる。
が、段々首が痛くなり、おまけにお腹も空いてきた。
「……じゃ、そろそろ行こうか」
名残惜しげに鯉のぼりを見やりながら、農家の庭を後にし、ここまで来る途中に見かけたバス停の待合ベンチまで戻り、そこで昼食代わりのおやつをいただくことにした。
まずは粽。笹の葉を剥がし、おにぎり状になっている中華味の五目鶏飯にかぶりつく。
「これ、おいしいっ、当たりだね!」
「ん……」
静也も頷きながら、粽にパクついていた。
「ねえ、帰りに寄って、今日の晩ご飯に買っていこうか」
「ん」
静也の口は粽でいっぱい。首を縦に振り同意を示す。
粽を食べ終えた二人はお茶を飲んで一息つき、柏餅にも手を伸ばす。
「あら、葉っぱの表で巻いているのと、葉っぱの裏で巻いているのがある」
「ああ、中身の違いを表しているんだろう。小豆餡の場合は葉の表を外向けにして、味噌餡は葉の裏を外向けにして巻くんだよ」
「へえ~」
柏は『おめでたい木』として昔から神事に使われている。新芽が出てこない限り、古い葉が落ちないことから、家系が絶えないとして縁起がよい木と考えられていた。
「ほら、『柏手を打つ』って言うだろ。あれって柏の木に神が宿っているとされていたからなんだ」
「柏って神聖なものだったんだね」
「柏餅は江戸時代に江戸で生まれた菓子だったんで、幕府が端午を祝いの日に定めてからは、関東では端午の節句に『柏餅』を食べるようになったんだってな」
「ふうん」
「対して関西では、古代中国から伝わった『粽』がずっと食べられ続けてきたってわけだ」
なお、粽についてはこういう話がある。
――紀元前3世紀頃の中国大陸・戦国時代、楚(そ)の国で政治家・屈原(くつげん)が失脚し、川に身を投げ自害する。
人望のあった屈原。その死を悲しんだ民がその川へ供物を捧げたのだが、供物は魚に食べられてしまう。
そこで、魚に食べられないようと供物を葉で包み糸で留めるようにした――この『葉で包んで糸で留めた供物』こそが粽の由来だという。
また、屈原の命日はウソかホントか5月5日と伝えられているようだ。
「つまり端午の節句の食べ物は、関東は柏餅、関西は粽、ということね」
理沙は相槌を打ちながら、柏餅を堪能する。
「カロリー補給完了したところで、またカロリーを消費しますか」
うんちくを繰り広げていた静也もあっという間に平らげてしまった。
容器と包装紙を片づけ、二人はベンチから立ち上がり帰途に就く。
途中で例の和菓子店に寄って、粽を手に入れ、その後、商店街まで足を延ばした。夕食のおかずに今が旬の鰹のたたきを買い、ついでに菖蒲の葉も手に入れる。
「すっかり汗かいちゃったね」
「帰ったら、すぐ風呂にしようか」
「やっぱり、菖蒲湯だよね」
菖蒲湯は、血行促進、保温効果、腰痛や神経痛、冷え症、肩こりや筋肉痛に効く。香りにはリラックス効果もある。
夕方の時間帯に入っても日は長く、空が黄昏るまでにはまだ遠い。
帰宅後、二人は香り高い菖蒲湯で疲れた身をほぐすことにした。
菖蒲湯の作り方は簡単――給湯式の場合は菖蒲を入れた状態で給湯し、湯沸し式の場合は水の状態から入れて、熱めに沸かす。一度、熱めにすることで菖蒲の香りが高まるのだ。
菖蒲の香りは葉から、効能は茎から出るので、茎も葉も使う。
さっぱりと汗を洗い流した後の夕食は粽と鰹のたたきを肴に、静也は発泡酒を、理沙は炭酸水をいただいた。
鰹のたたきは、ポン酢とおろし生姜で、その味に飽きたら、今度はそのポン酢に胡麻油をたらし、それをつけながらスライスした玉ねぎと一緒に食べる。これがまたよく合うのだ。二人の舌鼓が鳴りやまない。
「いやあ、またカロリー摂り過ぎちゃうわね」
「休みが終わったら、ダイエットするか」
遠出はしなかったけど――新緑の中で鮮やかに咲くツツジや淡く風流な藤の花を愛で、碧空を舞う立派な鯉のぼりを拝み、菖蒲湯で疲れを癒し、旬の鰹やおいしい粽を味わい――端午の節句をお腹の赤ちゃんと共に祝いながら、豊かな休日を過ごした二人であった。
※次話
※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓