理沙のお腹も大きくなり、15日16日休みをとることにしたものの、いつものごとく家で地味に過ごす予定の四条カップル。
彼らのお盆休みの計画とは――お盆の由来、歴史、雑学満載でお送りします。
では、以下本文。
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蝉の声がシャワーのように降り注ぐ8月。
昔は『葉月』と呼ばれていた『葉が落ちる月』。
――『葉落(はおち)月』から『葉月』となったと言われている。
そう、旧暦8月8日は立秋だ。
しかし新暦の8月は夏真っ盛り。
木々の葉は日焼けをしたかのように黒っぽい深緑色となり、茹だるような暑さに何もかもとろけそうな、そんな季節。
夕方になっても、ねばりつくような熱気が残り香となって漂う中。仕事を終え、静也と理沙は汗を拭き拭き、黙々と帰途に就く。
しゃべると、さらに体力を奪われそうだ。
それでも住宅地に入ると、途中、近所の家々で打ち水を行っているところもあり、心なしかホッとする。
濡れた路地にわずかながら涼を得られた気分になり、静也は口を開く。
「打ち水って、神様が通るってことで道を清めるために行っていたんだよな」
「……へえ、そうなんだ」
神様の通り道――ちょっと素敵な話に、理沙も反応する。
「江戸時代から、涼を得るのが目的になったみたいだけどな」
「生活の知恵だね」
「ま、今の時代じゃ、焼け石に水って感じだけどな」
歩き進めると、再びねっとりした空気が体にまとわりつく。
妊娠中の理沙は辛そうだ。お腹もだいぶ大きくなってきた。
あと1週間ほどで産休が取れる。もうしばらくの辛抱。
やっとのことで自宅にたどり着いたものの、部屋の中は熱気がみっちりと詰まっている。
まずはエアコンをつけ、暫しの間、冷やかな風に当たる。
今日の夕飯はカレーだ。
作り置きし、冷凍しておいたので、静也でも用意できる。理沙に先にシャワーを浴びるよう勧め、静也は米を研ぎ、ご飯を炊く。
その間、カレーを解凍し、熱を入れておく。
理沙がシャワーから出た頃、ようやく部屋が冷えてきた。
「お先~。はあ、気持ちいい~」
「じゃ、オレもサッと浴びてこよ」
静也は理沙とバトンタッチし、浴室へ向かった。
静也が夕食準備を整えてくれたおかげで何もすることなく、椅子に腰を下ろした理沙は居間の壁に掛けてあるカレンダーに目をやる。
「もうすぐお盆か」
祖先の霊を祀る行事『お盆』――もともとは旧暦7月15日辺りで行われていたが、新暦の今は8月13日~16日になっている。
ただ地方によっては7月いっぱいをお盆としていたり、7月15日を中心に行うところもある。東京では7月13日~16日がお盆だ。
13日の夕刻には、先祖や亡くなった人達の精霊が迷わず帰って来れるようにと提灯を灯し、迎え入れる。
霊は14、15日は家に留まり、16日の夜、帰って行くので、その時に送り火を焚き、霊を送り出す。
「本当に霊が来てくれるといいんだけどね」
この時期、理沙はやっぱり亡くなった家族を思う。静也もそうだろう。
今でも、ふとしたことで亡くなった家族に会いたくてたまらなくなる時がある。
「せめて、お盆の真似事でもやってみようか……」
そうすればいくらか慰められる気がした。
「でも、16日は寂しく感じるだろうな」
ため息と共に独りごちながら、両親が生きていた子どもの頃の思い出に心を馳せる。
とその時、胎動を感じた。
赤ちゃんが「ここにいるよ」と合図する。「だから寂しくないよ」と言われているようで、理沙は思わず頬をゆるめる。
そこへシャワーを浴び終えた静也がタオルで頭を拭き拭き戻ってきた。
「え? 何かあった?」
一人笑みを浮かべている理沙に、静也は怪訝な顔を向ける。
「今、強烈な胎動があったから」
「へえ~どれどれ」
静也はタオルを首にかけると理沙のお腹に手を当てた。
中肉中背の静也だが、手は割と大きいほうだ。
理沙もさっきまでの寂しさはどこへやら、安らかな気分で静也の手の温かさと赤ちゃんの存在を味わう。
「ねえ、お盆はどう過ごす?」
「墓参りをどうするかだな。でもこの時季は酷暑だし……やめておこう」
現実主義の静也は、神社や寺院参りは好きだけど、神様や霊の存在を信じているわけではない。
お参りは日本人として日本の文化・風習を受け継ぎたいと思っているが、それは無理して行うべきものではない。
お墓参りはもっと気候のいい時に行けばいい。
「お墓に行かなくても、霊のほうから出向いてくれるのが『お盆』だよな」
静也は、理沙のお腹から手を離し、キッチンへ行ってカレーを温め直す。
「え? お盆の時期はお墓の中は空っぽってこと?」
「いや、霊をどう捉えるかだよな。理沙は霊を信じているのか?」
「いやあ、別に……」
信じているのかと本気で問われれば、正直、信じていないが……それも味気ない。
「いるといいね、てな感じだけど……」
そう、いたらいいなあ、いつか会いたい――霊の存在は、あるのかないのかというより、遺された者の願いが込められているのかもしれない。
そんな理沙の気持ちを汲み取ったのか、静也はこう提案した。
「よし、じゃあ、この部屋にオレたちの先祖と亡くなった家族の霊を迎え入れよう」
お盆は仏教の『盂蘭盆会(うらぼんえ)』――梵語(サンスクリット語)の『ウラバンナ』の音訳――から来ている。
ウラバンナとは「逆さ吊りの苦しみ」という意味を持ち、『逆さ吊りにされるような苦しみを味わっている霊』を救う仏教行事を指すようになった。
その行事の由来は――
釈迦の弟子である目連(もくれん)が、亡き母が餓鬼道に落ちて苦しんでいることを知り、師の釈迦に救いを求めたところ、釈迦から「夏安居(げあんご)の終わる7月15日に僧侶たちを供養するように」と教えを受け、そのとおりにしたら目連の母は無事に成仏できた――という伝説が元になっている。
ちなみに『夏安居』とは、夏の雨季である陰暦4月16日から3か月間、僧侶が修行することをいう。
日本のお盆とは――「先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていく」という日本古来の信仰と、この『ウラバンナ』が結びついたものだ。ほとんどの地域では13日の迎え盆から16日の送り盆までの4日間の行事となっている。
そんなことを話しながら、静也はカレーを温め直し、2つの皿にご飯をよそい、カレーをかけ、食卓まで運ぶ。理沙も冷蔵庫から麦茶とラッキョウ漬けを出す。
「いただきます」
二人はラッキョウをお供にカレーを頬張り、お盆の相談をする。
静也と理沙は15、16日に仕事を休むことにしていた。
「13日は夕方、玄関に提灯を置いておけばいいんじゃないか。で、野菜中心の精進料理を供えて、お盆の間、自分たちも同じものを食べるんだ」
「精進料理かあ。ダイエット食ね」
「肉や魚がないのは寂しいけどな」
「夏バテするかも。動物性タンパク質を全く摂らないのはちょっとね……」
日本の風習も大切だが、まずは健康第一である。
「じゃあ、夕食だけ精進料理で行くか」
「豆類で植物性タンパク質をとりましょっ」
「15日のお昼にはそうめんを供えるらしいな」
「おっ、七夕の行事食、ここで出ますか」
「そうめんの長さにあやかって『長生きできるように』って願いも込められているんだよな」
「大晦日の年越し蕎麦と同じだね」
「供え物の菓子は、浄土への土産となる白玉団子だ。あとは型菓子の落雁だな。普通の和菓子でもいい。夏バテ解消に、栄養のある小豆餡を包んだ餅や黒砂糖をまぶした餅を食べる風習もあったようだし」
「黒砂糖はミネラル豊富だから健康にいいんだよね」
「お坊さんのお経は省略な」
本来ならば、15日には僧侶が一軒一軒檀家を廻り、お経を上げるのだが。
「仕方ないよね」
結局、お供え物と霊を迎えるための提灯を用意して、食事は夕食だけ精進料理もどき、15日のお昼はそうめん、そして理沙の大好きな和菓子でお盆を過ごそうということになった。
「そういえばさ、お盆の前に夏祭りがあって、盆踊りがあったりしたよな。最近は騒音問題で取りやめる地域も多いけど」
幼い頃の静也は、両親と毎年、夏祭りと盆踊りを楽しんだ。
町内会主催の祭りだけど、露店もあり、賑やかな雰囲気だった。
そして露店といえば綿菓子。子ども心に一番ワクワクするお菓子だ。
日頃は駄菓子を制限させられていた静也だが、こういった特別な日だけ、両親は静也の好きにさせてくれた。だからこそ心が躍ったのかもしれない。
今考えれば、それが両親の教育であり、静也に自制の大切さと自由の喜びを教えようとしていたのだろう。
「盆踊りか……懐かしい。子どもの時、踊ったなあ」
理沙も目を細める。
理沙の父は金融機関に務める転勤族で引越しが多く、理沙は友だちができても2、3年で別れなくてはいけなかった。
理沙の両親は、寂しい思いをしているだろう理沙を気遣い、引っ越した先の地域で開催されるイベントやお祭りによく連れて行ってくれた。
盆踊りを見よう見まねで踊った納涼祭は、両親と過ごした楽しかった夏の思い出のひとつだ。
「盆踊りって、もとは平安時代に行われていた『念仏踊り』だったんだよな」
「ふうん」
『念仏踊り』は先祖の霊を迎え入れて慰めるために行われていた仏教行事の一つだった。
『盆踊り』と呼ばれるようになったのは室町時代からだ。さらに鎌倉時代に入ると芸能性が出てきて、江戸時代以降は庶民の娯楽になっていく。
また『念仏踊り=盆踊り』にはこんな伝説もある。
例の釈迦の弟子・目連だが――餓鬼道に落ちた母が無事に成仏した時、目連は嬉しさのあまり、つい踊ってしまったらしい。
目連……けっこうお茶目な人だったようだ。
このことから本家『ウラバンナ』でも踊りが行われるようになり、それが『念仏踊り=盆踊り』となった。
そもそもなぜ目連の母は餓鬼道に落ちたのか――それは、かわいい我が子にいい着物を着せ、おいしいものを食べさせようと罪を重ねてしまったからだという。
そんな愚かだけど愛しい母を助けてほしいと、目連は『夏安居』の修行で徳を積んだ僧侶らにご馳走を供えたのだった。
「ん? ご馳走……精進料理ではなく、ご馳走なの?」
静也から盆踊りの由来、釈迦の弟子・目連の話を聞いた理沙はここに食いついた。
「いや、僧侶に供えるんだから、精進料理に近いものかもしれないし」
「でも、ご馳走なんだよね? じゃあ、うちも本家本元を大事にして『ご馳走』にしようよ」
「つまり精進料理はやめると?」
「ミックスでいこう。13日と14日の夕食は精進料理、15日はご馳走、翌日はまた精進料理でいいんじゃない」
お腹の赤ちゃんもそのほうがいいとお腹を蹴った……気がした。
「じゃ、それで行くか」
静也もニヤリと笑う。静也だって、やっぱりご馳走が食べたい。
でもお坊さんは呼ばないので『僧侶にご馳走を供える』のは省略だ。
――ということで、自分たちに都合の良いお盆の計画を立てたのであった。
※次話
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