桜づくしのお花見―四条カップルのまったり休日
若夫婦・四条静也と理沙カップルの、桜づくしの休日をご覧あれ。
桜餅に桜茶、桜湯、お花見(由来、歴史)に関するプチ雑学満載。素敵な日本文化・風習を紹介!
変化の激しい時代。常に新しさを求め、変化に対応できる者が成功者となり、勝ち組となる。
ただ『成功=幸せ』ではない。そんなことを思う今日この頃。
ここに登場する四条カップルは役所に勤める公務員。傍目には『さして面白くなさそうな仕事』、いつかはAIにとってかわられるような『時代に取り残されるような仕事』『クリエイティブとはほど遠い仕事』に映るかも。
けれど四条カップルは今いる場所で満足している。この生活を維持できればいい。『勝つこと』『上を目指す』『成長』を望まない。いや、そんなぬるい生き方こそリスクが高い、変化に対応しろ、挑戦しろ、と声高に叫ぶ人も多いけれど、それは成功者になるための生き方。四条夫妻には関係ない。
四条夫妻はまったりと昔の文化・風習に触れながら、流行とも距離を置き、マイペースで暮らしてます。(ま、子どもができたら、そういうわけにはいかないだろうけれど)
では、以下本文。
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日本人の心をくすぐる4月初旬。
ふんわりとした春の日差しに包まれ、薄桃色の世界となる桜の季節。
「八分咲きってところだね。今度のお休みの日、ちょうど見頃だね」
通勤途中、薄雲がかかる淡い水色の空の下。
薄桃色のトンネルになりつつある桜並木の遊歩道を歩きながら、理沙は夫の静也に話しかける。
今日も夫婦二人そろって仲良く出勤だ。
「すぐに散っちゃうのが……ちょっとな」
安定志向の静也にとって儚すぎる桜は好きじゃなかった。
花は散るものだけど、桜の場合は特に儚いと感じる。
一斉に散ってしまい、あっという間に終わってしまうから、そう思うのだろうか。
自分が愛するものは、いつまでも変わりなく、変化があるとしても徐々にゆっくりであってほしい。
だから「あっという間」「突然」「いきなり」「消えてしまう」「なくなってしまう」というのは静也の趣味に合わなかった。
たぶんそれは――小さい頃『突然、家族を失った経験』から来るのかもしれない……。
それなのに、理沙はお腹に手をやりながらこんなことを言い出した。
「10月生まれになる予定だけどさ、もし女の子だったら『さくら』って名前もいいかなって。違う漢字を当ててさ」
どうやら『咲良』や『咲来』という漢字を思い浮かべているようだ。
「ええ? すぐに散っちゃう花の名前を娘につけるのか? 縁起悪いし、オレは反対だぞ」
「まあ、そう言われてみればそうだけど。桜は皆から愛でられる花だし、これぞ日本って感じで、素敵な名前だと思うよ」
が、理沙の提案に静也は異を唱える。
「皆から愛でられる必要ないっ」
「へ?」
「男から愛でられる必要などないっ」
「……そこですか……」
もし女の子が生まれたら、静也パパに溺愛されて、わがまま娘に育ちそう。
ま、何はともあれ桜が見頃となる休日が待ち遠しい。
・・・
「お花見、楽しみだな~。静也も当然、参加するよな」
昼休み。
○○市役所総務部広報課室の窓から桜並木を覗く黒野の浮き浮きした声に、静也はハッとする。そう、『職場の人たちとの花見イベント』という苦行があったことをすっかり忘れていた。おまけに黒野が幹事だ。
――去年も悪酔いした黒野先輩やみすず先輩に絡まれ、散々な目にあったっけ……。
静也自身、お酒は多少たしなむ程度だが、黒野先輩とみすず先輩はとにかく飲む。飲んで飲んで飲みまくり……花見は関係なく、風情の欠片もない単なる飲み会と化す。
そして最年少の静也は何かとコキ使われた。
もう今年は勘弁。
そこで静也は、理沙が妊娠中であることを理由に断った。当然、理沙も参加しない。
「うちの妻が心配なので……申し訳ありませんっ」
「ええ? 何で? 静也がいないと寂しいだろ」
黒野先輩は心にもないことを言う。
本当は『便利なパシリ』として使いたいだけだろう。
「とにかくオレは不参加ということで」
「ちょっとくらい、つきあえるだろ~。職場の人間関係大切にしろよ~」
「花見は強制じゃないですよね? 参加不参加は自由のはずです。先輩が大切にしている『表現の自由』と同じように、個人の自由な意思決定権も尊重されるべきです」
「相変わらずかわいげのない言い方するよなあ」
「どうもすみません。妻の具合があまりよくないので」
別に理沙の体調は悪くはないのだが、これも方便。とにかく謝り倒して、今年の職場のお花見イベントは免れることができた。
・・・
仕事を終え、静也と理沙、夫婦で待ち合わせての帰り道。遊歩道に並ぶ八分咲きの夜桜を眺めながら、駅へ向かう。
「夜桜って幻想的だね」
外灯に照らされる桜はぼんやりと白く、濃紺の夜空に浮き立っていた。
「花明りだな」
「花明り?」
「桜の花の白さで、辺りがぼんやり明るく見えることをそう言うんだ」
「素敵な言葉だね」
「花見はこうやって静かに楽しみたいよな」
一際大きい桜の木の下で立ち止まり、しばし白い夜桜を見上げた。
春の匂いを乗せた風が二人をやさしく包む。
「行こうか」
「ん」
歩き出す二人。
桜並木が過ぎ、後ろの桜が遠くなっていく。
ほんのひと時のお花見が終わる。
「腹へったな」
「やっぱ花より団子だね」
「今晩の飯、何にする? 外で食べてく?」
賑やかな駅前商店街が見えてきた。
「ガッツリ食べたい気分だから『天や』に行こうか」
そこは天丼が安く食べられるチェーン店だ。
「エビ天は当然として、レンコンの天ぷらも旨いよな」
「じゃあ、単品でレンコンとマイタケと茄子を追加しようか」
共働きなので、平日はこうして外食することもある。
栄養バランスについては理沙も少々気掛かりではあるが、なるべく野菜がメニューに入るよう心掛けている。
ただ、子どもができたら仕事帰りに外食というわけにはいかなくなる。もちろん静也も協力してくれるだろうとはいえ、仕事と育児の両立は大変そう……と理沙はまたまた思い悩む。
けど店に入り、注文した天丼が運ばれてくると、そんな心配は頭の隅に行ってしまった。
まずは食事を楽しむことにしよう。海老にイカ、レンコンにマイタケに茄子が加わって山盛りだ。
「やっぱ天丼、最高だね」
七味唐辛子を振りかける。これがまたよく合うのだ。天タレのかかったご飯も美味しい。
お腹の赤ちゃんも「天丼、最高」と思っているに違いない。
・・・
そんなこんなで待ちに待った週末。天気も良く絶好のお花見日和となった。
二人はまず近所の商店街に出向き、専門のお寿司屋で太巻きとお稲荷さんを、和菓子店でみたらし団子を買い、桜の木が集まっている公園へ足を運んだ。
やがて綿菓子のような桜が姿を現す。時折吹くそよ風に桜の花びらが舞いを見せ、人々を喜ばせていた。
「零れ(こぼれ)桜だな」
「ん?」
「満開の桜を『花盛り』、そこから散る桜を『零れ桜』って言うんだ」
「へえ。風流な言葉だね」
「んで、オレたちみたいな花見をする人を『桜人』と呼ぶ」
「よし、今日は『桜人』として、とことん風流にいきますか」
公園は人々で賑わい、すでにベンチはいっぱいで、芝生の上でもあちこちでお弁当を広げている親子連れが多かった。
「いずれ、うちも仲間入りだね」
和やかな光景ではあったが、風に乗って散る花びらを追いかけ、はしゃぎまわっている子どもたちが少々騒がしい。
「どこか静かなところないかな」
やはりもっと落ち着いた場所で桜の風情を味わいたかった。
それに子どもができたら、もう「風流」などと言ってられなくなるだろう。
夫婦水入らずで静かにお花見を楽しめるのは今年までだ。
「神社のほう行ってみようか。あそこも桜の木があるよね」
去年のお花見の時に立ち寄ってみたのだが、規模が小さい所為か人出も少なく、長閑な雰囲気だった。
二人は公園を後にし、神社へ向かう。
途中、小さな川があり、その川岸にも桜が咲き零れていた。
水面に浮かんだ桜の花びらが流れていく。
「ああいうの『花筏(はないかだ)』って言うんだよな」
「へえ」
「思えば、日本語って豊かな言語だよな」
「ちょっと誇らしいよね」
橋を渡り、そこから住宅地の入り組んだ小路を抜け、神社への近道となる緩やかな坂道を登っていくと、深緑色の木々とくすんだ紅色をした小さな鳥居が見えてきた。
農の神様『稲荷神』を祭る神社だ。
二人並んで鳥居をくぐり、中に入る。
年輩の方が数人訪れていたが、神社は静寂に満ち、まるでそこだけ結界が張られているかのように、外界の音から切り離されていた。
木漏れ日が落ちる石畳の道を進むと――
社の奥に、常緑樹の隙間から漏れる陽光を浴び、白い光りを放っている桜が姿を現した。
満開の枝を方々に広げ、花びらがその周りをちらちらと輝きながら舞う様はまさに神秘だった。
「幻想的だよね。神社の中にあるから、余計にそう感じるのかな」
理沙が感嘆のため息をもらす。
ベンチもあるし、ここで桜を眺めながら、お弁当として買ってきた太巻きとお稲荷さん、みたらし団子をいただきたかったが、バチが当たりそうに思えた。
「そういえば『桜』の由来で、こういうの聞いたことあるんだけど……」
おもむろに静也が口を開く。
「日本の神話では、八百万の神の中に『山や田の神』である『サ神』がいて――
で、神が鎮座する席を『クラ』と言うんで、『サ神』が鎮座していたとする木を『サクラ』と呼ぶようになったんだとか」
「へえ~。じゃあ、桜は『神様が鎮座する木』なんだね」
「サ神を信仰していた農民は豊作を願い、桜の木に供え物をして宴を催していたらしいな」
「なるほど、お花見の宴会はそこから来ていたんだ」
「ただ、この説はあまり有力じゃないけどな。サクラの語源は『咲く=サク』の動詞に『ラ』の接尾語がついて名詞になったというのが通説だ」
「通説なんてどうでもいいよ。『神様が鎮座する木』っていうほうが素敵じゃない」
「奈良時代は、桜は『田の神』が来臨する花として植えられていたそうだ」
「桜って神様と関係あったんだね」
「お花見は、庶民の娯楽として江戸時代から行われるようになったみたいだけどな」
「宴を催すことを神様は良しとしたんだから、お弁当広げてもバチは当たらないよね」
「しかも、ここは豊作を祈願する農民の神様を祭る稲荷神社だからな。腹をいっぱいにするってことは、豊作を意味するってことになるよな」
都合の良い解釈をして、二人は神秘の桜を目の前に、お弁当を広げ、太巻きとお稲荷さんを頬張った。
太巻きも絶品だったけど、お稲荷さんのしっとりとした甘辛の油揚に包まれた五目寿司飯の旨さと言ったら……。胡麻の香ばしさが、さらにそれを引き立てている。
用意してきた水筒のお茶を飲みつつ、みたらし団子にも手を伸ばす。
モッチリした団子に、たっぷりかかった醤油味の甘辛タレがたまらない――至福のひと時。
「やっぱり花より団子だな」
「日本の素晴らしい食文化に感謝だね」
「豊作の神様・稲荷にも感謝しないとな」
お腹も満足し、興味が『団子』から『花』へと戻った二人は、しばし桜を眺める。
そよ風に舞う桜の花びらが、二人のところにもやってきた。
「今晩は桜湯にしようね」
理沙はお弁当を片付けると、桜の花びらを拾い集めた。
ゆったりとした贅沢な時間が流れていく。
いつの間にか日が傾き、空が少しずつ黄昏の色を増し、淡い光は桜に届かなくなり、いつの間にか影に入っていた。
「そろそろ行こうか」
二人は神社の桜に別れを告げ、夕飯の買い物に商店街まで足を延ばすことにした。
「今晩は何にする?」
「炊き込みご飯に、あさりの味噌汁、鰆の塩焼きに人参と里芋とコンニャクの煮物の予定」
さっきまで神社で過ごした静寂が嘘のような賑やかな喧騒の中、あちこちの店に立ち寄り、夕飯の食材を買って帰途に就いた。
陽はうすい橙色と桃色が重なった雲に隠れ、空は藍色へと虚ろって行く。
キッチンの灯りを点け、買ってきた食材を整理し、さっそく理沙は夕飯の準備に取りかかった。
炊き込みご飯の具は、干し椎茸にダシ昆布、刻んだ人参に油揚げ、しらすだ。
干しシイタケとダシ昆布が『旨み調味料』となる。これにちょっと醤油を入れて、ご飯と一緒に炊くだけでおいしく出来上がる。
胡麻を振りかけて食せば、栄養バランス満点。
あさりの味噌汁も、あさりだけのダシで充分濃くて旨い。
香ばしい鰆の塩焼きには、レモン汁や大根おろしを付けていただく。
そしてこれらのお供に白ワイン。もちろん例のごとく安物テーブルワインだけど、充分おいしい。
なお、妊娠中の理沙はアルコールはガマンである。
こうして栄養に富んだ和食に舌鼓を打ち、食後に『桜茶』をいただく。
――『桜茶』の作り方は簡単。
市販されている『塩漬けした桜の花』に湯を注ぐだけ。
すると湯呑の中で桜の花びらがふんわり開き、やさしい桜の香りがほのかに漂う。
この香にはリラックス効果があり、成分は二日酔い、頭痛、じんましん、咳に効くという。
そんな薬用効果もある桜茶だが、結納の席などでお祝い用に出されるお茶としても使われてきた。
一般のお茶には『お茶をにごす』 『茶々を入れる』 というネガティブな言葉があるためだ。
静也と理沙は桜茶をすする。桜の香りが鼻腔をくすぐった。
「うん、こういうのも、たまにはいいよね」
まったり食休みした後の、今日の桜づくしの仕上げは桜湯風呂だ。
市販されていた『桜湯』の入浴剤を混ぜ、稲荷神社で拾ってきた桜の花びらも湯船に浮かべる。
安っぽいポリバスでは趣はいまいちであるが、こればかりは仕方ない。
風呂掃除の時、桜の花びらを拾わなければ……などと興ざめするようなことは頭の隅に追いやり、静也はゆったりと桜湯に浸かった。
じわっと温かさが体に染み入り、疲れがほぐれていく。
桜湯はこの疲労回復のほか、消炎作用、安眠・快眠効果、風邪の予防、美肌効果もあるといわれている。
儚げなイメージから桜をあまり好きになれなかった静也だが、こうした豊かな文化を生んだ桜に感謝の念が芽生え、すっかり桜ファンになってしまった。
頭が空っぽにして、桜湯に身を任せる。
が、ふと窓を打つ風の音に気づき、現実に戻された。
風がだいぶ激しくなってきたようだ。
「桜、散っちゃうかもね」
風呂から上がった静也に、理沙は顔を曇らせた。
「明日も花見に行こうか。明日で最後かもしれないから」
「ああ」
静也はカーテンの隙間からガタガタと鳴る窓硝子に目を向ける。
もちろん、ここからでは何も見えないが、桜が散っていく様が思い浮かぶ。
――儚いなあ……。
やっぱり娘の名前にするのは反対だ。『咲良』も『咲来』もダメだ。
・・・
翌日。
空は霞み、風が強かったものの、静也と理沙は電車に乗って、職場近くにある桜並木の遊歩道まで足を運んだ。
駅から5分ほど歩くと、白い世界が広がっていた。そこは花嵐の様相で、風に無数の花びらが舞い、まさに雪が降りしきっているかのようだった。
桜吹雪の中を二人はゆっくりゆっくり歩く。
「今日も桜湯にするね」
理沙は屈み、桜の花びらを拾う。
「また来年だね」
「ああ」
綿菓子のように見えていた桜の木が、今ではだいぶ花が落ち、枝が目立つ。
名残惜しげに桜を見上げつつ、静也と理沙は散りゆく桜並木を後にした。
「そうだ、桜餅買っていこうか。帰ってから、桜茶と一緒にいただこう」
ちなみに桜餅には関東風・関西風の二種類がある。
関東風は小麦粉の生地を焼いた皮で餡を巻いたクレープ状のお餅のことで、別名『長命寺餅』と呼ばれており――
対する関西風はもち米を蒸して皮を作り、餡を包んだまんじゅう状のお餅で、こちらは『道明寺餅』という名がついている。
立ち寄った和菓子店で、理沙は『道明寺餅』のほうを買った。ねっとりつぶつぶしたあの食感が好きなのだ。
「花疲れしちゃったな」
「帰ったらすぐ風呂に入りたいよね」
空はぼんやりとした花曇りで、風が強いせいか、花冷えの日となった。
早く桜湯で温まりたい。
夕方になり、ますます寒さが堪え、お腹も減ってきた。
「よし、今日一日も桜づくしでいこう。夕飯は桜ご飯にしようか」
桜ご飯はいろんな作り方があるけれど、理沙はもち米2、普通の米1の割合で、だし昆布と桜の花の塩漬けを入れて炊く。栄養バランスを考えて、しらすも入れる。
「あとは……奮発して、真鯛の刺身なんて、どう?」
「春の真鯛は桜鯛って呼ばれるから、まさに桜づくしだな」
「じゃあ、この際だから桜エビもつけようか」
「贅沢だな~」
「桜に乾杯ってことで」
いつの間にか雨がポツポツ降り出す。
「今夜は桜流しかな」
雨水で流されていく桜の花びらが思い浮かぶ。
明日は残花となってしまうだろう。
「ちょっと寂しいよね」
また来年。娘か息子かはまだ分からないけど、3人で桜に会いに来よう。
そう、桜の木は来年も花を咲かせてくれる。桜との縁はつながっているのだ。
「本降りになる前に、買い物済ませて、さっさと帰ろう」
名残惜しさを胸に二人は少し小走りになる。
桜は視界から消え、すっかり見えなくなってしまった。
――桜づくしの休日が暮れていく。
※次話
※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓