これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

ブスがヒロイン・漫画『ブスに花束を』『エリノア』『累』『圏外プリンセス』『最終フェース』☆丙午の呪い

ブスをヒロインにした漫画コミックと美醜コンプレックスと女子にふりかかる呪いについて考えてみる。

目次じゃ!

ブスが主人公の漫画コミック

ほのぼの系・恋愛コメディ『ブスに花束を』

まずは『ブスに花束を』。うん、これはおすすめじゃ。

コメディ調なので深刻さもなく、読者・受け手に向けてブスを哂いものにするような底意地悪さもなく、つらい要素はなし。

「女子力を身に着け、キレイになる努力をしよう」という内容でもない。なのでヒロインがメイクやファッションを磨いて、外見が変わっていくわけでもなく――いわゆるそういった『キレイにならなければならないといった呪い』もない。

容姿コンプレックスを持っている人も楽しく読める。

喪女でネガティブ系・自虐系ヒロインだけど、不思議と応援したくなる、意外とさわやかに読めるコミックだ。周囲のキャラも基本、優しくていいヤツ。嫌なヤツがいない。

ブスがヒロインだと、たいていギャグとして哂いを狙うか、もしくは深刻で救いのない不幸満載な結末であることが多い。

あるいはヒロインの努力によって脱ブスさせ、良しとする結末にするか――いずれにせよ、『ブスは忌み嫌われていることを押し出してくる作品』が目立つ。

が『ブスに花束を』だけは違う。おそらくヒロインはさほど外見を変えることなく、幸せを手にするだろう。

ピクシブで試し読みもできる↓

※コミックも出ている↓

ブスに花束を。 (4) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。 (4) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。(4) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。(4) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。 (3) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。 (3) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。(3) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。(3) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。(2) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。(2) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。 (2) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。 (2) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。(1) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。(1) (角川コミックス・エース)

 
ブスに花束を。 (1) (角川コミックス・エース)

ブスに花束を。 (1) (角川コミックス・エース)

 

切ない系・1966年の新人賞受賞作品『エリノア』

次に、ブサイクヒロインを切なく描いた漫画『エリノア』について語ってみよう。

――1966年、17歳の高校生・新人漫画家が描いた『少女フレンド』漫画新人賞の入賞作品だ。

そこいらの少女漫画にあるような「ブスではなく単なる地味キャラ」「おしゃれをすればキレイ・カワイイ」「メガネを取ったら美人」というのではなく、本当にブサイクなヒロインを描き、しかも死なせるという結末にびっくり。

漫画の内容は――ブサイクヒロインは、お城で働く心美しき女中さん。心優しい王子に恋をしたヒロインは、仙女に魔法で美しくしてもらう。王子も、身も心も美しいヒロインに惹かれ、求婚するが――ヒロインの本当の姿を知ってしまう。いかに心優しい王子も、ヒロインの容姿の醜さを受け入れることはできず、ヒロインの心を踏みにじってしまう。そして、ヒロインは生きて幸せを手にすることなく、死という結末を迎える。

ということで、どんなに心優しい男性でもブスは受け入れがたかったようだ。

性格が美しくても外見が醜い女はダメ――こんなシビアな現実を少女漫画のテーマにしてしまったことにも驚く。しかも1966年だ。まだ『外見よりも中身、心の美しさ』という建前が生きていた時代。この作品を入賞させた編集部もすごいが、この高校生新人漫画家もすごい。

ちなみに、この作品でデビューした漫画家・谷口ひとみ氏は18歳で自死してしまい、これが最初で最後の作品となった。

当時17歳だった谷口氏は『ヒロインは彼のために全てを捧げ、一生に一度の本気の恋に身を投じたヒロインは幸せだったのではないか』と読者に問うたようだ。

余りに切ないお話であるが、読者に向けて、不細工キャラを哂い者にせず、真摯にメッセージを発した点において、それだけでも評価できる。
たった17歳で、そういう作品を作ったのだ。

ブスを安易に哂い者にした椰月美智子氏の『恋愛小説』や、地味キャラを雑に描いた有川浩氏の『別冊図書館戦争2』とは大違い。

また、醜い主人公の性格をとことん歪ませ、読者が共感しづらいように描き、結末も救いのないものにした辻村深月氏の『盲目的な恋と友情』も相当にシビアであった。

こういった女性作家による『救いのないブスキャラ物語』が並ぶ現代。それだけ世の中は外見至上主義であり、不細工に対し意地悪いということかもしれない。男性だけでなく女性もブスには厳しい。

なので『エリノア』のように、残酷なこの世で生き続けるよりも死という安らぎを与える結末もありなのかもしれない。

そして作者・谷口氏自身も18歳という若さで死を選んでしまった。

迷信・男に嫌われた1966年丙午女

そういえば『エリノア』が掲載された1966年は丙午。

「丙午生まれの女性は気性が強く、夫を殺す」という迷信が当時もまだ影響を及ぼしていたようで、この年だけ出生率が激減した。つまり『丙午生まれの女性は結婚できない』=『生まれてきた子が娘だったら大変だ』ということで……1966年丙午生まれとならないように、子どもをあえて作らないようにしたそうだ。また妊娠してしまった場合、中絶したのだろう、その前の年の堕胎件数も高かったと聞く。

さらに、その前の丙午は1906年となるが――明治時代の丙午生まれの女性たちは結婚できないことを苦に自殺していたそうだ。

当時の女性は自立できる手段もなく、結婚できなければ『嫁かず後家』として周囲からも見下され、邪魔もの扱いされ、追い詰められ、死を選ぶしかなかったのだろう。

そして昭和に入った1966年でさえも、そんな価値観が息づいていたのだろう。「外見よりも中身」という建前が生きていたとはいえ、「結婚できない女性は不幸で惨め」という空気が色濃く残っていた時代でもあった。

いや、もしかしたら「外見よりも中身」はあくまで男性に限った話なのかも。

もちろん今だって、外見・容姿は重要視されるが、結婚しなくてもいい時代となり、女性は自由を得られるようになった。

容姿に恵まれない人は依然としてコンプレックスに苦しめられるだろうし、周囲から見下され哂い者にされるかもしれないが、『恋愛・結婚を良しとする価値観』から逃げることができれば、さほど不幸にならずに済むのではないだろうか。

もはや結婚や恋愛が絶対的に素晴らしいものだとは言えず、いろんな生き方が認められるようになりつつあり、幸せの形は様々となった。「恋愛や結婚をしてこそ幸せが得られる」という呪いが解けるともっとラクに生きられそう。

もし現代に生きるエリノアだったら――王子から「君は醜いから受け入れられない」と拒否された時点で100年の恋も覚めてしまい――恋から解放されるという結末もありだったかもしれない。

それに、よくよく考えてみると――エリノアさん、王子がイケメンでなくても恋をしたのだろうか?

王子は優しい心の持ち主だったと言えど、外見に惹かれた部分もあっただろう。だとすると『外見重視はお互い様』だ。

となると、これって『自分の命と引き換えにするほど価値ある恋』だったんだろうか?

そもそも、王子にそこまでの価値があったのだろうか?

結婚も恋愛も、欲と欲のぶつかりあい、選び選ばれ、お互いに品定めをする過酷な世界だ。戦場と言ってもいいかもしれない。一人しか選べないことになっているので、お互い、厳しくなるのは当然。友だちは100人いてもいいが、恋人・結婚相手はそんなわけにはいかない。ハードルはとてつもなく高くなる。

というか『お友だちの一人として』であれば、王子も受け入れてくれたかも?

死という結末に、恋愛ってそこまで価値があるものか? 外見を重視する男に命をかけるほどの価値があるのか? と疑問に思う。それこそが恋愛の呪いかも。

そして、谷口ひとみ氏が18歳で自死してしまったことに思いを馳せてしまった。

丙午の呪い・漫画『累』の前日譚『誘』

1966年丙午の呪いというと、美醜の本質を描いたといわれる漫画『累』の前日譚『誘』を思い出す。漫画『累』の作者・松浦だるま氏による小説だ。

漫画『累』もいいが、小説『誘』は世界観が圧巻。

累(かさね)の母に当たる誘(いざな)が主人公。1966年生まれという設定のようで、小説の中でも丙午についての描写がある。田舎では丙午生まれの女性は忌み嫌われていた。おまけに醜く生まれてしまった誘は村の因習・掟によって殺されそうになり、里から隠れて人目につかないよう、ひっそりと暮らす。
誘はブスというより醜い化け物・異形の女性だ。そんな彼女に対する村社会の理不尽な仕打ちが描かれる。凄惨な結末を迎え、漫画『累』へとつながっていく伝奇ホラー。

その漫画『累』では――誘の娘となる累も醜く生まれついてしまい、さすがに殺されるところまでいかないが、イジメられ、世を恨んでいるところから始まる。

※『累』のあらすじを知りたい方はこちらへ。ただし結末ネタバレあり。

そして漫画『累』の最終章では、女優となった累は、母の誘をモチーフにした物語の舞台に立つこととなる。『誘』の物語は『累』の前日譚でもあり、『累』の最後ともリンクする。

誘 (星海社FICTIONS)

誘 (星海社FICTIONS)

 

恋愛努力・外見を磨く『圏外プリンセス』

今はこんな漫画もあるんだな――『圏外プリンセス』(あいだ夏波

う~ん、思春期女子は恋愛の呪いからなかなか逃れられないんだろうなあ。

いや、キレイになる努力はいいのだけど、なんかそこに集中してものすごいエネルギーかけないといけないみたいな……。

本当は若い伸びしろのある時に、自分なりの才能を見つけてそれを伸ばすとか、何らかの技術を得るための勉強など、そちらを優先したほうがいいように思うけど、女子が最優先するのはやはり『恋愛=外見を磨くこと』で、それ以外はおざなりになるという印象。

んで、やっぱり恋のお相手も『イケメン』であり、まずは外見。ま、それが現実かあ。

そもそも恋愛要素のない少女漫画ってあるんだろうか? 恋愛要素のない少年漫画はあるけれど。

そういった恋愛ごとから解放されたほうが、女の子も幸せになれるのでは、と思うのだが、こういった漫画ひとつとってみても、『恋愛が全て』という価値観が刷り込まれていくよなあ。

上で話題にした『丙午の呪い』=『女は男に愛されてこそ。恋愛し結婚してこそが女の幸せ。それ以外の幸せはない。それが得られないのは不幸。惨め。負け組』という価値観に、まだまだ女性は縛られている。

で、恋愛をするにはまず容姿磨き。かわいいは正義

そこから外れてしまった女子はコンプレックスに苛まれ、辛い思いをすることになる。

ルッキズム・外見至上主義は、豊かな社会になればなるほど浸透していく可能性があるよな。

ま、中東から難民を大量に受け入れ、あちらの血を日本人に入れれば、美人・イケメンが増えるんじゃないですかね^^;

で、日本人はますます少子化が進み、中東系の美人とイケメンが伸してくれば、美の要素と言われる『二重瞼の大きな目』『鼻筋がとおった彫の深い小さい顔』の血が増えていくだろう。

東洋人・モンゴル系の『小さな目・一重瞼』『低い鼻・だんご鼻』『大きい平面的な顔』が淘汰されれば、ブスとブサメンはかなり少なくなるはず。

ギャグ系・誇り高いブス『最終フェイス』

最終フェイス (徳間コミック文庫)

最終フェイス (徳間コミック文庫)

 

ヒロインは今の美の基準からは外れている、いわば『ブス』であるが、誇り高く、自分に自信を持っている。圧倒的なパワーに周りも感化され、美を超越してしまう。そして美とは何かを考えさせてくれる。ギャグ漫画だけど、ブスを哂いものにはしていない。稀有な漫画。

おまけ・ブスではないけど『千と千尋の神隠し

漫画コミックじゃなくアニメ作品だけど――ジブリの『千と千尋の神隠し』はよかったよなあ。

ギャグではなく普通のストーリー系で、特にかわいくもない普通の容姿のヒロインが活躍する作品はめずらしい。ああいう作品が増えればいいけど、たぶんレアケースだろう。

そうそうジブリといえば――『思い出のマーニー』のヒロインは自分のことを「醜い」と言っていたシーンに白々しさを感じたっけ。だって周りにいた同世代の友だちよりはるかに整ったお顔で可愛く描かれているんだもの。おまけにこのヒロイン、世話をやいてくれた子に対し「ふとっちょ豚」と酷い言葉を吐く――『思い出のマーニー』の主人公・杏奈にはほとんど共感できなかった。

ま、なにはともあれ、外見コンプレックスを笑い飛ばすのは難しい。そんな中、楽しく気持ちよく読めるのは『ブスに花束を』だ。ちなみに考えさせられるのは『累』『誘』だ。

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