これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

辛口評価『君の名は。』気になった点☆岡田斗司夫氏と松本人志氏の新海監督への嫉妬心

劣等感まみれのえげつない駆け引きや厳しい競争の世界となった恋愛ごと。

恋愛市場と言われるくらいだから、シビアなのは当然だし、品定めや戦略が大事なのは分かるけど――『純愛』は、もはやフィクションの中にしかない?

それでいて、やっぱり多くの人は純愛に憧れている。だから『君の名は。』がヒットしたのかもなあ。

ただワシは期待し過ぎた所為もあるかもしれないが、さほど面白いとは思えなかった。その理由も書きたいと思う。

ほか『君の名は。』について著名人らの発言、面白いネタ、考察記事を紹介する。

目次じゃ!

新海監督に嫉妬心? 著名人らの黒い感想

いやあ~、オタキング岡田斗司夫氏もダウンタウン松本人志氏も新海監督への嫉妬心がすごい?
君の名は。』の大ヒットの理由を、岡田氏は「バカでも分かる」とし、松本氏は「全国にいるたくさんのブスを巻き込んだから」と、双方とも観客を見下し、暗に『君の名は。』を揶揄していた。

岡田斗司夫氏の見下し発言

岡田斗司夫氏の『君の名は。』の評価は映画として70点 ベタ映画として120点 アニメとして80点らしい。
シン・ゴジラは映画として65点なので、『君の名は。』のほうがちょっとだけ良いとのことだが――。

竹内義和氏との対談にて、岡田氏は新海監督についてこのように発言していた。
以下、http://www.nicovideo.jp/watch/1378004106より一部転載。

岡田「新海誠は、その、ナントカの場所って映画あるじゃないですか」
竹内「ありますね。『雲のむこう、約束の場所』」
岡田「あれをその、テレビで見て。『あ、もう二度とこいつの映画見んとこ』って決意しました」
竹内「あー」
岡田「こいつのデビュー作あるじゃないですか、なんか、トップをねらえみたいなやつ」
竹内「ほしのこえ?」
岡田「そう、『ほしのこえ』は少し良いと思ったけど、そこから先もう延々思わせぶりな、思わせムービー(造語?)ばっか撮るじゃないですか」
竹内「ああ、うん」
岡田「俺ね、ああいう思わせムービー撮る映画監督ってね。世界で一番嫌いなんですよ」
竹内「ハハハハハハ、いやいや」
岡田「死ねって思う。本当に」
竹内「いや、あの」
岡田「死んでしまえ新海誠、って」
竹内「(岡田の話を遮って)その、そのね、40分なんですよ、新海君の『言の葉の庭』」
岡田「はい」
   
<ここから『言の葉の庭』のストーリーを解説~中略>

竹内「まあ、それがこの映画のクライマックスで」
岡田「アニメ使って何してんねんそいつ(新海誠)!もうそれ聞いたら本当『新海誠、なんでアニメやってんの?』って思います」

■メジャーになるために”作家性をあきらめた”新海誠

今回、新海誠が挑戦したのは“作家性のあきらめ”なんですよ。
今までの新海誠は『ほしのこえ』とかでやってたような、男と女が何光年も離れて、男の方は女の子のことをずっと想っているはずが勝手に結婚しやがって、女の子の方は銀河の果てで宇宙人と戦いながら「いつかあの人に会える日が来るんだろうか」なんて考えているような、救いようのない切ない話を連続して書いて、“そこそこの評価”はあった。

でも「このままではお前はジブリにはなれない。庵野(秀明)や細田(守)にはなれない」……と言われたかは分からないけど、そこで一念発起して、「よっしゃ、わかった! 俺は中学生・高校生、言い方悪いけど“バカ”でもわかる映画を撮るぜ! オラァ、作った! ほら、バカが泣いてる!」っていうのが『君の名は。』なんじゃないかと(笑)。

作家性をあきらめて、誰にでも分かるように徹底的にベタな方向にした。だから、この作品は大ヒットしているんじゃないかと思います。

<中略>

新海誠としては、これまで作り続けてきた宇宙モノの集大成としてやっていると思うんですが、この辺りの説明を全部あきらめて、ベタなドラマに集中したのが「すげぇよ、新海! よく割り切ったな!」と思います。

ま、岡田斗司夫氏ってわりと人を見下す冷笑的な人なんだよなあ。
※そんな岡田斗司夫氏についての記事はこちら↓

松本人志氏の冷笑発言

松本人志氏は1900万人動員した『君の名は。』について、こんな発言をしていたらしい。

自身も映画監督として作品を発表している松本から「100億円を越えようと思ったら、ブスなOLを巻き込まないとな」といった発言が飛び出し、スタジオは不穏な空気に。

<中略>

非難の眼差しを向けられた松本は「ブスはおるやろ、くさるほど」と火に油を注いでしまう。

岡田氏にしろ松本氏にしろ、なんかカッコ悪いな。観客を見下して、新海監督の作品をバカにしようとしているのか。

特に、松本氏は自身の映画がヒットせず、その嫉妬の矛先を『君の名は。』の観客にぶつけている感じ。器が小さいというか、こういうのを「みっともない」って思ってしまう。これこそ負け犬の遠吠え。

そしてやっぱり新海監督に失礼。
監督の映画を見た観客をこういった形で揶揄するなんて。作品をちゃんと批評すればいいのに。

ちなみに松本さんの映画、テレビに落ちてきた時、ちょっと見たけど、意味不明でつまらなくて、すぐに消した。(すると「ブスやバカには理解できない」とでも言うのかな)

お笑いタレントとしても、ワシは松本人志氏は好きではない。毒舌に底意地悪さや見下しの空気があって、なんか笑えない。なので松本人志を面白いと思ったことはない。

まあ、松本さんをここまで嫉妬させた新海監督がすごいのかもしれないが。

君の名は。』辛口感想・評価

実は~ワシは『君の名は。』は地上波で初めて観たのじゃ。

今まで観る機会がなかった。
というか、皆が話題にしていて、なんとなくストーリーも分かってしまい……そのうちテレビに落ちてくるから、その時にゆっくり見よう、と思っていたのじゃ。

んで、その機会が訪れ、ちょうど『ぼくは愛を証明しようと思う(略して、ぼく愛)』もテレビドラマ化したんで録画をし、2作品を続けて観てみた。

※『ぼく愛』とは、非モテの男がナンパで効率よくカワイイ女の子たちをハントし、いかにセックスに持ち込むか、その方法論・心構えを説いた藤沢数希氏の小説。それがドラマ化されたのだが、原作とは違い「やっぱり本当に好きになった1人の女性を愛したい」という結果になる。

そこで二つの恋愛作品を較べながら、正直なワシの感想を述べる。

君の名は。』に共感できなかった理由

期待し過ぎたかもしれないが『君の名は。』はさほど心に響かなかった。

うむ、きっとワシの心が乾き、老化し、若者の感性を失ったからかもしれぬの。

それでも、なぜ、あまり心が動かなかったのか、考えてみたのだが――それはリアリティに欠けたからだと思った。

おっと、誤解しないでほしい。
「リアリティに欠ける」というのは『入れ替わり、タイムトリップ』のことを言っているのではない。

キャラの心情にリアリティを感じることができなかったのだ。

つまり、あの二人が愛を育む過程が、あんまり描かれなかったことで、二人の愛=想いにあまり感情移入できなかった。

そう、二人がやりとりするのは文字だけ。姿形は知っているものの、いわゆる一緒に過ごすなど直に交流をしていない中で、あそこまでお互いに心が魅かれるものなのか?

んで、大人になった二人がちゃんと出会うまで、うすぼんやりとした記憶しか持たない中、瀧は5年、三葉のほうは8年かかったことになっている。が、その間「ずっと相手のことを思い、執着できた」というのもなあ……。

キャラの感情にリアリティを感じることができず、共感までいかなかった。これが『君の名は。』の正直なワシの感想だ。

※二人の入れ替わりに3年の時間差・ズレがあったというアイディアは面白かった。んが、曜日もずれるわけで、入れ替わっている間に『曜日がずれている=年がずれている』ことに気づかなかったのか?

君の名は。』VS『ぼくは愛を証明しようと思う』

では『ぼくは愛を証明しようと思う』について――『君の名は。』と比較しながら語ってみよう。

君の名は。』が純愛なら、『ぼく愛』は真逆。女をいかにして落とすか、愛とは程遠い『女を狩るエッチゲーム』が描かれているのだが……。

最初は女をモノ扱いし、清々しいほどの女性蔑視ぶりを見せ「さすが恋愛工学」と思いつつも、ドラマでは『ゲームの空しさ』も描かれ、その空しさを抱えた登場人物らの心情に共感した。

君の名は。』のキャラの心情は共感するまでに至らなかったのに……。

まさか『君の名は。』が、『ぼく愛』に負けるとは。
ワシの心はここまで捻くれてしまったのかあ~??? と頭を抱えながら、さらに考えてみた。

そうじゃ、『君の名は。』の主人公たちの設定は『イケメンと美人ちゃん』だ。
恋愛階層では『上位』なわけだ。劇中、入れ替わった状態ではあるが、他の子から、それぞれ告白を受けるシーンもあったりする。

んで、ちゃんと友だちもいるし、孤独を抱えている感じはない。すごく『まとも』で健全。すれてない。純真・純心。世間様が『高校生はこうあってほしい』というような、皆から好かれる100点満点の人物像。

要するに瀧も三葉も欠点がない。

一方、『ぼく愛』の主人公・渡辺君の設定は『冴えない非モテ』。(もち、ドラマでは、イケメン俳優が演じているわけだけど)――恋愛階層『下位』というところからスタートする。

渡辺君だけでなく、渡辺君を指導する『恋愛マスター』の永沢さんも、どこか孤独を抱えている気がした。

女性キャラも――『君の名は。』の『すれていないカワイイ清らかな三葉ちゃん』に対して――『ぼく愛』に登場した『なんとなくすれている、簡単に男に引っかかる女性たち』は、やっぱどこか不健全であり、孤独感を引きずっている。

そう、『君の名は』のキャラたちは一言でいうと『健全』。

対して、ちょいと『不健全』なところが描写されたのが『ぼく愛』。

君の名は。』のキャラはあまりに健康的で清らかすぎ。現実から遠い存在だ。
つまり、これは完全に中高校生向きの作品だった。(大人が絶賛していたので、大人も楽しめる作品だと期待し過ぎてしまった)

だから自分には物足らなく感じ、共感しづらかったのだろう。

そーいえば、昔よく読んでいた中高生向きの漫画作品の中でも、ワシは不健全なキャラのほうに惹かれてきたっけな。

たとえば『ドラゴンボール』のベジータだったり、『幽遊白書』の飛影だったり。(あっけらかんとした悟空よりも、ちょっと不健全で葛藤抱えたベジータのほうが魅力的だよね)

健全なキャラはつまらない。これが『君の名は。』の主人公たちに惹かれなかった最大の理由だ。

あ、そうそう、リアリティの件でもうひとつ――もし、瀧と三葉が、イケメンと美人じゃなかったら、瀧はあそこまでして三葉を助けようとしなかったかも。そもそも会おうとすら思わないかも。三葉もそうだろう。というか恋愛・純愛は成立しなかっただろうな。

主人公らの設定とイケメンと美人にした『君の名は』も、そこだけはとても現実的であった。『純愛はイケメンと美人ちゃんのもの』ということだ。厳しいの~。

君の名は。』気になった点・ご都合主義

『君の名は』で気になったのが――三葉がどのようにして父親を説得して、町民を避難させたのか、そこが劇中、描かれてなかったのが、もやもや感が残る。
そこ、けっこう大事では?

その前に、瀧が入れ替わった三葉が、町民を避難させるように頼んでも、父親は『けんもほろろ』だったわけで。

三葉はどんな言葉で、あの父親を説得したのだろうか???
そこがないと、ご都合主義。なので、いまいち感が残ってしまった。

※恋愛工学関連記事 

君の名は。』楽しいネタ紹介

さて、ここからは楽しくいこう。

パロディマンガ『君の名が。』

主人公とヒロインがブサメン・ブスだったら――

ワシは、ブサメンとブスの『ギャグではないシリアス恋愛もの』を観てみたい、読んでみたい。漫画でもアニメでもドラマでもいい。いや、小説もいいけど、できれば映像作品で。でも、たぶん、そんな商業作品はありえないのだろうな。

そうそう、古いネタだけどこんなものもあった。

トランプVSクリントン

新海誠ワールド

新海誠監督について考察記事

君の名は。』原型アニメCM

君の名は。』の原型。都会の男子高校生と、田舎の女子高校生が、最後に出会う。

※メガネの女の子のほう、RPGクロノトリガー』のルッカを思い出してしまった。まあ、彼女が受験生だったなら余裕で合格だろうけれど。

新海監督インタビュー記事

新海監督は、映画の鑑賞時間を1分でも短くしようと工夫したという。脚本の段階で合計116分あった尺を、最終的に107分にまで削ったそうだ。

物語を短くする・削る作業――映画だけでなく漫画も小説も大切かも。

でも、削りすぎると味気なくなったりするし、どこを削るか、だよなあ。
小説の場合、文章はとことん短くできる。けど、やりすぎると脚本みたいになっちゃう。

無駄なシーンはどこなのか、削るべきところはどこなのか、それを探すのも創作なのかもしれない。 

童貞力『君の名は。

今現在、削除されてしまっている記事(http://honz.jp/articles/-/43487)だが、そこにこんな記述があった。

サイヤ人並の童貞力を誇る『君の名は。』】

童貞力とは何じゃ? と調べたところ――
「恋愛経験がなく女性に対して幻想を抱いている 男子の妄想パワー、行動力といった意味で用いられる」
――とのこと。

君の名は。』って幻想・妄想パワーあふれる純愛物語なのかあ。

たしかに、相手を品定めし戦略と駆け引きでバトル激しい恋愛市場から見たら――
君の名は。』は童貞力満載の物語なのだろうな。

今の時代、純愛などファンタジー
現実の恋愛は戦いと化し、厳しい戦線から離脱する非モテやオタクは、童貞力(または処女力)を育てるしかない。
(童貞力があるなら、処女力もあるじゃろう。男女平等じゃ)

が、ここでふと思う。
君の名は。』が童貞力満載作品ならば――それが、これだけヒットし人気を得たということは、皆、わりと『童貞力が炸裂した純愛物語』が好きなのではないか?

考えてみれば、ヤリチンやヤリマンの恋愛に憧れる人はあまりいない気もする。
「一人の人と愛を貫きたい」という幻想を夢見るのは、童貞や処女に限らないのかもしれない。

純愛なんて奇跡のようなものかもしれん。
その奇跡を夢見るのが、童貞力および処女力なのだろう。

でも実際に、一人の人に情熱を傾ければ、ストーカー、気持ち悪いと言われたりして『美しい愛』どころか『醜い執着』となるのがオチ。

現実は、美しい愛となりえない、相手に迷惑がられることを自覚している非モテ・オタクはファンタジーの世界で楽しもうぞ。

ま、でもワシはゲスくて意地悪い恋愛ものも大好きだけど。

    ・・・

うむ、うちの四条静也と理沙の話も『童貞力満載』かもなあ。

ちなみに理沙ちんは、静也君一人だけとしかやってない。
静也君も理沙ちんしか知らない。
うわあ、童貞力・処女力満載じゃの~。

理沙ちんは、静也君にしか股を開かないのである!

静也と理沙って誰? というそこのあなた、短編連作物語『これも何かの縁』に登場する若夫婦じゃ。

↑四季折々の日本文化をネタにしながら、ほっこり若夫婦の日常を描くほのぼの物語です。よろしくね。