これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

『天国からのラブレター』(光市母子殺害事件の本村洋氏の本)と『絶歌』(サカキバラ事件・加害者元少年の本)の共通点

光市母子殺害事件の被害者側遺族、本村洋氏の『天国からのラブレター』について語る。友人知人を実名で晒した明け透けな、えげつない内容に驚いた。

天国からのラブレター (新潮文庫)

天国からのラブレター (新潮文庫)

  • 作者: 本村洋,本村弥生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 文庫
天国からのラブレター

天国からのラブレター

  • 作者: 本村洋,本村弥生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/04
  • メディア: 単行本

目次じゃ!

光市母子殺害事件・本村洋氏の『天国からのラブレター

あまりにプライベートな内容に驚く

この『天国からのラブレター』には、本村洋氏と殺された妻の弥生さんとの間で交された『かなり個人的な手紙』の内容が掲載されている。

当初、この本を読んだ時、驚いた。
あまりに個人的な明け透けな内容で、弥生さんの手紙の中には実名で書かれてしまっている『お友だち』がたくさん登場するからだ。
この本が世に出たことで、実名で話題になってしまったお友だちの中に傷ついた人もいたのでは、と。

また、亡くなった妻の弥生さんも、こんな形で本村洋氏に充てたプライベートな内容の手紙を公開されて、ちょっと気の毒に思った。

そう、だってその手紙には友だちの悪口や愚痴も書かれているのだ。
これを友だちが知ったら、どう思うだろうか?

ワシは、もし誰かの悪口を言う場合『絶対に外へ漏らさない信用できる人』にしか言わない。絶対に漏らしてほしくない。

いやあ、この本を読んだ時、手紙っておそろしいな、と思った。

そういえばピティナで漫画『ショパン物語』を描いている時、ショパンの手紙についても思った。

そう、例えば――ショパンが19歳の時、ウィーンで『そういった商売女』を相手に童貞を喪失したとか――研究という名の下に、歴史的・世界的有名人にはプライバシーなどないのである。超有名人は手紙も公になってしまうのだ。

ショパンもこんな極東の国において、自身の童貞喪失時のこととか恋愛の事とかが明るみにされるなど夢にも思わなかっただろう。

※ちなみにピティナ(全日本ピアノ指導者協会)の漫画『ショパン物語』はこちら。

おっと話をもとに戻そう。

本村さんは同情されるべき被害者側であるが――
こういったノン・フィクション系の本を出版したことで、傷つき不快な思いをする人は出てくる。この場合、本村さんは加害者となる。
せめて、弥生さんの手紙に出てくる友人たちに「掲載してもいいか?」の許可を取るべきだったのでは、と思う。

そう、許可をとったのか、とらなかったのか――おそらく、許可をとってなかったのだろう。数年後、文庫本化されたとき、この本を世に出したことで友人知人に迷惑をかけた、と書いてあった。

もしワシが、この『友人』の立場だったら、世に出すことを絶対に許可しない。それだけこの本には明け透けなことが書かれていた。

略奪愛!親友から本村洋氏を奪った弥生さん

では、どれくらい明け透けなのかというと――内容はこうだ。

18歳の時、合コンで本村さんと弥生さんは知り合ったのだけど、当時、弥生さんの友だち『中原さん』も一緒にいた。
本村さんはカワイイ弥生さんとつきあいたかったが、弥生さんにはすでに彼氏がいると思い込み、中原さんと何となくつきあうことにした。

ま、弥生さん、かわいいし、美人だ。実際、弥生さんはよくモテたらしい。

本村さんは本の中で「断然、弥生の方が私(=本村さん)の好みのタイプだった」と書いている。中原さんとつきあうことにしたのは、弥生さんをあきらめるためだった。中原さんで『その心の空白を埋めていた』のだと。

それからは、本村さん、弥生さん、中原さんは3人でよく遊んだらしい。
が、1か月くらいして、本村さんは弥生さんに告白する。中原さんとつきあっているのにだ。

で、実は弥生さんも本村さんに好意を持っていたということで、その時にキスしてしまう。
本村さんの交際相手だった中原さんは、その時、隣で寝入っていたという。
(なんだかドラマか漫画の世界だな……)

そして、弥生さんとつきあいたかった本村さんは中原さんと距離を置く。

この時点では、まだ中原さんは、本村さんと弥生さんが好き合っていることに気づいていなかったのだろう……本村さんの態度の変わりようを、中原さんは親友である弥生さんに相談するようになる。

その1週間後、本村さんと弥生さんは自分たちの正直な気持ちを打ち明け、中原さんに謝った。
が、中原さんにしてみればコケにされた気分だっただろう。当然、二人を許せない。

その後、弥生さんは、親友の彼氏を奪った女として、中原さんを中心とした友人らから非難される。

だからなのか、弥生さんの本村さんへ宛てた手紙にはその『中原さんのこと』が、けっこう書かれている。

やっぱり読んでいる方としては『中原さん』に感情移入してしまい、本村さんと弥生さんのラブラブぶりに引いてしまう。

もしもワシが中原さんだったら、酷く傷つき、わりと長く引きずるだろうな。多感な18歳だ。そして人間不信になるだろう。男性に対し二度と心を開かない。

その後、中原さんは弥生さんとも交流を再開したらしく、その頃には、中原さんは、ほかの男性『高原君』とつきあっていたようだ……。

で、中原さんと高原君がエッチしたとき、コンドームが破れたらしく、それが『ベネトン』だったんで、弥生さんは「私も洋もベネトン使っていたけど、敗れたこと一度もないよね」「私たちも気をつけなくちゃね」と本村さんへの手紙に綴っている。

その高原君、かなり貧乏らしく、あちこちに借金しており、デートの時の食事代やガソリン代も中原さんが払っているとのことで、「高原君、なさけない」などとも書かれていた。

また、弥生さんはダイエットに励んでいたらしく、お友だちのことを「ゆかは細いけど、由佳里と雅美ちゃんはブヨブヨでした」「心の中で私の方がイケているって思った」と見下してもいた。

そして極めつけは『今まで色々な人とエッチしてた由佳里』の話まで出てくる。
で、その由佳里さんにやっと幸せになれそうな彼氏ができたんだとか。

ワシが『由佳里さん』の立場なら、その『いろいろな人とエッチしていた』というところ、絶対に表にしてほしくなかったと思うだろう。「ヤリマンだ」と言っているようなものだ。

そして、本村さんとエッチしていた弥生さんは21歳のときに妊娠してしまい、本村さんはまだ学生だったにも関わらず、結婚した。
ベネトン』のコンドームは役に立たなかったのか? あるいはコンドームしなかったのか? と思ってしまったぞ。

ということで、本村さんったら、よくこの『弥生さんとやりとりした手紙』を本として公に出したな、とかなり驚いた。
二人の初めてのエッチの話や下ネタの類もあるし。

友人知人のプライバシーは? 

弥生さんも本村さんもお互いに「好き」「愛している」を臆面もなく何度も何度も手紙に書ける人で、テレビで見る本村さんの印象がだいぶ変わった。
ワシなら恥ずかしくて、そんな手紙を公に晒そうとは思わない。
それに、友人への愚痴や悪口、マイナス面などなど――友人にしてみればそんなこと公にしてほしくないだろうことが、けっこう書かれている。

これら友人への気遣いは本村さんになかったのだろうか???

もちろん、平成19年に出版された文庫本あとがきには――
妻の友人や親せきの方々には、知らなくてよいことまで知ってしまい、ご迷惑をおかけすることも危惧しておりました。実際に出版した後に、本当にご迷惑をおかけした方も多数おられますこのことについては、本当に申し訳なく思っています。
――と書かれているのだが。
(なお、平成12年の単行本には、この『あとがき』はない)

いやあ『中原さん』や『由佳里さん』や『高原君』、ほかいろいろ出てくる友人知人……ワシが彼らの立場だったら、こんなことを公にされたくない。

そして「実は弥生さんにこんなふうに思われていたのか」と弥生さんに対し不快になるかも。で、被害者である弥生さんをそう思ってしまう自分にも、やりきれない思いを抱えることになる。

もちろん、平成19年の段階では皆、いい歳になっており『昔の思い出』として捉えることができただろうが、最初に出版された平成12年の段階ではどうだっただろうか?
その頃は皆、まだ23歳か24歳。まだまだ多感。
※この『弥生さんの手紙』は、皆が18歳から21歳頃までのことが、エッチを含め、明け透けに語られている。皆にとってはまだ『遠い思い出』ではない。

実際の中原さんはどう思ったのかは知らない。
けど、もし私が中原さんの立場だったら――心穏やかではいられない。

本村さんに『つなぎ』として交際され、すぐに振られ、実は最初から「弥生さんが好きだった」ということで、自尊心を大いに傷つけられた上、おまけに、後につきあうことになる男性のことも、あまり良く書かれていなくって……その後、本という形でこのことを公にされ……なぜ、自分が本村さんにこれほど傷つけられなくてはならないのだろう、と思う。

本村さんはたしかに同情されるべき被害者側遺族だが、大いに違和感を持った。

つまり、この本は……正直言って、えげつない。
なので、本村さんと弥生さんのラブラブぶりも、微笑ましく思うよりも、鼻に突いてしまう。

ワンオペ育児をがんばる弥生さん

とはいえ、弥生さん、実家から遠く離れた光市の社宅で、あの若さで、赤ちゃんを一人で育て、その点は本当にすごい女性だと思う。
(ただ出産直後から4か月ほどは実家のほうでいろいろ世話してもらったみたいだが)

本村さんはいつも帰りが遅い。
その上、本村さんは腎臓病を持っており、それがいつ再発するか分からない。そんな事情も抱えていた。
実際、就職して2か月間入院したこともあり、弥生さんが赤ちゃん連れて見舞いにいったりしているのだ。

今のように男性の育児参加など期待できなかった時代、子どもは母親が育てるものであり「子育てが辛い」などと思う女性は母親失格という空気が健在だった時代だ。

この本には、手紙のほか、弥生さんの育児日記(結婚後に行っていた本村さんとの交換日記)も載っているのだが、その育児日記には愚痴などの『ネガティブな表現』が全くない。

弥生さんの本村さんとの交換日記(しかし本村さんはほとんど返事していない)には、愛にあふれ、常にポジティブ。

いや本当は、ワンオペ育児はキツくて大変だったけど、本村さんが目を通すということで、そういったことはあまり書かなかったのかもしれないが……。

今の日本において、弥生さんみたいな人が結婚向き(子育て向き)な女性なんだろうな。イクメンできるのは、まだまだごくごく一部の男性だけだろうから。

愛情を素直に表現できない人たち=不器用な人たち(ハヤシも含む)は、甘え下手で、どちらかというと人間関係に苦労する。そういう人は男女問わず、けっこういるのでは。
そんな人たちから見れば、本村さんと弥生さんは別世界の人間だ。思いを寄せるのにあまりにも遠すぎる存在かもしれない。 

母は自殺・父から虐待・劣悪な家庭環境だった加害者元少年

というわけで、この『天国からのラブレター』を読み、何ということか『愛に恵まれなかった加害者元少年』のほうに思いを寄せてしまった。

もちろん、加害者元少年への死刑判決は正しい、と思っている。
あのような形で何の落ち度もない2人の人間を殺害し、償いようはなく、公平性という観点から『死刑』が妥当だ。

けれど、加害者の元少年はあまりに不幸な育ちだった。父親に酷い暴力を振るわれて育ち、母親も父親の暴力で精神を病んで自殺、その後、その父親はフィリピン人と再婚し、そこに新しい赤ちゃんが生まれ……元少年は疎外感を味わったことだろう。

家族から愛されず、虐待され、劣悪な環境で育った加害者と、本村さんと弥生さんのラブラブぶりを対比すると、何だか不条理を感じた。

いや、もちろん、本村さんと弥生さんだってそれ相応に苦労していた。弥生さんは生活保護をもらいながら母子家庭で育ち、本村さんは腎臓を患い病気を抱えていた。その上で彼らは幸せな家庭を築こうとしていたのだ。犯罪に遭いさえしなければ、世間で言うところの理想的な勝ち組人生を送れたはずだ。(ちなみに本村さんは新日鉄という大企業にお勤めだ)

ただ、その理想に全く近づけない人、愛に縁がない人もたくさん存在するのだろう。
そういう人から見たら、本村さんと弥生さんは別世界の人間、人種が違う、遠い存在である。

そうそう、こんな意見を目にした。
「もしも本村さんと弥生さんの容姿が、普通以下だったらこれほど世間の同情を集め、司法を変えるところまで世間を動かせただろうか」と。
たしかに……もしも容姿が悪かったら、メディアもここまで取り上げなかったかもしれない?

振り返ってみれば『自殺した電通の高橋まつりさん』もそうだよな。その何年か前にも電通の男性社員が過労による自殺をしたが、世間は全く騒がなかった。
けれど若く美人な高橋まつりさんの自殺は相当なインパクトがあったのだろうか、世間が騒ぎ、社長が謝罪し、電通の労働時間が見直される運びとなった。

ここに世の中の本音を見た気もする……。

性犯罪被害者

この『天国からの手紙』の中では、『現在の心境を語る本村さん』によるこんな記述があり、これも少々気になった。その記述とは――

【女性は襲われた時、自分の命を守るためにその凌辱に甘んじることがある。死への本能的な恐怖から、成功をやめてしまう。しかし、死への恐怖すら乗り越えて、弥生は抵抗をやめなかった。最後の最後まで拒否し続けた。弥生は心から私を愛してくれました。だからこそ犯人に対し最後まで必死に抵抗し続けたのに違いありません。弥生は私以外の男に汚されることを命を賭して、拒絶したのです】

もしレイプ事件などの被害女性がこの本村さんの記述を見たら、傷つく人もいるかもしれない。自分は最期まで抵抗できずに生き残ってしまったと。凌辱に甘んじてしまったと。自分は拒絶できなかったダメな人間だと。

愛情格差・甘え上手と甘え下手

この『天国からのラブレター』を読み、なぜか――甘えベタで人と距離を置いてしまい、人間関係を築くのが苦手な人たちのことを思ってしまった。そう、本村さんと弥生さんの真逆に位置する人たちだ。

あまり愛情表現されるような家庭で育たなかった場合は、そういう人に育ってしまうかもしれない。

けど、母親にしてみれば、育児にいっぱいいっぱいで、中には子どもにキツク当たったり、虐待めいたことをしてしまったり、子どもに暴言吐いたりすることもあるだろう。
そんな母親、あるいは父親も多いと思う。それほど育児は大変だ。
もちろん、愛情表現がないから愛情がないとは言えないのだけど。

両親が厳しく、キリキリした中で育た子どもは甘え慣れてない。甘えたくてもどうしたらいいか分からないので、人から引いてしまい、自分も愛情表現が苦手で、人に壁を作ってしまう。
おそらく「甘えても受け入れてもらえない。親に受け入れてもらえてないのだから、他人が受け入れてくれるはずがない」と思っているのかも。
で、何かと「ごめんなさい」と口にする。遠慮することが多い。
そういう子はなかなか他者に心を開けない。
彼氏彼女どころか友人も少ない。
でもそういう人、意外と多いのでは、と思う。

対して――『天国からのラブレター』を読む限り、弥生さんはとても素直で甘えるところは甘える。本村さんもそれにちゃんと応える。世間でいうところの『理想の恋人同士』に見える。
二人とも、愛情いっぱいの中で育ったという感じだ。
弥生さんのところは母子家庭で生活保護を受けていたというので、決して恵まれていたわけではない。けど愛情には恵まれていただろう。

一方、犯人は……。

他の人の批評・感想

ワシがほぼ同感した『天国からのラブレター』の他の人の感想を紹介しておこう。
アマゾンレビューより一部抜粋。

ラブレターの中での、他人への侮蔑や非難。本村さんの思い。彼らの性格についてはさておき、本の中に登場する周囲の人々・本を読む人への気遣いがありません。
感情的になるあまり、配慮に欠けてしまったのかもしれません。
若さゆえの言動であったかもしれません。
しかし、それを本として形にする以上、気づかないうちに、彼らに関った人々やこの本を読む犯罪被害者に対して、彼らが「加害者」になってしまう危険性があります。
それを彼らが被害者であるからといって、私は「仕方ないよね」と流してしまえないものを感じました。

彼らにとってこの本は、本当にプラスになったのだろうか?
私個人にとっては、なんとも、後味の悪い1冊の本であり、本村さん家族に対する気持ちが少なからず、変化してしまった本でした。

犯罪被害者としての彼の心情については、経験した事が無い私には計り知れず、慰めの言葉も見付からない。
しかし、彼がこの様な本を出版したのだから、敢えて言わせていただくと、犯罪被害者だからといって他の人よりも大きな権利を持つわけではない。
よって、手紙の公開の仕方は唖然。
人権やプライバシーという言葉を知らないのだろうか?

ネットではなぜか犯罪被害者=神聖不可侵になっているが、アマゾンのレビューは自分と同意見が多く安心した。

個人的には、生まれた時から父に暴力を受け続け母は自宅で首吊り自殺という悲惨な18年の生涯を閉じる加害者と、彼に死刑を求め続けつつ新しい妻子を得て今隠せない程の喜びに満ち溢れている未来ある著者を比較すると、複雑な気分になるのは否めない。

この本はちょっと…。正直、私が同じことをされたらゾッとします。イマドキノ若者言葉でいうと、イタイ内容だと思います。

まず、倫理上よろしくない事(未成年飲酒の数々、偽造テレホンカード使用、道交法違反検挙での暴言等等)が内容にあります。 
そして友人や親しい方への悪口や性生活に関する記述があり、非常に気分が悪くなりました。

露骨な下ネタ(あそこの大きさがどうのとか、こんな下着を買ったなど)が満載なので実はR18ではないかと思います。

 ほかのところからの感想・抜粋。

弥生さんが書いた元親友への愚痴、「あの子には赤ちゃんを見せたくなかった」とか、「彼氏を取られる方も悪いのにまだねちねち文句を言っているらしい、ムカつく」とか、そこまで載せちゃよくない気がする。

出版界に問題あり

酒鬼薔薇(サカキバラ)『絶歌』との共通点

『絶歌』――サカキバラ事件の加害者が、被害者遺族に許可を得ずに、当時の事件のことを書いた本が出版され、世間から非難を浴びたことがあった。

その『絶歌』と『天国からのラブレター』が重なった。

『絶歌』の出版によって傷つけられた被害者遺族と、『天国からのラブレター』出版で、実名で登場している友人たちの傷と、同列に較べられないが、傷ついたという点は同じではないか、と。

人を傷つけてまで、それを出版したかったのか? 
(あとがきで、本村さんは「迷惑をかける可能性がある」と自覚していた)

いや、したかったんだろう。人を傷つけてでも。
だからこそ『絶歌』と『天国からのラブレター』にエゴという共通点を感じてしまった。『絶歌』は加害者、『天国からのラブレター』は被害者遺族という真逆な立場だけど。

本村洋さんの、生前の弥生さんの手紙をそのまんま掲載した『天国からのラブレター』について、実名で登場する友人たちに許可をとらずに出版してしまい、中には傷ついた友人らがいたのでは、と書いたが――

本来、編集者がこのことについて、本村さんに指摘し、手紙の内容を一部削除して編集するか、あるいは友人らに許可をとることを指摘するべきではなかったのでは、と思った。

当時、この手紙を本にしようという話になった時、本村さんは事件を風化させたくなく、とにかく世に訴え続けたかったのだろう。当初は、この本が出版されることで、友人に迷惑がかかることまで気がまわらなかったのかもしれない。

弥生さんの手紙を本にしようと提案したのは、本村さんなのか、企画を立てる編集者側だったのかは知らないが……

この『天国からのラブレター』は私信なので、第三者には非常に読みにくい。何も手をくわえず、手紙の文章をそのまんま載せているのだ。

編集者はどういった仕事をしたのだろう? ほとんど編集らしい仕事をしていなかったのでは?
ただ、当時、有名だった本村さんの本が出せればそれでよかったのか。
『あの本村さんの妻・弥生さんのラブレター』というのは『いい売り』になっただろう。必ず、ある程度以上の部数は売れると踏んだ。

で、あの内容は、ある意味、衝撃的であり、そこそこ売れたのだろう。後に映画化もされた。

本村さんだって聖人ではない。弥生さんだって普通の女性だ。友だちの悪口くらい言うし、下ネタだって話すだろう。そう、弥生さんは、友だちの悪口や下ネタが言えるくらいに、本村さんに気を許していたということでもある。

ただ、その友人知人らを実名で出し、編集を加えないまま、友だちを傷つける箇所をそのまんまにして公に晒すことは問題だったと思う。

友人たちも当時23歳か24歳。
弥生さんの手紙に書かれたことは、平成12年に出版された当時、まだ『昔の遠い思い出』にはなっていない。

本村さんがこのことに気がつかなくても、編集は気づいていたと思う。編集部はクレーム経験豊富だから。

それなのに、編集側は本村さんに何のアドバイスもせず、友人たちを困惑させることになるだろう箇所をそのまんまにして出版した。

おそらく、友人らに許可をとるようにアドバイスしなかったのだと思う。
だって、許可はとれない可能性が高いから。ワシがあの友人の立場なら許可しないもの。

許可をとるのは面倒だ、編集の仕事が増える。最悪、許可が得られなかったら企画はとん挫し、本にならないかもしれない。編集部としては、それだけは避けたかっただろう。

『絶歌』だって、事前に被害者側遺族に許可をとれば良かったのに、あえてそれをしなかった。それは遺族が許可しないことを分かっていたからだろう。

一番エグイのは出版社・編集部かもしれない。

※なお、あの忌まわしい事件から13年後、本村さんは再婚された。