コスパの呪い・ちきりんさんに異議あり『無料ドーナッツのために1時間並ぶこと』について☆新刊本も予約待ちして図書館で借りる節約派
こんなツイートがあった。
「なぜプロブロガー的な奴は『宝くじ行列』はディスるくせに、『初詣行列』はディスらないんだ!?」
たしかに初詣の行列も無駄な行いだよなあ(笑)
無料ドーナッツをもらうための行列なら、少なくともドーナッツはもらえる。が、神様に願い事をしても、神様に叶えてもらえるわけないし。
初詣こそ、コスパ悪すぎ~、無駄な行為(爆)
っていう考え方……豊かなんだろうか? なんか味気ないよなあ。
ま、ワシは初詣は行かないけどさ。行くとしても近くの閑散とした神社で充分。人混み嫌いだし。ちなみに宝くじも買わない。
初詣にしろ宝くじにしろ、ワクワク感があるんだろうな。そのワクワク感を無駄だというと、ほんと、生きているのが無駄に思えてくる(笑)
ただ、ディスりたい人の気持ちもわからないではない。人をディスるのが気持ちいいんだろうな。なんか偉くなった気分になれるんだろう。
と前置きはこれくらいにして本題。
時は金なり? コスパで量る人生って豊かなの?
成功者の中にはいちいちコスパを気にしている人がいるけど、余裕なくて貧しそうに見える。
『本を図書館で借りること』について、そして『図書館での新刊予約待ち=無料のために時間をかけること=無料ドーナッツのために1時間並ぶこと=コスパ』について語ろう。
いやあ、コスパの呪いにかかっている人、多そうじゃの。
目次じゃ!
コスパで考える貧しい人生指南
本を買う派 VS 図書館派
社会的成功者でもあり稼げている人たちの発言力は強い。
たいてい、そういう人たちは「本は買え」と言う。
本を買って、いち早く情報を得て、マネタイズできる人はそれでいいと思う。
また「節約するよりも稼ぐことを考えろ」と言う。
『時間を有効活用して稼げる人』はそれでいいと思う。
頭では分かる。「節約するよりも稼ぐことを考えろ」は正しい。それが成功者への道じゃろう。
んが、さほど経済的余裕があるわけでもなく、稼げない=マネタイズすることができないワシのような人は「節約志向でいけ」と思う。
成功者のいうことを鵜呑みにしなくてもいい。
自分の能力、性格、環境に合った生き方でいこうぜ。
というわけでワシは節約派。
よって、本は図書館で借りる派。
新刊も予約して数か月待てば借りることができる。人気作は1年くらい待つかもしれないが。
ワシはそれでOK。
エンタメ系であれば、1年後にはつまらなくなっている、なんてことはまずないし。
情報系も、すぐに役に立たなくなるようなものは、そもそも本には適していない。たいてい1年後でも通用するような類のものだ。
図書館派は『作家と出版社の敵』かもしれないが、違法行為をしているわけではないし、「作家と出版社のために買え」と強制される謂れもない。「お金を払ってでもすぐに読みたい」「買ってずっと手元に置いておきたい」と思えないのだから、仕方ない。
やっぱ本は高いし、狭い部屋の中、置き場所に困るし、かといってなかなか捨てられないし、デジタルはなんか目が疲れるので長編は読めないし……。
税で運営されている公立図書館。よって税金をたくさん払っている人には感謝しつつ、本を買って作家・出版社を支えている人にも感謝しつつも、「節約派は堂々と図書館利用でいけ」とワシは思う。
だいたい、本を買うことによって、どういったリターンが得られるのか――考えてみるに、ワシの場合、全くない。
「ただほど高いものはない」とよく言うけれど「図書館に限ればそれはない」というのがワシ個人の結論。
「作家と出版社の敵だ」というのであれば、図書館を批判・攻撃すればいい。税金をそんなところにかけるなってね。
けど、経済的にさほど豊かではない人にとって、図書館はありがたい存在だ。仮に図書館がなくなったら本を買うか? というと……ワシは買わないだろう。
これって貧しい考え方なんだろうか? ま、ケチではあるな(笑)
無料ドーナッツのために1時間並ぶことについて
そこで、こんな話題が目についた。ちきりんさんのツイートがプチ炎上。
一時間並んで150円×2=300円のドーナツをもらうのは、「時給300円のアルバイトをするのと同じ」だと分かってない人が多すぎ。 https://t.co/XrqW6Tv6d9
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) October 9, 2017
無料ドーナッツのためにかけるその1時間を『無駄、コスパ悪』と考えるか否か、だよな。
その1時間――読書するなど時間活用できるのであれば、並んで無料ドーナッツを手に入れてもいいのではないかと思う。
ワシも、立ちっぱなしでも辛くない若い時なら並ぶかも。
(今は辛いのでしない。本は寝ながら読むのが一番じゃ)
あと、数十円・数百円安いからと、わざわざ遠いスーパーへ『広告の品』を買うのも、人それぞれだよね。
時間はかかるけど、運動になると思えば、それなりの価値がある。
無料ドーナッツのために並ぶのも、そこで何らかの楽しい暇つぶし(読書、スマフォいじり、あるいは友だちとおしゃべり)ができるのなら、別にいいのでは。いや、ボーっとしていたってかまわない。
読書やスマフォいじり、友だちとのおしゃべり、ボーっとすることが「無駄だ、価値がない」と一概には言えないしね。
その『数十円、数百円の得』って、高収入の人から見たら、全くゴミのような金額である、というのは頭では分かっているんだけどさ。
稼ぐことに比重を置いている人、時間の無駄使いが嫌いな人は『無料ドーナッツのために並ぶ人』『数カ月待ちで予約して図書館で新刊を借りる人』は理解できないだろう。
生きている世界・価値観が違うので、これは別に理解し合うことでもないし、「ああ、そういう考えもありなのね」くらいなことだ。
何を無駄に思うかも、どこに価値を置くかも人それぞれ。
なのに、そこに『見下し』が入るから、空気がざわつく。
いや『見下し』は仕方ないんだけどね。
人は理解できないものに対し、どうしても『見下し』が入ってしまう。
けどさ、いつも効率やコスパを考えて生きるのも味気ないかも?
つうか、効率を考えず、コスパを考えずに生きることができるほうが豊かだと言えるかも。うん、日本はほんと豊かだね。いいことではないか。
効率やコスパを考えすぎると、心が貧しくなる気もする。つきつめていくと、生きていること自体が無駄に思えてくるから要注意だね。
いや、だってほんと『コスパのみ』で考えれば、恋愛もナンパも結婚も子育てもコスパ悪いよね。それらって効率良くいかないよね。
ま、数十円・数百円安く買えて得した気分になるのも――
お金と時間かけてナンパ成功して嬉しい気分になるのも――
そこにはコスパでは測れない何かがあるのじゃ。
『趣味』は楽しいかどうか、それだけのこと
もうひとつ気になった、ちきりんさんのツイートを紹介。
https://twitter.com/InsideCHIKIRIN/status/923747952346009600より
テレビで「87歳のAさん、65歳で定年引退し、今はウオーキングが日課です」とかって紹介されてるけど。。。22年間、ウオーキングが人生の中心って飽きないのかな
ワシの場合、ウン十年、ピアノを練習しておる。それもほぼ同じ数曲。
弾き続けないと忘れるんで。新しい曲の開拓はなし。
「飽きないのか?」と、これはピアノをやっている人からも疑問に思われるかもな。
ワシとすれば「飽きない」というよりも日課。食事や歯磨き、入浴するのと同じ感覚。
『ピアノ弾きの人』に説明するなら、『ハノン』をやっているのと同じようなものといえば分かっていただけるだろうか。
もちろん、カビの生えたつまらない趣味であり、人によっては騒音であり悪けりゃ近所迷惑だと重々承知しつつ、続けている。腕が落ちないように維持するだけで、成長も見込めず、ほんと無駄なことかもしれない。
けど、それを言ったら、歳をとればとるほど劣化していくのだから、生きていること自体が無駄に思えてしまう。
『オタク』もそうだけど、人に理解されない趣味って意外と多いかもね。けど、それも人それぞれ。楽しいか楽しくないか、それだけのこと。人に理解されるためにやっているわけじゃないし。
ワシから見れば、芸能人や韓流スターを追いかけている人のことは理解できないし、スポーツ観戦も何が楽しいのかこれまた理解できない。けれど見下そうとは思わない。ただ自分には分からないってだけの話。
趣味に意味とか価値とか求めても仕方なし、楽しけりゃいいじゃん、そんなもの。
つうか、いちいち意味とか価値とか求めるの息苦しくね?
時間・効率について考えさせられた言葉を紹介
誰も他人の時間なんて奪えないし、そもそも時間を所有することなんてできない。ただ流れていく時間(人生)にどういう感情を乗せていたいか、じゃないのかな。
— 服部慎也(Shinya Hattori) (@FACTDEAL) 2017年12月26日
負の感情で時間を過ごした時は時間を奪われたと思うかもしれないけど、負を知るからこそ正がわかるわけで。yin-yangだね。 https://t.co/uvO8oJbWT8
ヒトは価値がわからないと「スキルよりも努力」で価値を決めてしまう
— アプリマーケティング研究所 (@appmarkelabo) 2017年12月25日
あるカギ屋さん、新人でカギ開けに苦労してた頃は、たくさんチップをもらえた😂
しかし、スキルが上がり「努力の可視化」がなくなると、なぜかお客さんは「高い」と怒るようになった😡
アリエリー教授の「行動経済学」入門 より pic.twitter.com/FLzqeLv18Q
余談・ハヤシにとっての無駄な時間
ワシにとって「無駄な時間を過ごしてしまったなあ」と今でも思うのは、一般大学へ出向いての『普通の人たち』との交流だったな。
※その話はこちら↓で触れた。
けど、浮いてしまい、居心地悪かった。『普通の人』になろうと思って、あえてそういう場に身を置いてみたのだが、劣等感を募らせただけであった。漫画がなかったら心をこじらせていただろう。
自分を矯正しようというのはいい結果を生まないな。
それと較べりゃ、1時間並んでドーナッツを手に入れる方がずっといい。
というか、その1時間は自分の好きに使えるわけで、さほど無駄とは思えない。
自分とあまり合わない人たちとの義理でのつきあいが一番、無駄かもなあ。楽しくないし。
いや、もちろん、合わない人たちとのつきあいも大切にし、理解し合おうと努力することに価値を置きたい人もいるだろう。
ほんと、人それぞれ。自由に過ごせばいいと思うよ。
ちなみに『これも何かの縁』の四条カップルも休日は図書館へ行って読書して過ごす節約志向のインドア派。
※四条カップルって誰? と思ったそこのあなた、ここをどうぞ↓