前話「大晦日の願いごと」の続きといえば続き。大晦日の晩から年越しにかけてのお話。
お茶の健康ネタ、柚子風呂ネタ、年越し蕎麦ネタを織り交ぜつつ、ほのぼのハートフルな若夫婦の物語……というか『聖夜』と同じ展開となり、煩悩に満ちた年を越すのだった。
以下、物語本文。
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ピリピリとした痺れるような寒さに覆われた大晦日の夜。
厳しい外界をシャットアウトした暖かい部屋の中で、静也と理沙は夕食後のほうじ茶をすすり、和んでいた。
四条家では食後に飲むお茶は、タンニン少なめのお茶――ほうじ茶か玄米茶と決めている。ちなみに夏は冷やした麦茶。
普通の日本茶だと多量に含まれているタンニンのせいで、食事でせっかく摂取した鉄分を壊してしまうからだ。
鉄分の不足は貧血はもちろん、不眠にもつながり、健康を害する。睡眠不足は体の免疫力を弱めてしまう。
ただ、カテキンも摂りたいところ。なので、日本茶はおやつの後に楽しむようにしている。
そんな健康オタクな静也と理沙の今年最後の晩ご飯は、健康長寿を願った海老料理だった。
ま、日本の大晦日に食べる料理としてはいまいち情緒に欠ける『エビチリ』ではあったが――それもまた一興だ。
しばしの食休みのあと、静也は夕飯の片付けと皿洗いを始め、理沙に風呂に入るよう勧めた。
今日は柚子湯。理沙はありがたく先にお風呂をいただくことにした。
「うわあ、いい匂い」
湯船の蓋を開けると、湯気と共に柚子の香りがふんわりと広がった。思わず深呼吸。
さっそく体を流し、柚子がプカプカ浮いている湯に浸かった。
「ふわ~」
思わずため息が漏れる。
柚子の香りが今日一日の疲れを癒してくれるようだ。
体も芯までポカポカしてきたが、それもそのはず、柚子の成分には血行を促進させる働きがあるため、新陳代謝が活発になり、疲労回復と冷え性に効果があるのだ。
また、日本には昔から強い香りがする植物で邪気を払う風習があり、香リ高い柚子湯は、体を浄めて厄払いするための禊(みそぎ)にも使われていた。
本来、冬至の日に入る習慣がある柚子湯であるが――
冬至は太陽の力が一番弱まる日であり、この日を境に再び力が甦ってくるということで、昔は冬至を一年の区切りとしていた時代もあったようだ。
そこで四条家でも、新しい年を迎える前に邪気を払い、己を清めるため、一年の区切りとなる今日の大晦日も入浴剤ではなく、本物の柚子を浮かべた柚子風呂にしたのだった。
「これぞ日本の豊かな風呂文化だね」
体や髪を洗ったあとも存分に柚子湯に堪能した理沙は、浴室をあとにし、着替えて廊下に出る。ひんやりした空気が気持ちいい。
普段なら身震いしそうな冷気もなんのその、理沙の体に宿ったポカポカ熱には敵わない。柚子湯パワーはなかなかのもの。
浴室の隣にあるキッチンからは灯りが漏れ、うす暗い廊下を照らしていた。
まだ皿を洗っているのかと覗いでみると、そこには流し台やガス台をピカピカに磨き上げている静也がいた。
「わあ、キレイにしてくれたんだ。ありがとう」
「ま、汚れを落とすということで、これも厄払いだ」
「お疲れ様。柚子湯、入ってきなよ」
「ああ」
掃除を終えた静也も自身の厄払いを済ませるため、浴室へ向かった。
その間、理沙のほうは寝室としている和室へいって布団を敷いたり、のんびりと年越し蕎麦の準備に取りかかる。
年越し蕎麦は、蕎麦の長さにあやかって健康長寿・家運長命の縁起をかついで食すようになったらしい。
また『蕎麦は細くて切れやすい』ので、一年の厄を断ち切るという意味もあるようだ。
その後、テレビを見たりして暇つぶしをしていると、風呂を済ませた静也が、理沙のいるキッチンへ戻ってきた。
「夕飯きっちり食べたのに、何で小腹が空いているんだろ」
「ま、朝食抜いているしね。年越し蕎麦が3食目ということでいいんじゃない?」
理沙のほうは夕食を控えめにしておいたので、まだまだお腹に余裕があった。お腹がすぐに空くのは若い証拠、元気な証拠。年末年始の期間、ダイエットについてはこの際、横に置いておく。
そうこうしているうちに健康長寿・厄払いの願いが込められた蕎麦が茹で上がり、さっそくいただくことにする。
テレビでは日本の各地方や海外の様子が紹介され、ドンちゃん騒ぎをしている人々の姿が映し出されていた。
「やっぱ、静かに除夜の鐘を聞きながら年越しするのがいいよな」
「日本の情緒ってヤツね。テレビ消そうか?」
「ああ」
テレビが振り撒いていた雑多な音が消えると、食卓は静寂に包まれ、二人の蕎麦をすする音だけが響く。
その音の合間に、遠くから除夜の鐘の音が運ばれてきた。いよいよ年越しだ。
――除夜の鐘が、煩悩を……心の汚れを祓ってくれている……。
鐘の音の微かな余韻を耳で味わいながら、年越し蕎麦を食べ終える。
けど、ちょっとまだ物足りないので、お節をつまむことにした。
「寝る前にこんなに食べるのは健康には良くないけど、今日は特別ということで」
理沙は和室の座卓に置いていたお重を食卓に運ぶ。
静也は喜んで、栗きんとんを頬張った。
口に広がるねっとりとしたきんとんの甘さ、栗の確かな歯ごたえと風味がたまらない。舌がとろけそうだ。
次にお煮しめの里芋を口に運ぶ。
「土の中で小芋をたくさんつける里芋は『子だくさん』の象徴なんだっけな。だから里芋料理は子孫繁栄の願いが込められているんだ」
そんな話をしているうちに……何ということか、静也はムラムラしてきた。清い心はどこへ行ってしまったのか。『子孫繁栄』から、つい『子作りのこと』を想像してしまった。
まだ除夜の鐘が鳴っているが、静也の煩悩を吹き飛ばす力はなかったようだ。
しかし、静也はこう考え直す。
――夫婦なんだし、愛を確かめることのどこが『悪しき煩悩』なんだ?
疑問に感じた静也は、例のごとく思考を始めた。(思考することは静也の趣味であり性癖なのだ!)
「肉欲におぼれるな」とは、不倫とか浮気のことを指しているのだ。
子孫繁栄を願う夫婦間の行いであれば、清く正しいことではないのか?
というか、これこそが清く正しい行いだ!
『夫婦間の性欲に限っては正しい煩悩』と定義づけをした静也は悟りを開いた気分になった。
除夜の鐘も心なしか静也の応援してくれているように聞こえてくる。
年越し蕎麦の後片付けもそこそこに静也は和室に行き、人肌が恋しくなるように暖房を消しておいた。ポカポカ柚子湯パワーもそう長引かないはず。
ちなみに静也と理沙が住む2DKの賃貸アパートは洋間と和室があるのだが、狭い洋間にベッドを置くと不便になるので、いつも和室で布団を敷いて寝ている。
二人の新居を選ぶ時、静也は和室にこだわった。
昔、両親と生活していた頃も和室があったし、畳や襖や障子の風情が何となく好きだった。経済力があったら床の間も欲しいところだ。
ああ、日本人として、畳の上に敷いた布団で、除夜の鐘の音を聞きながら正しい煩悩のもとで行われる夫婦生活――これこそが素晴らしい年越しの過ごし方のように思えた。
静也は『煩悩についての考察』を理沙にふっかける。
夫婦間の肉欲は正しい煩悩であるが、子孫繁栄を願うという建前上、避妊をすれば、その正しさが薄れてしまう。
よって、穢れを落とした年越しの夜だけは避妊をやめて、清く正しい行いをして新年を迎えようではないか。
それに子孫繁栄は少子化問題に沈む今現在の日本の皆の願いでもある。
そう静也に言いくるめられた理沙は――
さっき摂取したばかりの年越し蕎麦やお節のカロリーもできるだけ消費しておきたい……そのままにしておけば、そのカロリーは恐ろしい贅肉に化け、一番気にしている太ももにまとわりつくかもしれない……。
栗きんとんを食べ過ぎてしまったためだろうか、年末年始はダイエットのことは横に置いておくつもりだったけど、やっぱり気になってしまい、静也の誘いに乗ることとなった。
正しい煩悩のもとでの正しい行い――静也に『里芋へ込めた子孫繁栄パワー』が宿り、さらにそこに除夜の鐘突き棒が乗り移ってしまったというところか。
ま、百八回は無理かもしれないが。
理沙にも『里芋のお願いパワー』と『除夜の鐘』が何らかの影響を与えたのだろうか……打てば響く除夜の釣鐘状態となった。
そして、静也からのお年玉を受け取ってしまうのであった。
ま、すでに理沙のお腹の中には、先日の聖夜の時に贈られたものが宿っていたのだが、この時の二人にはまだ知る由もなかった。
というわけで結局、先日の聖夜と同じ展開になった二人。
清廉な気持ちで静かに年を越すのではなかったのか、と思わないでもないが……。
煩悩にまみれた年を越し、夫婦円満に新年を迎えたのであった。
明けまして、おめでとうございます。
※次話
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