炎上・はあちゅうさんのセクハラパワハラ問題と童貞弄り問題
↑短編連作物語『これも何かの縁』より『セクハラ鏡餅』――まさに『表現の自由とセクハラ』がテーマ。タイトルを見て分かるように硬い話じゃございません。
さてさて今回の件では、社会制裁を与えられ、謝罪をした岸勇希氏のセクハラパワハラ問題よりも、童貞弄りをしたことが非難され、謝罪を一回したものの取り消してしまったはあちゅうさんのほうに興味の焦点が当てられてしまった。この問題がこれだけ長引くとは当初、想像もしなかった。
で、こんなことを思ってしまった――人は、見下している相手に決して心からの謝罪などしない。
今思えば――一度は謝罪したはあちゅうさんだったが、その詳細な謝罪文は課金制のサイトで発表し、その内容はふざけた感じの『ヘイポー謝罪文』であり、真摯なものではなかったようだ。そしてその後、謝罪そのものを取り消した。
※ヘイポー謝罪文についてはこちらをどうぞ。
そして――自分がされたくないこと(見下し・からかい・嘲笑・侮蔑・蔑視)は、基本、他者に対してもしないほうがいい。
自分も同じことをされても仕方ないし、批判する資格がなくなってしまう。
自分がやられて嫌なことは人にもするな――平和に暮らしたい一般の人たちが持つ倫理。
だから表現の自由はあるけれど配慮はしよう。一般人はそう考える。でも、はあちゅうさんは? これがこの問題が大きく炎上した根本的な理由だ。
目次じゃ!
- まとめ
- はあちゅうさん関連記事・同業者たちの言動
- 弱者特権
- 『恋愛の呪い』から逃げようぜ
- めいろま氏VSはあちゅう氏
- 表現の自由VSいじめ・セクハラ
- 差別問題に精通している人は童貞弄りを重く見ている
- 加害者は過ちを認めたらがない
- はあちゅうさんの告発・電通時代のセクハラパワハラ
この問題に興味を持っているだろう人が知っているだろう基本情報は一番下にあります。
まとめ
一番の問題はセクハラの定義があいまいであることだ。
性が絡む言動に不快を感じれば「セクハラ」と思っている人もいる。それが、個人に対する言動はNGで、不特定多数に向けられた言動はOK(しかしヘイトスピーチは規制されている)に納得できないのは分かる気がする。
これは『表現の自由』との兼ね合いが難しい問題だ。
それこそフェミがよく叩く『エロ表現』『漫画絵による二次元児童ポルノ』ともリンクする。女性にとっては不快な表現が問題視され、規制を訴えることはどうなのだろう?
結局、どこで線引きするのか、なんだよなあ。けど、線引きを決めるのは誰?
また『表現・言論の自由』の観点から侮蔑・蔑視発言をしたい人には自由にさせておき、それに対し、批判・非難の声をあげればいいと思っている。なので、はあちゅうさんが『童貞侮蔑発言』をするのは自由なのだ。しかし、そこに批判・非難が噴き出すのは当然のことなのである。批判や非難も自由だ。
※今回の問題を端的に表したツイートと図。
岸勇希氏がはあちゅう氏にパワハラ・セクハラし、はあちゅう氏が童貞を嘲笑する。強者男性>強者女性>弱者女性>弱者男性という力関係を、よく現した事例と言える。 pic.twitter.com/PYqg7vupw7
— 高須 スバル (@spartacusjp) 2017年12月18日
はあちゅうさん関連記事・同業者たちの言動
赤木智弘氏の告発
はあちゅう氏の雑談用アカウントに「昔から粘着をしていた」というデマを流され「クズ、最低人間」と罵られました。粘着とは全く身に覚えのないことなので、謝罪をするか、もしくは粘着の根拠を要求しましたが、返答無きままブロックされました。 pic.twitter.com/38yOjnLKI5
— 赤木智弘@中了潤巾退 (@T_akagi) 2017年12月21日
さすがにこれは、はあちゅうさんに非があるように思う。皆の目に触れる公の場で匿名ではない相手(しかもライター・同業種の人)への「クズ」などの暴言は首をかしげる。いくらでも言い方はあるだろうに。
感情のままに礼を欠く言動をすれば、信用を落とす。人生指南の著書を出しても説得力に欠けてしまう。
不特定多数への童貞弄りよりも、こういった個人への罵詈雑言のほうが深刻だ。これだけで人間性を疑われてしまうから。
※少なくとも、赤木氏による『はあちゅうさんへの罵詈雑言』は見当たらない。あったのなら、はあちゅうさん側が証拠として出すだろう。
吉見憲二氏らによる、はあちゅうさん弄り
↑本人のいないところで、三人のいい歳した男性らが寄ってたかって、はあちゅうさんを弄り倒して哂う、イジメみたいな記事。カッコ悪い印象を持った。
ただ、赤木氏の告発を見ると、吉見憲二氏らも腹に据えかねることがあったのかもしれない。
ほか参考になった関連記事
#Metooのような運動には何よりも『公平さ』が重要。二重基準では説得力がなくなり、支持されない。
弱者特権
これからの時代、ネットで告発していく方法が増えるにつれ、『被害者・弱者を装って気に入らない強者を告発する人』も出てくるだろう。
『弱者』という地位はお得。ややもすれば特権階級?
「弱者」って、もはやブランドですよね。皆弱者認定されたがっている。「我こそは弱者なり!」で「ははーっ!」てみんな跪くから。
— 高須 スバル (@spartacusjp) 2017年12月27日
だから弱者男性という言葉を使うだけで叩かれる。男などにブランド渡してたまるか!的に。発達障害も昔はノロマ言われてたけど、これからはブランド化していきそう。
弱者男性
ネットで自分のことを弱者男性だと自ら規定して、「自分たちは被害者だ!女性は加害者だ!」と訴えている人たちは、経済面における弱者でも恋愛SEXの面における弱者でもなくて、自己肯定感における弱者だと思う。だって貧乏でモテてなくても、女叩きなんてしない自己肯定感高い人たちだっているから。
— 勝部元気 Genki Katsube (@KTB_genki) 2017年12月22日
童貞や非モテを見下す世間から、侮蔑され続けていたら、自己肯定感など持てない。自己肯定感を持て=自信を持てというのは、男は強くあるべしというマッチョイズムな考えではないのか。
ま、フェミにとっては『弱者男性』の存在は厄介だろうな。もしかして敵である男性は強くあってほしい??? 弱者は叩けないものね。
弱者という盾を持った強者
あと、これも合わせて読んでほしい!この件については以上です!
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年12月19日
→はあちゅう 過剰な配慮と強すぎる「弱者」に違和感 https://t.co/Nmk7OmXTbd
『オタクや非モテ・童貞を揶揄し、哂いものにする女性』も『強すぎる弱者』かも。そう、彼女たちは『弱き女性』という盾でもって、自分たちの行いを正当化する。
ほかに『弱者の盾』でもって「もっと配慮しろ、もっと優遇しろ、オレたちの悪口を言うな、批判も許さない」と主張する在日外国人や障害者、生活保護受給者もいる。
では『強すぎる弱者』に、はあちゅうさんが揶揄してきた『非モテ・童貞』は入るのだろうか?
童貞弄り問題が炎上している今の時点で、はあちゅうさんがこのツイートを持ってきたということは、はあちゅうさん自身は「非モテと童貞は、強すぎる弱者だ。被害者ぶって、ちょっとした揶揄、からかいでガタガタ騒いでいる。配慮を求め過ぎている」と思っているのかもしれない。
ならば男性も、ちょっとしたことで騒ぐ女性を『強すぎる弱者』『被害者ぶっている』と見てしまうかもしれない。
デスクの上にポルノ写真があったっていいじゃん、ちょっとエッチな会話をしたっていいじゃん、容姿について何か言ってもいいじゃん、女のほうこそ過剰な配慮を求め過ぎている――女こそ『強すぎる弱者』だと。
はあちゅうさんが今までやってきた『童貞や非モテへの揶揄やからかい』を自粛することは『過剰な配慮』となるのか?
だからこそ、イジメ問題・ハラスメント問題は難しい。ジャッジするのは、その時代の世間の空気と風潮。
昔ならば、女性が男性に体をちょっと触られたくらいのこと我慢するのが当たり前だった。容姿のことでからかわれることも。エッチな話題を振られることも。女性の目の前で堂々とポルノ写真を飾ることも。
けれど、今はそれはNGだ。空気・ルールは変わっていく。
だから女性からのセクシュアルな不愉快な言動があったならば、男性たちはもっと声をあげていい。それこそが男女平等であり、イジメやハラスメントを減らしていく唯一の方法だ。
童貞はけっこう多い
童貞は負け犬だとかうるせえおっさんがいるみたいだから言うけど、18-34歳の男の42%は童貞なんだよ。ほぼ半分は童貞な。35-39歳に至っても26%は童貞だ。最近の傾向じゃない。昔っから変わんない。何一つ負けちゃいない。気にすんな。セックスごときで人に勝ったとかイキってる無知はほっとけ。 pic.twitter.com/5xLL3DrJMv
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年12月20日
『恋愛の呪い』から逃げようぜ
今ではもう恋愛にあまりいいイメージがない。思い浮かぶ言葉は、ランク付け、侮蔑・蔑視、嘲笑、マウンティング、市場、品定め、いじめ、カースト、搾取、やり捨て、利用、勝負、戦闘、ゲーム・駆け引き、劣等感などなど。
『恋愛ごと』に関わっていたら心が病みそう、歪みそう。えぐい恋愛世界から逃げたほうが幸せそう。童貞や非モテも気にすることない。我が道行こうぜ。
もち恋愛至上世界が合う人は恋愛を楽しめばいい。非モテや童貞、ダサい人・冴えない人を哂いながら、恋愛ごっこをするのもいいかもしれない。
童貞弄りについては――はあちゅうさんとしては内輪話のつもりで、ちょっと悪のりしてしまった、ファンを笑わせたかった、楽しませたかったのかもしれない。
なので、はあちゅうさんはじめ、はあちゅうさんを擁護している人、応援している人は、童貞弄りの何が悪いのか、たぶん分からない。
けど、外の人間からは「人のコンプレックスを哂いものにしている、えげつないことをしている」と見られる。社会ではイジメが問題になっているだけに。
イジメられっこや、イジメ問題に興味がある人は、あそこにイジメの空気を感じただろう。
それでも童貞弄りの何が問題なのか分からなければ、すべて男女を置き換えて考えればいいのだ。
女性の性的コンプレックスをネタに、フォロワー数も多くそれなりに影響力のある著名な男性が動画やツイッターで弄って、皆で笑うことって、どうなんだろう?
それでも楽しく笑える?
いや、昔なら笑っただろう。というか皆と一緒に笑わないといけない雰囲気だった。そんなことに青筋たてるほうが、ジョークがわからないつまらない人間だ、堅物だ、ブスの僻みだと揶揄されていた。
けど、今の感覚では、他者のコンプレックスを哂うのはみっともない行為だ、なんか嫌な感じ、と思う人のほうが多いのでは。
あとは場所だ。閉じられた仲間内での同じ価値観を共有する同士の飲み会、ロッカールームで話す分には全く問題ない。
女性にやってはいけないことは、男性にもやってはいけない。これが今の社会倫理。
やるなら、相当の配慮、笑いのセンスが必要かも。んで、人のコンプレックスを弄るのだから、人を傷つけることも覚悟の上で、ということになる。
でも、当時のはあちゅうさんには故意に傷つけようだなんて思っていなかっただろう。
「そんなに傷つきたくなければネットを見るな、外に出るな、引きこもっていろ」という強者(田端信太郎氏)の意見ももっともなことだが……その言葉を女性にも言えるのかどうかだな。性に絡むコンプレックスを弄られ、傷ついた女性にも同じ言葉を吐けるのか?
まあ、これも一種の『恋愛の呪い』だよなあ。
恋愛の呪いから解かれれば、性に関するコンプレックスを弄られても、さほど傷つかないで済む。というか、恋愛などどうでもいいこととなれば、コンプレックスにもならない。
恋愛の呪いから脱することができれば、この程度で傷つくことはない。恋愛することが大切だと思っているから、傷つくのだ。
めいろま氏VSはあちゅう氏
めいろまさんのツイートを紹介しよう。
性根の悪い男性は女性の容姿を叩く。叩けば相手の女性に最も大きなダメージを与えられると思いこんでいる。そして性的なサービスを強要する。性根の悪い女性の場合は性格の弱い男性、経済力や容姿に恵まれない男性を童貞、非モテ、オタクと叩く。それが彼らにとっての打撃になると思っている。
— めいろま「不寛容社会 」発売中 (@May_Roma) 2017年12月17日
はあちゅう女史とその取り巻きの童貞トーク動画から感じたのは、パートナーがいない男性を、社会的脱落者として徹底的に笑いもののして良いのだという強者としての立場と、容姿&階級差別。男性が女性の容姿や体型を叩くのと変わらない。男性も男性らしさやパートナーの有無に関して苦しんでいる。
— めいろま「不寛容社会 」発売中 (@May_Roma) 2017年12月17日
はあちゅう女史のこの発言の「童貞」を「処女」に置き換え、男性が言っていたとしたらどうなるか。はあちゅう女史は、女性ではあるが、心はマッチョイズム満載の男性性に支配されている気がする。私の周囲はこんな発言を冗談でもする女性も男性もいないので驚いている pic.twitter.com/Te5oiywqTc
— めいろま「不寛容社会 」発売中 (@May_Roma) 2017年12月17日
私が非モテやオタク男性への嘲笑が嫌だと思う理由は、嘲笑する人達は教室カーストのトップに君臨する人々で、口では人権や差別反対と言ってることです。私は女だけど変わり者で運動もできないから教室の最下層カースト。家人も同じ。だからダブルスタンダードの彼らが許せないのですよ。
— めいろま「不寛容社会 」発売中 (@May_Roma) 2017年12月19日
男がおごるのは当たり前だ、男なら女に旅行代を出しなさい、男なら男らしく、男は泣いてはいけない等延々と言ったり、メディアや物書きが一般大衆に広げるのも広義な意味での洗脳であり嫌がらせです。失業した中高年男性は自殺したりしますが社会的圧力が原因とも言える。
— めいろま「不寛容社会 」発売中 (@May_Roma) 2017年12月23日
セクハラ防止策・おごられるのをやめる
男がおごるのは当然と思う女性はよく考えたほうがいいかも?
おごられる代わりに何かを差し出すことになるわけだ。男だってそれなりに見返りを求める。それがセクハラに発展してしまうことになりかねない。
セクハラするほうがもちろん悪いんだけど。予防策は必要。基本、割り勘でいくほうがいいかも。
めいろまさんは、「男がおごるのが当然」と考えるはあちゅうさんとは真逆の考えをしている。
男がおごるのが当然という考えの女性は、男におごられるのと引き換えに何かを差し出すことになる。それがセクハラにつながる場合もあるかもしれない。
※めいろまさんと、そのサイドの意見。
表現の自由VSいじめ・セクハラ
クリエイターには覚悟が問われる
童貞弄りへの謝罪を取り消し、童貞弄りは表現の自由だと言うはあちゅうさん。
たしかに作家・クリエイターにとって『表現の自由』はとても大切なものだから、簡単には譲れない。
だから、受け手も声をあげていいのだ。それが感想、批評となり、その影響を受けて、表現物や作品は進化していき、世間の価値観も変わっていく。
はあちゅうさんの童貞弄りも、楽しく笑った人もいれば、傷ついた人、不快に思った人、様々いる。
セクハラの意味は――広辞苑によると『性的に人間性を傷つけること』『人間の尊厳を奪う、性的な言葉や行為』だそうだが――
表現の自由は大切だけど、やっぱり一定の配慮は必要かもしれない。
世間一般において、やはり童貞は哂われ見下されがちな位置にいるわけで、その世間の風潮に乗っかり、さらに彼らを貶め侮蔑するような表現をしたいのか?
世間に向けて表現するということは、ある属性への蔑視・侮蔑を生み、階級を生み、イジメを誘発させる場合がある。そのことを表現者・クリエイターは肝に銘じておかなくてはならない。
対する受け手は遠慮せず、表現や作品に対して、どんどん批評しよう。
表現者やクリエイターって暴走しがちだけど、その代わり、古い価値観に風穴を開け、新しい価値観を生むこともある。
童貞弄り、そんなにやりたきゃ自由にやればいい。もちろん『処女』『未婚者』『子なし』『貧乏』『低学歴』などなどの弄りも、どう表現しようと自由。配慮の裁量も自由。
そのかわり、批評・批判されるのも覚悟の上で、ということになる。受け手がどう捉えようと、どう批判しようと、それも自由だ。
今回、はあちゅうさんの童貞弄りがこれだけ問題になったということは、多くの人がその表現を不快に思ったということだ。
言論には言論で対抗すればいい。説得力のあるほうが勝つだろう。
そのうち、童貞を見下す空気はなくなっていくはずだ。見下したり、哂ったりするほうが『カッコ悪い』という空気になればいいのだ。
表現の自由はどこまで許されるか
はあちゅう氏の童貞いじりが批判されるのはわかる。しかし、何の権力関係もない不特定多数を揶揄する言論でしょ。これを特定人間のパワハラセクハラと同視するなら、エロ規制とかに反対するのは不可能になるわな。「誰かに不愉快な表現は全てハラスメント」との立場を取る覚悟があるなら止めないけど。
— ystk (@lawkus) 2017年12月18日
特定の「童貞」個人を指した「童貞いじり」は立派なセクハラだが、個人がブログ等で童貞という一般的な属性を茶化すのはセクハラじゃねえ!表現の自由の範囲。それとも童貞は人種のように本人努力では変更不可な属性だからヘイトスピーチ扱い?>はあちゅうを絶対に許すな https://t.co/EeMJsNnOkj
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年12月19日
『表現の自由』――個人ではなく不特定多数に向けて、努力によって変更可能な属性な者への見下し、蔑視、嘲笑はOKだとしたら――
例えば、デブ=ダイエットによって変更可能、ブス=美容整形によって変更可能、ほか、貧乏・低学歴も努力によって変更可能。生活保護受給者だって努力によって属性変更可能だ。これらを侮蔑していい?
いい歳して結婚していない女性を『嫁き遅れ』『売れ残り』と嘲笑し見下す表現もOKとなる。これだって属性変更可能だからね。
本人の努力では変更不可な属性に対しての蔑視や揶揄・嘲笑はヘイトスピーチであり許されないが、努力で変更できる属性に対しての蔑視や揶揄・嘲笑は許されるとしたら――
『努力で変更云々』となると「いじめられたくなければ、そうされないように努力しろ」と同じになる。
それとも、努力して属性を変更させればいいのだから、彼らへのイジメ空気はどうでもいい? 属性変更できなかった努力不足の彼らが悪い?
※しかし発達障害やコミュ障で非モテ・童貞というケースもあるだろう。その場合、本人の努力で変更できない属性となる。
もちろん、童貞や非モテへの揶揄やからかいは表現の自由だ。けれど「やめろ」「許さない」と批判することも表現の自由。
どちらに理があるのか、ジャッジするのは世間様ということか。
なんだか既視感あるなあ。そう、反差別界隈で散々見受けられた議論だ。『ヘイトスピーチ』VS『表現の自由』――けれど何を持ってヘイトスピーチとするかの定義は難しい。
まなざし村でもあったっけ。『公共の場でのエロい女性のイラストや写真を飾ること』VS『表現の自由』……あと、女性が不愉快になるようなCMやPR動画も炎上するけれど、これらと表現の自由の兼ね合いも難しい。
ま、男女平等に不特定多数に向けての弄りをOKとするなら、処女弄り、ヤリマン弄り、アラサ―アラフォー未婚弄り、BBA弄りもOKにしなくては不公平。
セクハラの定義
童貞弄りの謝罪を取り下げたはあちゅうさん、その後、こういった意見をRTしていた。
「誰かの不快な性は別の誰かの愉快な性」この基本を無視して「誰かが不快に思うものはいけないと思います!」をやると、全員死ぬか一番マジョリティな性だけが生き残るかどちらかしかない。そして、「不快な性」と「加害の性」も分けて考えないと詰む。https://t.co/uWx418dq3p
— 柴田英里 (@erishibata) 2017年12月22日
たしかに不快であることは仕方ないのだ。それは取り締まるべきものではない。
となると、セクハラの定義をもう一度、見直さないと。「女性が男性側のなにかしらの性に関する言動が不快だと思ったら、それはセクハラになる」と誰もが思い込んでいる。デスクの上のポルノ写真などはその典型。
でも、はあちゅうさんは女性の劣等感を男性がネタにして笑うことも許容できるのだろうか?
とにかくセクハラの定義を明確にしないといけないよなあ。
そして、セクハラを受けた男性も声をあげるべきだ。で、もしその声を「些細なこと」「男のくせに器が小さい」など言うのであれば、それこそがセクハラ・差別だ。
なぜ今になって、はあちゅうさんの過去に行っていた童貞弄りがここまで話題にされたのかというと、今回の件で童貞弄りの動画やツイートの内容・執拗さを初めて知った一般の人たちが違和感をもったからだろう。『Metoo』をつぶしたいから、被害者叩きをしたいからではない。
差別問題に精通している人は童貞弄りを重く見ている
女性の敵はマッチョイズムに支配された者たち
以下、一部編集転載。
童貞が笑いのネタになるのは、社会一般のイメージとして、「性交渉」と「男らしさ」の間に密接な関係があるからだ。
多くの女性と性交渉をすればするほど「男らしい」。つまり、男としての価値が上がるという考え方も昔から存在する。
これは「セックスしたことのない男は一人前ではない。ふつうの男ではない」という見下げた視線が一般に存在するためだろう。特に、性体験が多い男性からの優越感が混じった蔑みの視線がある。
「童貞いじり」は「セックスをしていなければ男として認めてもらえない」というプレッシャーを与える。
~中略~
アメリカでは、「ホモ」や「ゲイ」が嘲りや笑いの言葉として使われる影響で同性愛の若者が自殺する。
笑っているほうにとっては軽い冗談であっても、その影響はそこで止まらない。ソーシャルメディアの時代には、価値観やプレッシャーも広まりやすい。セクハラや性暴力も、そんな価値観やプレッシャーではびこりやすくなる。
はあちゅうさんを擁護している人の一部に「童貞弄りはセクハラではない」として、自分たちも『童貞』を見下し哂う発言をツイートしている。はあちゅうさんを応援しているつもりなのだろう。
はあちゅうさんよりも、こういった人たち(田端信太郎氏・広瀬隆雄氏)のほうがタチが悪いように思う。はあちゅうさんを擁護することで『自分たちは正しいことをしている』とし、『童貞は見下していい』という空気を作っていく。
童貞を哂うのは――男尊女卑のマッチョイズムに浸っている『多くの女性と性交渉をすればするほど男としての価値が上がるという考え方』をしている男のほうが多いかもしれない。
性体験の数を誇る男――たいてい、女を肉便器扱いする男であり、女を性の道具として扱う男だ。そんな価値観を持つ男は、性体験のない者=童貞を見下す。
だから、めいろまさんは、はあちゅうさんのことを『マッチョイズムに支配された』と表現したのだな。
童貞を見下すマッチョイズムな男たちの発言を紹介しておこう。
「ダーウィン的には童貞は負け犬」
「子孫を残す見込みがない童貞は性淘汰(により消える)」
「童貞は競争が嫌いなだけ」
「童貞は子孫を残せないから野垂れ死んだので生命はここまで進化した」
童貞蔑視ツイートや動画を笑える人は――『恋愛至上主義』のはあちゅうさんと同じ感覚の女性たち、そして、はあちゅうさんをセクハラした岸勇希氏みたいな『体育会系・リア充・自信家・たくさんの女と遊んできた、女性経験も豊富なマッチョタイプな男性』だろう。
だから、はあちゅうさんがそういったタイプの男性から被害を受け、許せないほどに嫌悪していた、というのが信じられなかった。むしろ、はあちゅうさんはそういったタイプの男性が好みなのだろうとすら思っていたから。
一般人の反応
はあちゅうさんの童貞蔑視言動はごく一般の女性が見ても、あまりいい感じはしないだろう。
そもそも一般の人は、セクハラの定義など知ったことではない。
『個人を特定した性的なからかい・侮蔑発言』はセクハラで、『不特定多数に向けての性的なからかい発言・侮蔑発言』はセクハラではない、だなんて思っていない。
自分がされて嫌なことは他人にしない、これが社会倫理になっている。自分がされて嫌なことを他人にしたら、巡り巡って、自分に返ってくるしね。
一般の人にとっては『表現の自由』も知ったことではなく、『他人を不快にさせる言動は慎むべき』と思っている。つまり、良くも悪くも『常識的』なのだ。
『はあちゅうさん擁護派』がどんなに理屈を並べても、一般人は常識や倫理で物事を捉える。だから、この問題が炎上したのだ。
加害者は過ちを認めたらがない
イジメは続く
童貞、処女、貧乳、短小などなど性を弄る表現はジョークにも誹謗にもなる。受け手次第。イジメ加害者がイジメたつもりがなくともイジメになるのと同じ。
セクハラの定義がなかった昔、男性陣へフェミ女性陣が意見しても「ブスの僻み」と嘲笑され、男性側に立つ女性からもバカにされたりしていたっけ。
今は、童貞・非モテが意見すると「非モテの僻み」と嘲笑され、こうして『イジメ文化』は綿々と続いていく。
でも「こいつらはバカにしていい、哂いものにしていい」という風潮こそなくしていかないとね。
なぜ、外国人蔑視や障害者蔑視や女性蔑視が許されず、童貞・非モテ・オタク蔑視は許されるのか?
この『おかしな基準』に違和感を覚えている人も多い。それが、はあちゅうさんへの冷やかな反応につながっているのだろう。
もちろん、はあちゅうさん自身は童貞弄りについては楽しいネタを提供しただけと思っている
でも、それなら、岸勇希氏やほかセクハラで訴えられたことがある男性陣も同じ言い訳をしたいはずだ。見下したつもりもはない、コミュニケーションをとっただけだと。
加害者側は自分の過ちを認めたがらない。
それどころか、はあちゅうさんは、こういった冷ややかな空気も、自分への攻撃だとして「私は決して負けない」と思っているかもしれない。
そして――加害者は、見下している相手に決して心からの謝罪などしない。
加害側に加害者意識はない
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。 https://t.co/wukTmTEi7K
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年12月18日
セクハラと同じく、やられたほうが「虐められた」「不快だ」「イヤだ」と思ったら、それはイジメになるかもしれません。いじりとイジメは紙一重です。明るく笑えるのは「やっているほう」です。やられているほうはガマンしているかも。これってセクハラと構図が似ていませんか?
— ハヤシ@創作系ブロガー (@kiga2hon) 2017年12月18日
からかっている方は「些細なこと」であるが、からかわれている方は傷ついている。セクハラとイジメ問題の根っこは同じ。
また「嫌なら見なければいい」のであれば、外国人や障害者へのからかい、侮蔑発言や嘲笑も許されることになる。
ちなみに、はあちゅうさんのいくつかの童貞に対する発言だが、私は『侮蔑と蔑視』の臭いを感じた。『明るく楽しい笑い』ではなく『バカにした哂い』だ。
はあちゅうさんの告発・電通時代のセクハラパワハラ
ツイッター界を見てみると、はあちゅうさんの応援コメントが多いものの、中には、はあちゅうさんが以前『非モテや童貞』をバカにするツイートや発言をしていたことから冷ややかな反応も散見された。
はあちゅうさんの童貞弄りツイート
https://twitter.com/bot_hachu/status/830103433436729346より
童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから『あのレベルより二次元のほうがいいもんね』とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると『俺に女神降臨!』っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ
https://twitter.com/ha_chu/status/932120628814942209より
童貞が「html...エッチtmlってなんかエロいですね」と言った時、私は、童貞というのは救う方法のない病気なのだと悟った。すごいね...ほんとにすごいね。
はあちゅうさんへの冷やかな反応
https://twitter.com/terrakei07/status/942312378128936962より
別に文章書く仕事なんかいらないので、この岸さんという人が裁かれたら、その裁きの雷で、いままでさんざん非モテや童貞にセクハラ発言のかぎりをつくしてきたはあちゅうさんも貫かれていただきたいと思います。
https://twitter.com/mecchanikuniku/status/942240029677576193より
はあちゅうの告発はGJよね。ただあなたもおっさんや一般人をディスってセクハラとは違うけど同じような領域にいるのはわかってるのかしら。
https://twitter.com/mecchanikuniku/status/942260119366131712より
こういうはあちゅうのディスりはソーシャルハラスメントって言うのよ。
https://twitter.com/sashi41/status/942736216478199808より
はあちゅう氏の童貞いじりへの釈明が「冗談じゃん怒んなよ」「そんな厳しくされたら何も言えなくなっちゃうよ」というセクハラオヤジのメンタリティそのもので呆れた。今回の騒動でセクハラ無くそうと義憤に駆られている皆さんはこれ見て何も思わないのか? 理解に苦しむ。
https://twitter.com/takokurage726/status/942332515028627456より
でも彼女を苦しめてきた男は童貞なんかじゃなくクソヤリチンだったわけで、その点においてははあちゅうも無抵抗な童貞男子たちをいじめてただけなので「弱い者がさらに弱い者を叩く」を地でいってたんだよなぁ
過去のはあちゅうさん問題発言
はあちゅうさんは「36歳以上で結婚していない男性は問題がある」と発言し、未婚男性らから不評を買っていたこともあった。それなのにその後、はあちゅうさんは、こんなツイートをした。
https://twitter.com/ha_chu/status/887596511667773440より
売れ残り独身って25歳頃からずっと言われてるけど本当に嫌な言葉だな。私はパートナーと対等に付き合って、背筋伸ばして生きてる。仕事もちゃんとしてる。売れ残りなんて言葉で見下される筋合いない。結婚してないから子供いないから、説得力ないなんて言ってくる人は全員人間として最低だよ。
また、こちらの記事ではこのような発言もあった。一部転載。
Bランク女子は、他に遊ぶ相手もいないので、まだ若さが自分に残っているうちに、Aランク男子に果敢なアタックを続け、その執着によりAランク男子をめでたく獲得する。
反対にAランク女子は、遊ぶ相手がたくさんいて、より好みしていたり、適当にモテ気分を楽しんでいるうちに、気づけば「若さ」という武器を失って、残り物のCランク男子とくっつかざるを得ない。
……Cランク男子を「残り物」と表現し、見下しているよなあ。
自分が言われたくない言葉は、基本、他者に対しても言わないほうがいい。
自分も同じことをされても仕方ないし、批判する資格がなくなってしまう。
自分がやられて嫌なことは人にもするな――平和に暮らす基本だね。
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