これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

まだモテで消耗しているの?キモい・気持ち悪いと批判されている恋愛工学を擁護してみる

追記(2019年6月20日

ちょっと気になる記事を見つけた。

日本は未婚男性の不幸感が突出して高いとのことで、女性より男性のほうが呪いにかかっているかも。なんか最近の日本は女性よりも男性のほうが生きづらそう。

恋愛工学に期待するとしたら未婚男性でも幸せな人生を送れることの証明だよな。『ぼく愛』ではなく『ぼく幸』ね。

ここからが本文。↑前記事でも語ったけど――巷では「キモい」「気持ち悪い」と散々な評判なのに、なぜ恋愛工学のような教えが一部男性の間に広がってしまったのか?(ついにテレビドラマ化するようだ)

そこには童貞や非モテ男性に対する世間の嘲笑や侮蔑、そして「恋愛しなければ」という呪いがあるからではないか。

その呪いによって劣等感をこじらせて、恋愛工学にすがってしまった人もいるのでは。

ただ、恋愛については、今まで女性中心・女性主導で語られてきた――いわば女性による恋愛観が世間を支配してきたけど、『男はこう考えているんだ』という男性側の恋愛観と見てもいいかもしれない?

――ということで藤沢数希氏の『恋愛工学』をネタに綴ってみる。

『恋愛工学』とは、ナンパでたくさんの女をハントし、手っ取り早くエッチに持っていく方法論。恋愛というよりもセフレづくり。関係を育んでいくという要素はない。最終目的はエッチ。が、恋愛工学生によると「恋愛工学とは、女から搾取されないように身を護るための方法論・考え」とのこと。まず、モテることで自信をつけ、その後で本命の女の子を見つけて恋愛したいという恋愛工学生もいるようだ。

目次じゃ!

男が恋愛被害に遭わないための恋愛工学

被害者意識を持つ恋愛工学生・女なんて信用できない

恋愛工学生は、今まで女性に無視されたり、ATM扱いされ搾取されたりして、被害者意識が相当に強いのではないだろうか。

『女性蔑視』だけ世間は騒ぐが、男性だって恋愛偏差値が低い者(オタク、コミュ障害、ブサメンなど)は蔑視されている。

バブル時代あたりまでは、男性が女性に被害者意識を持つなどあまりなかった。それは「男らしくあれ」という社会の圧力があったからだろう。
で、実際にまだ男性上位の社会でもあった。

女子は短大に行くのが普通であり、男性の補助的な仕事をし、寿退社をし、専業主婦になる生き方をするのが大半で、経済力がない女性は弱者として扱われることが多く、その分、若い女の子は多少のわがままは許されていた気がする。
男女機会均等法があっても、そういう空気がまだ残っていた時代だった。

大の男が、女の子に被害者意識を持つなど恥ずかしい、カッコ悪い。女に奢るのは当たり前であり、奢ってその見返りがなかったとしてもガマンするのが当然だと、男性自身も思わさせられていた。アッシー・メッシー・ミツグ君に甘んじていた人も多かったことだろう。

けど、今はそれがなくなってきている。
本当の意味で男女平等になってきたのだ。

男性だって、女性に搾取されるのは嫌だし、女性から散々搾取されたあげく無視されたり振られたりすれば、バカにされたとして劣等感を刺激されるだろう。

明け透けな女性蔑視にまみれた恋愛工学が一部男性に受けているのは当然のこと。

恋愛工学にはまっている男性は、たぶん女性不信に陥っている。
なので女性と信頼関係など築けるはずもなく、女性と関わるなら利用されないようにこちらから利用してやるくらいの気持ちでいるだろう。

女性に不信感を持っているなら、女性と関わるなと言いたいところだが――
社会が「恋愛しろ、エッチしろ、それができない者は惨め、童貞は恥ずかしい」と圧力をかけ、「モテ男を目指せ」「非モテ・モテない奴は負け」という空気を作る。

エッチしたいという男性ならではの欲望もあるだろうが、世間の「エッチしないなんておかしい」「中年童貞なんて恥ずかしい」との圧力も後押ししている。

女性を蔑視しながらも、女性とはエッチしたい、なので手っ取り早くエッチできる方法を説いたのが『恋愛工学』だ。

恋愛工学生にひっかかりたくなければ、女性が自衛するしかない。
彼らは別に違法行為を犯しているわけではないのだから。

というか、ナンパされ、知らない男についていくのだから、女性だってやり捨てられるのは覚悟の上だろう。
そこから恋愛に発展する可能性は低い。何しろ、相手は見下しているのだから、いい関係は築けないと思う。

昔は、男性もエッチした女性には責任を感じ、エッチ=「正式につきあっている・結婚も視野に入れている」という覚悟もあった。

けど、女性のほうが性の解放を望み、「エッチしたくらいで『オレの女扱い』しないでよ」「女が複数の男とセックスを楽しんで何が悪い」と言うようになり、むしろ、そういう女はカッコイイという空気も生まれ始め、女性たちは自由奔放な性を謳歌するようになった。

が、それは男からやり捨てられて被害者面する資格を失った、ということでもあるのだ。

蔑視が蔓延する恋愛市場

自尊心を護るために他者を蔑視するって、よくあることだし、女もやっている。
恋愛工学生に限らない。

藤沢数希氏が発行するメルマガの内容含め恋愛工学は、一般の人から見て、あまりに明け透けで眉をひそめる内容なのは確かだが――

一般の人が眉をひそめることなく哂うことができてしまう『非モテやオタク、ブサメンをバカにするような恋愛指南記事、漫画や小説作品』のほうがタチが悪い。

漫画『タラレバ娘』でも、主人公が恋愛戦闘力を計り、ブサメンとイケメンの数値の差をギャグにして読者に哂いを誘っていた。

今の時代ならば、男女逆にして、ブスと美人の数値の差を哂いにすることも、さほど罪悪感なくできてしまう。

椰月美智子氏の小説『恋愛小説』では、美人主人公が、オタクデブス女子をあからさまに嫌悪し、ばい菌扱いするが、読み手はその主人公の行為に眉をひそめることはない。

※『恋愛小説』について語った記事↓

恋愛小説 (講談社文庫)

恋愛小説 (講談社文庫)

こういった作品が「デブスオタク女子は侮蔑され、イジメられ、ばい菌扱いされても仕方ない」という空気を作ってしまうのだ、とても自然に。

恋愛工学が、罪悪感なく女性蔑視できるような内容になっているとして批判するなら――オタク、非モテ・童貞、ブサメン、ブス、デブなどいわゆる『恋愛偏差値が低くなってしまう要素を持った者たち』を罪悪感なく蔑視できてしまう空気、彼らをバカにし嘲笑しイジメを誘発する空気を作りだしている社会のほうがずっと問題のように思う。

恋愛教の呪い

いずれにせよ、この世から蔑視はなくならない。
女性蔑視に限らず、いろんな蔑視がある。

大多数=世間が蔑視してくるなら、それはもうそういうものだとしてあきらめるしかない。
他者を蔑視して優越感を持ちたいのが人間じゃ。

モテなくても恋愛しなくても結婚しなくても別にいいじゃん。
同様に、恋愛工学生のように『愛なしのエッチ目的のみ』で生きてもいい。

ナンパは何の問題もない。嫌がる女性を無理やりに拉致し、犯すわけじゃないんだから。やり捨ては違法行為ではない。性の解放は女性も望んだことだ。

愛のない単なるエッチゲーム――どの程度の容姿のレベルの女とどれくらいエッチできたか、その成果を競うのが楽しいんだとしたら、それはそれでいいと思う。
傷つくと思うなら、関わらなきゃいいだけの話。女の子がナンパの誘いにのらなければいいのだ。

恋愛や結婚にこだわらない人がもっと増えれば、女性も男性も劣等感を刺激されなくなり、呪いが解けていくのでは、と思う。

呪いが解ければ、劣等感をこじらせる人も減り、よって蔑視することもされることも少なくなり、不幸になる人も減っていくのでは。

そこでこの記事を紹介しておこう。

一部抜粋。

軽んじられる女に共通するのは、なぜか異常に自己評価が低いということだ。
「私なんてブスだから」なんて言葉を吐く女がいたら、その瞬間男は「あ、こいつチョロいな」と感じる。
チョロいだけでなく、軽んじるようになる。

恋に恋してる女は軽んじられる傾向がある。「男がいないとダメ」みたいな自立心のない奴は、なんとなくチョロい印象を与えてしまうだろう。

男も女も誇りを高く持ったほうが、己の身を守ることにもつながるのだろうな。

男も女も、他者から蔑にされたら、軽んじられたら、逃げよう。
他者の見下しは不幸の入り口じゃ。その人物から離れよう。

相手に「ちょろい」と思われた時点で、その関係は切ったほうがいい。

気持ちはそう簡単に割り切れない、と反論する人もいるだろうけど――
そこを切り替え、感情支配から何とか抜け出すのが理性の力。不幸回避の道じゃ。

※理性の力を得たいなら、DJあおいさんのサイトが一番参考になるかもしれん。

そして反対に――
自分がちょろいと思ってしまう人間とも、つき合わないほうがいい、己が見下している人間からも離れるのじゃ。

相手を見下したまま関わると、合わせ鏡となり、己に返ってくるだろう。

なので本当は、恋愛工学生も女性とは関わらないほうが身のためだとは思う。
ま、性欲と自己承認欲を満たすためにうすく関わり、すぐに切ってしまうしかない。

うむ、だからこそ、一人の女にフルコミットするな(=深く関わるな)という教えがあるのかもしれぬの。

なので、恋愛工学生は独身を貫いてエッチ道にまい進してほしい。んで、幸せをつかんでほしい。中高年独身男性の幸せな姿を見せてほしいぞ(皮肉じゃないぞ)

目指せ、スーパーナンパエロ爺さん♪

差別大好き・不公平な世間様と偽善フェミ

聞くところによると、恋愛工学生らも、恋愛工学に目覚める前は女性から酷い目にあわされ、女性不信に陥ったという人がけっこういるようじゃ。

だからといって女性全てを敵視するのはいかがなものか、という意見は正論なんだけど――女性だって、男から酷い目に合わせられたら、男そのものを警戒し、嫌悪することもあるじゃろう。

信用できない者を尊重することはできない。

ならば、本当はそんな者(女)から離れて、一切関わらないほうがいいとは思うけど――そうすると世間は「引きこもり」「臆病」「非リア」「非モテ」「童貞」と言ってバカにしたり、問題視する。

こうなりゃ世間の価値観に何とか合わせるか、逃げるか、どちらかしかない。

恋愛工学生らはモテを目指し、女の子をナンパで狩って、世間様がお勧めする恋愛=エッチを楽しむ。
オタクは世間に背を向け、生身の女の子からは離れ、2次元で楽しむ。

え? 不健全?
まあ、そうかもしれないけど、そう言える『健全な人間』は幸せだね。

以前、恋愛工学を批判するフェミが、ブサメンを差別する発言(「ブサイクがナンパをしたら痴漢行為だ」という内容)をツイートしたりしていたっけ。
イケメンがナンパをする分には問題ないが、ブサメンがやると痴漢=犯罪になるらしい。
つまり、ブサメンは引っ込んでいろ、女に積極的になるな、ということじゃな。

恋愛工学生が女性の容姿をレベル分けし、モノ扱いするのと同様、フェミも男性を顔で差別していたりするのだ。

相手の蔑視は許せないが、自分が蔑視するのはいいのか?
って、それを差別と言うのでは???

え? 相手が蔑視したから、やり返しただけ?
いや、別にいいと思うよ。
やられたら、やり返せ、で。

ブスがダメなら、ブサメンもダメ。
女性に容姿を問うなら、男性も問われて当然。それこそ男女平等だ。

けど、正義はそこにはない。
反差別を訴える資格のある者とは――自分は決して差別せず、そして自分の仲間や自分が擁護したい側の人間が差別言動をしたときにも、それを批判し諌めることができる者だ。

それができない者は、正義を訴える資格はない。
訴えたところで、その正義はまがい物。二重基準となり説得力がない。

というわけで、み~んな(というと語弊があるだろうが)、差別が大好きで、気に食わない者を見下すのが大好きなのじゃ。
反差別を訴える連中でさえも、敵と認定した者を見下し、差別し、哂い、バカにするのだから。

ブス、ババア、ブサメン、デブ、ハゲ、チビ、キモオタなどなど――沖縄の反米軍基地の人たちに対する『土人』発言にはうるさかった世間様も、こういった侮蔑言葉には寛容だ。

蔑視と嘲笑が蔓延している見下しランク付け社会。
意地悪社会にコミットすると、性格が悪くなりそうじゃの~。カレー沢薫氏のネットコラム『ブス図鑑』(著書タイトルでは『ブスの本懐』)にも「虐げられてきたブスが性格が悪いのは当然」というようなことが書いてあったが、まさにそれ。

ブスの本懐

ブスの本懐

 

恋愛工学について・他の人のブログ記事紹介

とある掲示板のコメントより転載。
「いまの世の中、若い男たちは傷つくことを極度に恐れていて、これは自分を傷つける可能性がある、と少しでも予感させるようなコンテンツは無視される。
逆に、恋愛工学は、もてない男を傷つけることなく、 お前らもセックスにありつけるぞ と言って彼らに寄り添ってくれ、彼らのコンプレックスを癒してくれる。 だから売れるんだよ」

 

ということで――ほかの人も指摘しているように、恋愛工学は複数の女性をハントするゲームである。一人の女性にフルコミットしない=執着しない、付き合う相手を一人に絞らないことが恋愛工学の基本なので、1対1で真剣に付き合うという視点が抜けているのは当然なのだ。

それを女性側がどう思うのかは人それぞれ。ま、ほとんどの女性はそういう付き合いは嫌がるだろう。

だいたい恋愛工学にはまっている男性って結婚したいのか? と今もなお疑問。
(藤沢氏やその恋愛工学生の一部の人は独身主義のようだ)

そう、結婚は「一人の女性とフルコミットし続けること」になるので、恋愛工学生には向かないだろう。

なので彼らは一生、性欲が尽きるまでモテること=恋愛に励むんだと思う。それはそれで一つの生き方だ。

いや、恋愛の定義がいまひとつ分からないのだが、複数の人と性的関係を結び、遊ぶことも恋愛と呼ぶのであれば、ナンパで一夜限りの遊びも「恋愛した」ということになるのだろう。

恋愛の定義すら、たぶん一人一人違うのだ。
複数と付き合うことも恋愛だ、という人もいれば、そんなの恋愛じゃないという人もいる。どれが正しいか正しくないかは言えない。

また恋愛工学生の中には独身を貫く者も多いだろうから、生涯未婚者はさらに増え、少数派でなくなれば、結婚できない者も劣等感に苦しまなくて済む。

1対1の真剣な恋愛、普通の結婚を望む女子は、恋愛工学生には警戒するだろうけれど、そもそもそういう女子はナンパや出会い系で『よく知らない男性』についていくことはないし、簡単に体を許すことはないから、恋愛工学生とは無縁でいられる。

んで、次から次へと多くの女性とエッチし、一人の女性にフルコミットしないという恋愛工学生には『一夫一婦制の結婚』は厳しい。よって彼らが子孫を残すのも難しいと思われる。(もちろん恋愛工学生の中には既婚者・子持ちもいるけれど)

恋愛工学生的素質をもつ遺伝子は淘汰され、恋愛弱者・オタク同様、平和に減っていくかも。

自分の好きに、自由に生きて、平和に滅んでいくのも一つの生き方じゃ。ワシは社会の価値観をひっくり返してくれそうな恋愛工学生に期待しておるぞ。

ということで、恋愛工学生のブログ記事を紹介して、そろそろ終わりにしようかの。

非モテ」だった自分も、ナンパや恋愛工学を通じて、なんとか人並みにはモテるようになった。
その結果、念願だった生活が手に入った。
念願の生活とは女性のことにあれこれ悩まなくていい生活だ。

一方、モテを手に入れたからといって、毎日毎日、とっかえひっかえで女を抱く、酒池肉林のような生活には特に惹かれなかった。

非モテ時代にはできていた『どうしてそこまでこだわれるの?』というくらいの熱量で、対象を愛することができなくなっていく。これは、自分自身を”コモディティ化”させてしまう大きな罠だと思っている。

みんなができるコモディティな仕事には価値はなくなっていく。

これからの時代、非モテ的想像力&創造力が価値を持つようになっていくだろうと考えている。

何かに対してキモいと思われるほどに、こだわれること。
バカにされるほど、何かを愛すること。

恋愛工学生、悪のりしていることもあるけど、真面目な記事もある。理知的で頭の良さを感じさせるものが多い。ハッキリ言ってイケハヤ界隈のプロブロガーを名乗る人たちの記事よりもずっと魅力的で面白い。

……うむ、やはり最後はこの方に締めてもらおう。
「まだモテで消耗しているの?」

 

※恋愛工学関連記事 

※恋愛工学関連著書

ザ・ゲーム フェニックスシリーズ

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 『ザ・ゲーム』の内容は恋愛工学と同じ。つまり恋愛工学は『ザ・ゲーム』の焼き直しである。

損する結婚 儲かる離婚 (新潮新書)

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ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行本)

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ぼくは愛を証明しようと思う。

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ぼくは愛を証明しようと思う。(2) (アフタヌーンKC)

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