これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

若い女性に多い自殺願望☆地味な女子は負け?『別冊図書館戦争2』と座間9遺体・殺害された女性被害者について

地味で友だちが少なく劣等感を抱えている人が読んではいけない小説として『別冊図書館戦争2』を挙げておく。

別冊図書館戦争II (図書館戦争シリーズ 6) (角川文庫)

別冊図書館戦争II (図書館戦争シリーズ 6) (角川文庫)

※ なお『別冊図書館戦争2』についての感想はこちらにて↓

学生時代の自分にも絶対に読ませたくないよな。なぜかというと『別冊図書館戦争2』に登場する『水島さん』がどことなく自分に似ていたからだ。

周囲から見下されバカにされている『地味な水島さん』は犯罪にも手を染め、その末路はただただ惨めに救いなく描かれている。悪人キャラとしての魅力もゼロだ。いいところひとつもなし。

その『水島さん』の結末はこんな感じにまとめられていた。
※『別冊図書館戦争2』より転載。

地味で目立たない水島のスキャンダルに寮は一時期湧き上がったが、本人が懲戒免職を受けているうえ、地味で目立たない分だけ出てくる話題も乏しく、すぐに鎮静化した。

地味で目立たない】をわざわざ2回繰り返している。『地味で目立たない人』に対し作者・有川浩氏の嘲笑うかのような空気が感じられ、これを読んだ当初「地味で目立たないって、そんなに見下されるようなことなのか?」と思ってしまったくらいだ。

地味キャラはカースト下位に位置づけられ、学校だけでなく一般社会の中でも『地味=冴えない・負け・惨め』とマイナスに捉えることが多い気がする。

そして――『地味』という言葉に、なんとなく座間の被害者女性らのことが重なってしまった。

今回はそのことについて語る。

目次じゃ!

地味女は負け?

自殺願望へと誘われた地味な若い女性たち

新聞報道で、座間市女性連続殺人事件の被害者女性たちの背景が語られていた。

そこには『アニメ漫画・読書好き』『物静かな女の子』『非常に真面目』『おとなしい』『美術部に所属』『合唱部に所属』『読書家』『漫研アニメ同好会に所属』『内気な性格』といった文言が並んでいた。

これらから、多くの人は『地味』という言葉を連想するだろう。

そんな彼女たちは『自殺願望』をキーワードに、サイコパスであろう加害者とつながってしまい、目をつけられ、殺されてしまった。

では、彼女たちはなぜ『自殺願望』に囚われたのか。

知らない男についていくほどに、どうなってもいいと自暴自棄に陥ってしまったのか、それとも本当に死にたかった=この世とおさらばしたかったのか……。

ここからは憶測となってしまうけど――そこに『肥大した劣等感・コンプレックス』が大きく関与し、心を病ませてしまった被害女性もいるのでは、と邪推している。

真面目で地味な人は、世間・学校・教室内では『負け組・下位』に位置付けられる。そんな環境下で劣等感を植え付けられ、「自分はダメな人間だ」と刷り込まれていき、やがて「消えたい」「生きていても仕方ない」という自己嫌悪に支配され、自死へと誘われてしまうことがあるかもしれない。

地味な子に呪いをふりまく『別冊図書館戦争2』

この若い子の劣等感を刺激させるだろう『地味』『おとなしい』『負け組』という言葉に、有川浩氏の『別冊図書館戦争2』に登場するキャラ『水島さん』のことが思い浮かんだ。

ということで、以下の人には『別冊図書館戦争2』は薦められない。

○世間が良しとする価値観(おしゃれで華やかで積極的で社交的で自信に満ちている、などなど)に合致しない人。
○コンプレックスに飲み込まれそうな人、どうしても卑屈になってしまう人。
カースト下位に位置づけられ、周囲から見下されていると感じている人。
○イジメられっ子。周囲から無視されている人。

特に高校生は『別冊図書館戦争2』は読まないほうがいい。思春期はコンプレックスに吞まれやすく、呪いにかかりやすい。座間の被害者には高校生も含まれていた。

呪いをふりまくものから、できるだけ距離を置いたほうがいい。

この『別冊図書館戦争2』も呪いをふりまくものの一つだとワシは捉えている。

そう思う根拠の一つとしてアマゾンの『別冊図書館戦争2』より気になったレビューを紹介しておこう。

以下、編集転載。

読んでいて辛かったです。
手塚と柴崎の話を読んでいるうちにだんだんと嫌な気持ちになりました。
この小説に出てくるようなスーパーな人達はこの世の中にはなかなか存在しません。

柴崎と水島の同室開始以降の、柴崎の「水島が苦手」という考え方や態度についての描写。
話が進んでからの手塚の水島に対する言葉等々。

多分自分が柴崎と同室になったら、水島と同じ態度になってしまうかもしれないと思いました。

柴崎の持っている揺るぎない自信は、時として周囲を傷つけると柴崎自身わかっていながら、どうしてあのような態度になってしまうのだろう、読んでいるうちに大好きだった郁でさえ鼻につくようになってしまいました。

もちろん水島は歪んでいて、彼女の犯罪は許されないものです。絶対にやってはいけないことです。
私は犯罪は犯しません。

でも私の中に今までの巻では感じなかった、郁や柴崎に対する僻みと水島への同情のような気持ちが芽生えていました。
郁と堂上、小牧と毬江等々みんながみんな幸せで素敵で。

柴崎と手塚を幸せにするために、ここまでの状況が必要だったのでしょうか。
最後の最後に嫌な気持ちになり、今現在は読もうと思って買っていた有川先生の他の本も読む気持ちになれなくなってしまいました。

※いちおう『図書館戦争』を知らない人へ登場人物の説明しておこう。

☆郁―主人公。積極的で明るく元気。運動能力に優れる。堂上は郁の恋人。
☆柴崎―美人で聡明、才色兼備。もちろん仕事もできる。自信家。皆から憧れている。カーストでいえば最上位。
☆手塚―柴崎の恋人。イケメン、聡明、モテモテ。カーストでいえばやはり最上位。
これら『勝ち組カースト上位の3人』に較べ、『水島さん』はずっと下位に位置する。

地味な水島さんは、真面目だけど仕事もいまいちで、友だちもほとんどおらず、影が薄いキャラだ。コミュニケーション能力もあまりなく、「すみません」が口癖で、カースト上位の柴崎をイライラさせ、周囲からも嫌悪感を誘う。

挙句の果て、憧れの手塚からも「気持ち悪い」と言われ、犯罪に手を染め、とても惨めな救いのない末路をたどる。水島さんと似た性質を持つ人にとっては、けっこう厳しい内容の話である。

自分に自信が持てない地味な女性や、イジメにあっている人、周囲からバカにされ見下されている人は『水島さん』を自分にリンクさせてしまい、嫌な気分になるだろう。

ただし、ほかのレビューを見ると、一般の多くの人たちは『別冊図書館戦争2』を楽しく読んだようなので、「嫌な気分になるのは、負け組要素を持った者の僻みだ」と言われればそうかもしれない。

けれどコンプレックスとはそういうものなのだ。

だからこそ、コンプレックスを刺激されるようなものからは離れるべきである。

若い女性に多い自殺願望と未来への絶望

ちょっと前の話になるが、2016年9月の産経新聞にこんな記事が出ていた。

「4人に1人が本気で自殺したい」

全国20歳以上の男女の意識調査の結果だという。

また全体の6.8%が過去に自殺未遂をしたことがあると回答。

過去1年以内に自殺未遂をした人は推計53万5000人いると推定。

本気で自殺したいと考えたことがあると回答した人の内訳は――
女性28.4% 男性22.6%

年代別では――
☆20代 34.9%
☆30代 34.2%

若年層が高い数字を示し、ほぼ3人に1人という割合。

ということで自殺願望者は女性のほうが多いようだ。(ただし実際の自殺者は男性のほうが多い)

ま、女性の場合――「年齢が上がっていくと価値が落ちていく」「若ければ若いほどいい」という『世間の本音の価値観』も関係しているのかもしれない。

そう、将来は己の価値がゼロになるのだ。
そんな価値観の社会で暮らすのだから、未来に希望・夢などもてるはずもなく、自殺願望を抱くのは仕方ない。

女は若いが一番?

そこで興味深いデータを見つけた。

↑男女それぞれ魅力的だと感じる異性の年齢表が載っている。

女性は自身の年齢が上がっていけば、魅力的だと思う男性の年齢も上がるが――
男性はどんなに自身の年齢が上がろうが、魅力的だと思う女性の年齢は20代前半まで。

ネット界では30代以上の女性はBBAと呼ばれるようだが、男性だけではなく、女性(若い子)までもが年上の女性をBBAと呼んだりしている。

『逃げ恥』にもあったようにまさに女性自身が自分に呪いをかけている状態。もちろん、BBAという言葉には嘲笑・蔑視、見下しが込められている。

昔、よく言われていた『女はクリスマスケーキ』=25過ぎたらどんどん価値が下がり、30後半になったら価値はゼロという価値観は未だ健在のようだ。

女性に将来の希望はなし。価値はどんどん落ちていくのだから。
とはいっても、それは『恋愛や結婚といった男性に気に入られるための価値観』だ。

なので恋愛や結婚に重きを置かなければ、そう絶望するほどのことでもないとも思う。

ただ、世間の呪いは強固だから、恋愛・結婚をしなければ負けだと洗脳されている女性はたくさんいるだろう。そこから、いかにして解放されるかが不幸を回避する鍵となりそう。

それに『とにかく若い女がいい』という価値観の男性とつきあい、結婚し生活を共にすることになっても、女性はあまり幸せになれない気もする……。
いや、男はATMだと割り切れれば、それはそれでいいのかもしれないけれど。

ま、こんな呪いで、将来に希望が持てなくなるのも、つまらない話である。

ほんと、呪いはあっちこっちにあるよなあ。

もちろん呪いなどものともせず、自分に自信をもち、物おじせずにチャレンジを重ね、成功をものにし、周りからも承認を得られる『強者』にとっては、この競争社会・ランク付け社会は刺激的でおもしろく、ワクワクしながらたくましく生きていけるんだろう。

ただ一方で、それができない者もいる。そういった社会にどうしてもなじめず、世間が良しとする価値観から外れてしまい、他者から「お前は下位だ、負け組だ」とジャッジされ、自己承認欲が得られず、歪んでしまう。劣等感に苛まれ、この世から消えてしまいたいと鬱々とし、心を病んでしまう。

そういう人はとにかく呪われないようにするしかない。心の健康を維持するのは、案外、難しい。

あまり他者に承認は求めず、我が道行こうぜ。

座間の被害女性たち、本当に自殺願望があったのかどうかは置いておいて、知らない男についていく時点でどこか心に大きな闇を抱えていたのだろうな。

真面目な人=つまらない人?

『地味』という言葉と同様、『真面目』も悪い意味で捉えられる場合がある。

昔、華やかであることを良しとするバブル時代はとくにそうだった気がする。「真面目な人」は「つまらない人間」の同義語だった。

ワシもよく「真面目な人」と言われていたので、『真面目』から脱するために「不良ぽいことをしてみたい」と思ったこともあった。結局、勇気がなかったために実行しなかったが……。(そう、真面目な人は『勇気がない』と思われていた面もあったな)

知らない男についていくことも、若い女子にとっては「ちょっとした冒険」のように捉えてしまったかも?

真面目な自分を変えたくて、危険なことに足を踏み入れてしまうこともあるかもしれない。

周りの評価=世間の価値観に翻弄されていると、不幸の穴にはまってしまうよな。

周りの評価=世間の価値観=呪い。

これらと戦うのは難儀だから、逃げ道を見つけようぜ。

最後に『これも何かの縁』番外編より、コンプレックスをテーマに自分を救っていく物語・連作3編を紹介しておこうぞ。

ババア、負け組、負け犬、非モテ、デブス、ブサメン、非リア充、童貞、処女、オタク、不良債権産廃、引きこもり、非正規、無職、未婚、貧困、キモい、気持ち悪い、ばい菌、残念、劣化、オワコン――見下しを込めたそんな言葉が躍る世の中。

人を品定めし、ランク付けをし、馬鹿にしたり、脅したり、叩いたり、哂い、見下すことが大好きな底意地悪い社会とは戦わずに、いかに自分を守っていくか――

それが、自分が書く物語の一番のテーマでもある。
できるだけご都合主義を排し、ちょっとした救いを見つけてみたい。

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