これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

友人・彼氏彼女ができない☆ゴースティング・フェイドアウトよりもブロックで縁切り

ネットは便利だ。
人との出会いの機会を与えてくれ、簡単に切ることもできる。

そして、こんな言葉が生まれた。
『ゴースティング』――恋人や友だちから説明もなく連絡を絶たれることを言う。

目次じゃ!

 

縁に任せてラクに考えよう・難しい人間関係

ゴースティング・面倒だからブロック

「大事な人がいきなり音信不通になる『ゴースティング』が世界の若者を苦しめている」より一部抜粋。

出会い系サイトやSNSで簡単に恋人を作れるようになった現代では、逆に別れるのも簡単になった。
思い立ったら、クリック1つで別れられる。説明も必要ないし、修羅場もない。
この現象は「ゴースティング」と呼ばれるようになった。すなわち、幽霊みたいに姿を消せる技である。

出会い系アプリで知り合った愛人、数ヵ月前からの彼氏、昔からの親友、みんな説明もなく姿を消す。フェイスブックの友だち欄から削除され、電話番号がブロックリストに入れられ、そしてあらゆるネットワークから姿を消す。
米誌「フォーチュン」の調査によると、20歳から30歳の78%が「ゴースティング」の被害に遭っているという。

現実以上に、ネットの出会いでは幻滅されたら“終わり”は早い。

他者と出会って相手の複雑な内面を受け入れるようになるまで、どれぐらいの時間が必要だろう。次第にそうした「時間」はムダなものだと考えられるようになったらしい。

関係を切る側も、罪悪感なく簡単に切ってしまうようで――

「たくさんの出会いがあるから、もう用はないな、って思ったらその相手をチェンジ(ザッピング)する。罪の意識は感じないよ。だから僕だって、たとえば知り合って半年の友だちに『ゴースティング』されても何とも思わない」

 

『出会い系』も恋人探しの場ではなく、その場限りの関係を持つこと、性的な消費が前提になっているのだとか。ナンパと同じだね。

友だちであれ、恋人であれ、人間関係を構築していくって難しい。
覚めたら終わり。利用価値がなくなったら終わり。

そうかあ、今はブロックして「あなたとはつきあいたくない」意思を示し、説明なく切るのか。
まあ、切るほうとしては面倒なくていいのかもしれないけれど。

切られたほうは、最初はショックかもしれないが、自分は相手からその程度にしか思われていなかった、軽く扱われたということで、早々に離れるがいいと思う。説明を求めるほうが時間の無駄。

用済みになった人間は捨てる、ザッピングし、新しい人間とつきあい、それも飽きたら、またチェンジ。
なかなか深いつきあいまでには至らない。途中で「さようなら」が大半。

ならば最初から「浅い関係でいいや」ということで、フルコミットは避けたほうがお互いのため。
距離を詰められたほうは、ただただウザいのだろうな。

まあ、そう思ったり思われたりした時点で「その人とは縁がなかった」ということだ。

けれど、どの人と縁があるのかないのか、わからない。
だから、たくさんの人ととりあえずつながり、どんどん新規開拓していく。古くなったどうでもいい人はどんどん切っていく。

おお~まさに『恋愛工学』のようじゃの。

※恋愛工学についてはこちらを参照↓

「なんて寂しい関係なんだ」と批判するのは簡単だけど、そういう時代になったのだな。
出会いが簡単な分、別れも簡単。嫌になったら、飽きたら、新しい出会いを求めるのが可能になった。

フェイドアウトはよく聞くけれど、今はバシッとブロックかあ^^;
ま、生殺しのフェイドアウトよりも、「あなたとはもう交流したくありません」という絶交宣言=ブロックのほうがハッキリしていて、あきらめがつくから、そのほうがいいという人もいるかもしれないね。

人との距離感

なるほど、人との距離はとり過ぎるくらいでちょうどいいのかも。ウザいと思われたら終わりのようだ。

けど反対に「即レスしないといけない」「何か反応しないといけない」という空気に疲れてしまい、そんなネットづきあいに辟易している人もけっこういるんだろうな。まさにストレス。

人間関係を構築して、それを長く保つのはもはや至難の業。ま、ゆるくつながっておくのが一番かも?
親しくなるというのは実に難しい。

ただ、ブロックして完全に縁を切る、というやり方には違和感ある。

そう、しつこくつきまとわれストーカーされて仕方なく、というのではなく「こいつはつきあう価値はないな、面倒だから切っちゃえ」と気軽にブロックしているようだから。

フェイドアウトなら、また縁が復活する余地が残るが、ブロックはその余地さえない。

ま、それって『そこまで嫌われてしまった』というよりも『最初から人間扱いされてなかった』『最初からどうでもいい人だった』ということだ。
そもそも嫌われるほどに深いつきあいはしていないようで、単に「あ、こいつ、いらねえ。切るか」という感じ。

そういう人とはどっちみち親しくなれないのだから、早々に縁を切ってくれたほうがありがたい。

とは言っても、親しくなりたいと近づいたらブロックされたなんて、やっぱりキツイものがある。
だから最初から予防線を張ることも必要かも。

「基本、他人にとって自分はどうでもいい人間である」と思っておいたほうが傷つかずにすむ。

「人間関係も見直そう=断捨離しよう」とか言って、おつきあいする人間を整理する生き方指南もあったりするし、SNSでよく見かける『友だち数百人単位』も、ほとんど切っても構わない人間だったりするわけで――

昔と違って、今は『友人知人が溢れている状態』なのかも。モノがあふれているのと同じように。

これを豊かな社会と呼ぶか、世知辛い社会と呼ぶか……。

ただ、決まった人としかつきあえない昔の村社会=閉鎖社会よりはマシなのかもしれない。もしも、その閉鎖社会が居心地悪く、自分に合わない場だったら、それこそストレスがたまる。いろんな人と出会いのチャンスがあるほうがいい。

ま、とにもかくにも、他者に己の承認欲求をぶつけてはいけないな。
去る者追わず。

うむ、自己完結するオタク型人間のほうが、平和にやっていけそうな気がする。

そして、長くつきあえる友人なり恋人なりパートナーなりを見つけられたら御の字。奇跡と思ったほうがいいかも。

もしも、そんな人と縁がつながったら大切にしよう。

反対に、ちょっと嫌なところがあったからってゴースティング=ブロックし続けていたら、そんな人は見つからないかもしれない。そのうち空しくなり、出会いを求めることすら面倒になるだろう。それはそれでストレス?

そう簡単に縁を切ることができない=ブロックできない家族・学校・職場の人間関係もストレスだろうけれど。

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ほんと、人間関係は難しい。傷つきたくないし、ストレスから逃げたいよね。