『また桜の国で』(須賀しのぶ)を紹介しよう。高校生直木賞にも選ばれた作品だ。
※内容【ショパンの名曲『革命のエチュード』が日本とポーランドを繋ぐ――遠き国の友との約束。第二次世界大戦勃発。ナチス・ドイツに蹂躙される欧州で『真実』を見た日本人外務書記生はいかなる道を選ぶのか】
書評――情景描写が美しい。が、戦闘シーンや人々が殺戮されるところは陰惨。後半は過酷だ。ポーランドの歴史についても勉強になる小説。
ただ、登場人物たちが皆、崇高で正義感が強く『善人・聖人・優等生』過ぎる気もする。味方側は皆、いい人ばかり。
反面、ナチスドイツの悪どさが強調されている……。
ポーランド人は全員、善良なる被害者のように描かれている『また桜の国で』だが、過去、ポーランド人もドイツ人を迫害していたこともあるのだ。
第2次世界大戦終戦後は、ユダヤ人らがポーランドに残留した女子どもを含めた民間のドイツ人を大虐殺したし、ポーランドにはドイツ人収容所があった。
そう――ポーランドにも闇の歴史があるのだ。
けど『また桜の国で』では全く触れられず。
ポーランド=善、ドイツ=悪という単純図式が、読者に刷り込まれていく。
そこで今回は「ナチスドイツだけが絶対悪なのか?」というテーマで語る。
ちなみにショパンエチュード『革命』はけっこう弾いたよなあ。昔、録音をアップしたHPがあるので、ご興味ある方はこちら『ハヤシの練習室』へどうぞ。
目次じゃ!
ナチスドイツだけが絶対悪・偏った歴史観
ドイツとポーランドの闇の歴史
まずはツイッターで拾ったもの(高須克弥氏がRTしていた)を編集して紹介しよう。
1938年3月、ヒトラーはオーストリア在住のドイツ人が迫害されているとの理由でオーストリアへ進駐する。オーストリアのドイツ系住民はヒトラーを歓迎。不況に苦しむオーストリアに見切りをつけ、ナチスドイツに期待をかけたことも理由の一つだった。
現在のポーランド領の多くが第一次大戦前まではドイツ領で、ヴェルサイユ条約によってポーランドに併合。そこでのドイツ人住民に対する迫害は残酷だった。
国際連盟は民族の自立を謳いながら、ヴェルサイユ条約によって母国から1千万人ものドイツ人が切り離され、ポーランド領となった土地で迫害されながら生きる状況に置かれたことをまったく無視した。ヒトラーはこれらドイツ人の救済を一番の使命としていた。
ドイツがユダヤ人を迫害した事は明白だが、戦後はポーランドが逆にドイツ人の子供や女性をアウシュヴィッツ収容所にに収容し、ドイツ人の女性や子供を虐待した事も忘れるべきではない。
ポーランド人やフランス人はドイツ人以上に、ユダヤ人迫害に熱心で、ドイツの侵攻に伴って、謂わばナチスンの尻馬に載るような行為が横行した。ポーランドでは戦後、帰還ユダヤ人虐殺事件が多発。
東方植民時代のドイツ人にとってポーランド人などのスラブが住む地域はヨーロッパではなくアジアと思われていたところがあり、さらにドイツ帝国は国民団結のために初期からポーランド人を迫害していたのは事実のようだが――
それぞれ、やったりやられたり。
けど、歴史の教育で、ドイツ人が迫害にあったことなど教えられない。ユダヤ人に虐殺されたことも教えられない。(少なくとも私は知らなかった)
そう、日本の民間人が中国兵に虐殺された通州事件が教えられないように。
第2次世界大戦の戦勝国にとって、ドイツ(ナチス)と日本は絶対加害者でなくては困るのだろう。
原爆投下を正当化するユダヤ人人権団体SWC
ユダヤ人人権団体SWCは「原爆投下は戦争犯罪ではない」と主張しているようだ。
日本に圧力をかけるシオニスト組織「SWC」より――新潮社編集部の「第二次世界大戦で人類に対する明らかな犯罪が2つあったと思います。ひとつはホロコースト、もうひとつは原爆投下です。その責任追及を『SWC』がする予定はないのでしょうか?」の質問の中で、次の問答がある。
◆編集部:
原爆による無差別爆撃の事実は明らかで、これは戦争犯罪ですから、アメリカの戦犯追及を考えるべきです。◆クーパー:
率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません。◆編集部:
それは納得できません。非戦闘員の殺害は明らかに戦争犯罪じゃないですか。◆クーパー:
ノー。戦争というのは非常に悲惨な出来事なわけですけれども、2つの原爆を落としたことで、戦争が終わったという事実はあるわけです。もしトルーマンが原爆を落とさなければ、さらに多くの死傷者が出たでしょう。
●上の取材記事からも分かるように、「SWC」に代表されるシオニスト・ユダヤ人勢力は、自分たちのホロコースト体験は世界に向けて盛んに宣伝するが、他民族が体験したジェノサイド(ホロコースト)に対しては無関心のようである。現在、パレスチナで進行中のホロコーストに対しても冷淡で、むしろユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺を積極的に支持している有様だ。
「SWC」を「平和・人権団体」と呼ぶ人がいるが、「SWC」は非ユダヤ人の平和・人権に関しては無頓着だといえる。その偽善ぶりに、最近では「SWCはホロコーストを商業化している!」として一般的なユダヤ人からも批判が出ている。
――ということで、ユダヤ人人権団体は「原爆投下は仕方なし。日本が悪かったのだから」という考えのようだ。
SWCも人権屋ということか?
そして、自分たちに都合の良い考えだけを広めようとしている?
今現在伝えられている『ユダヤ人ホロコースト』の内容に少しでも疑問を持ったり、異論を持ったりすることは許されず、そういった人たちは社会的制裁を受け、社会的に抹殺されるようでだ。
疑問を持つことも許さない、それをもユダヤ人への差別だ、悪だ、犯罪だ、とするのは非常におかしい。
そこで、高須克弥氏の言葉を紹介しておこう。
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/902677625172307968より
「全てを疑い真実を追及するのが科学です。全てを信じさせ疑うのを禁止するのは宗教です。科学者の仮面をかぶった宗教家が共産主義者です」
日本人はついこの間まで、南京大虐殺、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦強制連行など信じさせられ、疑問を持つことは許されなかった。疑問を持てば、犯罪者扱い。社会的制裁を加えられ、葬られた。
日本は極悪だという歴史認識を植え付けられ、疑問を持つことをも許されなかった。
だが、疑問をもつことさえ許さない、議論させない、許されないというのはあきらかに異常。
検証し追究すると、そこに何か不都合なものがあるからではと邪推してしまう。
『絶対被害者』という立場はとてもおいしい。権利を主張しやすく、それが通りやすい。
ユダヤ人人権団体が『原爆投下を正当化する』のは、「米国支持の立場だから」というのもあるだろうが、「世界唯一の絶対被害者である」という立ち位置が薄まってしまうからではないかと穿った目で見てしまう。
『絶対被害者』は他者への人権侵害も許される。現にイスラエルが核を持とうが、パレスチナに何をしようが、欧米諸国はさほど批判せず、制裁することなく、認めてしまっている。
が、そんな疑問を持つことさえ、欧米では犯罪なのだろう。
まるで、そこだけ言論統制されている共産主義国みたい。
社会的圧力・制裁を加え、黙らせようとする言論封殺こそ恐ろしい。
だからこそ、疑問を持つ高須克弥氏に共感する者も多かったのだろう。
言論の自由が憲法で保障されている日本国は、ナチスのことやホロコーストについても大いに議論すればいい。疑問点を提示させ、それに対し、証拠を示し、合理的な根拠を示し、反論すればいいのだ。
ナチス・ヒトラーだけが絶対悪なのか?
ここでほかの人の意見を紹介。
https://twitter.com/sun_koubun/status/900351370234023937より</br >「日本のサヨクは文化大革命、天安門大虐殺、チベット大虐殺、ウィグル大虐殺、通州大虐殺、蒋介石による台湾人大虐殺、スターリンによる大虐殺、北朝鮮の公開処刑に関心しないのに、なぜ欧州のユダヤ人大虐殺だけを追及するだろう?」
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/900125044352864256より
「ナチスのみならず、イスラエルも日本もアメリカもソ連も中国も、闇黒の歴史を持っているということ。ヒトラーやナチスのみを絶対悪に仕立て上げて、魔女狩り、言葉狩りをやる左翼のやり口こそ、歴史修正主義」
民間人の大量虐殺という点では、アメリカの空襲・原爆投下、旧ソ連や中国など共産圏の国々もナチスに負けず、散々行ってきたのに、なぜかナチスやヒトラーのように『絶対悪』とされない。それはやはり「ドイツが先の大戦の敗戦国だから」と穿った見方をしてしまう。
先日、高須クリニックの高須克弥氏が、ナチスドイツの医学への功績やユダヤ人強制収容所のガス室への疑問に触れた発言をしたことで、反差別界隈が大騒ぎをし、民進党・有田議員までもが批判し、米国ユダヤ人人権団体に訴える騒ぎがあったが――
以前、図書館で『アンネの日記』が破られたことで安倍首相がイスラエルへお詫びした件、アイドルのナチス風衣装が問題になった件が思い出された。
はっきり言って、違和感を覚える。
「ナチス風衣装だからダメだ、やめろ」と言うなら、世界各国にある軍服のほとんどは『ナチス風』に見えてしまうのだけど、軍服はいいのか? 軍服こそやめれば? なぜ軍服を攻撃しない?
『アンネの日記』が破られたからといって、首相がイスラエルに謝罪するほどのことなのか?
表現の自由・言論の自由はどこまで許されるのか
『反差別・人権』を盾に言論統制・表現の自由規制を仕掛けてくる動きに警戒してしまう。
そーいえば、黒人差別だとして米テネシー州の劇場で34年間続いた映画『風と共に去りぬ』の上演が終わるようだ。同映画はユダヤ系プロデューサーが当時、黒人に対する差別表現を避けて作ったそうだが、それでも『風と共に去りぬ』は差別作品とされてしまったみたい。
ま、日本も以前『ちびくろさんぼ』が問題になったっけ。
反差別を訴えながらポリコレ棒で殴りかかる連中に辟易している人、息苦しく思っている人もますます増えることだろう。
表現の自由について、砂鉄氏@satetu4401 もこんなことを言っていたっけ。
「なぜ表現規制がいけないのかっつーと、それは表現規制が『自分以外の知性への不信』を前提とした制度だからだよ。『ナチスの服がカッコイイからナチスの思想に賛同する信者が増える』みたいなね、自分以外の人間に知性や完成を否定するところから、表現規制ってのは始まる。
他者の知性や感性の否定が行き着く所は『自分と違う考え方の人間は知性が無い、知性が無い奴は人間じゃないから殺してもいい』という思想に繋がっているわけよ。表現規制は戦争への第一歩であり、虐殺に繋がっていくわけ」
ま、さすがにこの写真には驚いたが。
こんなことを堂々としている国もあるんだな。イスラム系?
ナチス関連・参考になるサイト記事の紹介
第二次世界大戦当時のアメリカは、ナチスを賛美するドイツ系はそのまま放置する一方、日系人だけ強制収容所に入れた。
心にヒトラーを飼っている人たち
ユダヤ人や障害者を害虫扱いし、子をなさないように=再生産しないようにと避妊手術をさせたり、社会の邪魔ものとして殺害していったナチスだが――
そこで思わず、オタクを害虫扱いし「人間ではない」と言い放ったアニメ監督の山本寛氏、再生産しないことを願う反差別を訴える人権派の上野千鶴子氏のことが浮かんでしまった。
彼らも心にナチス・ヒトラーを飼っているのだということで、そのことについて書いた記事も紹介しておく。
では、ほか関連記事を紹介して終わりにしよう。