これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

パンティは語る☆演出とは~上手い絵とは~(真面目に語る)

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タイトルはアレであるが、創作について真面目に語る。

目次じゃ!

漫画・演出について

セックスシーンを脱いだパンツから始めてはならない理由とは?

なるほど、これを読むと――
「パンツが落ちている説明はいらない。説明ではなく演出せよ」とのことだが。

しかし、ワシはこんな疑問を持った。

『パンツが床に落ちているシーン=説明』となるのか?
『パンツが床に落ちているシーン=演出』にはならないのだろうか?

パンティが床に落ちているシーンから始まったら、それはそれでワシは興味を注がれるがの~。

そう、パンティとパンツが床に落ちていたら、その一コマで足りるではないか!
エッチシーンを長々描かなくても、あとは読者の想像に任せてもいい。

ワシだったら、ぜひともその『パンティとパンツが落ちている一コマ』にこだわりたい。

さて、ここでポイントになるのが『パンティのシワ』だ。

そのシワの状態で『パンティを男に脱がされたのか、女が自ら脱いだのか』が読者の想像をかきたてる。

嗚呼、くるまった状態で床に放られたパンティ……。脱がされたばかりの、まだほんのり体温が残っているパンティ。ホッカホカのパンティ。

もちろん、その情景を想像させてくれるようなパンティを描くには相当な画力が必要だ。今のワシの画力ではとても無理だろう。

饒舌に語るパンティのシワ。そんな絵が描けたら、どんなにいいだろうか。

おっと、話を進めよう。

仮に『パンティを男に脱がされた』としよう。
※ちなみに『無理に脱がされてしまった』としたら、フェミから文句を言われるかもしれないが、そこは馬耳東風でいこう。

ここは女のパンティの上に重なる男のパンツという絵がよろしいじゃろう。

これで、先に女がパンティを脱がせられ、男が後、ということが分かる。
ついでに、いろいろ想像させてくれる。

反対に男が先にパンツを脱いで、となると「ああ、この男、ガッツいているな」と想像してしまう。つまり『余裕がない男かも?』ということを臭わせてくれる。

うむ、パンツとパンティはここまで語れるのじゃ。たかがパンティ・されどパンティ。

とするとパンティとパンツが床に落ちているシーンは極めて重要ではないだろうか。

その一コマで、すでに興味をかき立てられるドラマが始まっておるのじゃ。

ただし、ひとつ注意点がある。
女のパンティの上に重なる男のパンツだが、男のパンツに焦点を当ててはいかん。

焦点を当てるべきは女のパンティ。
男のパンツなどほんのちょっと見えていればいい。つまり、ほんのちょっと重なっていればいいのだ。

そう、女のパンティが目立たなくなってしまうのは興ざめじゃ。
「その男のパンツ、邪魔だ」と誰しもが思うだろう。男のパンツなどどうでもいいのじゃ。

ところで以前にも言ったことだが、やはり『パンティ』という語感も大切じゃの。
ショーツとかスキャンティでは、どうも響きがいまひとつ。エロさが足りぬ。
ここはひとつ、オタクパワー全開で念を込めてパンティを描こうぞ。

漫画・絵について

上手い絵とは?『左ききのエレン』かっぴーさん語る。

次は佐渡島平氏の記事を紹介しよう。

左ききのエレン』の作者かっぴーさん、実は美大出身。ならば当然デッサン力があるはず。『へたうま』だったのか……。ちょっとびっくり。

かっぴーさん曰く――「デッサンとして、しっかりとした絵を描くことはできる。でも、そのような絵だと感情が伝わらない。感情を最大限に伝える絵にしようとしたら、なぜかこんな風になってしまう」

佐渡島さん曰く――「世の中に上がっている多くのイラストは、“正しく”あろうとしている。そして、その正しくあるための努力をする過程で、感情がゆっくりと抜け落ちていってしまっている」

たしかに、デッサンを直してペン入れて清書した時の絵って勢いがなくなり、つまらない絵になること多いよなあ。下書きの時の方がいい絵に見えることが多々ある。

で「漫画はやっぱり絵が大事」と東村アキコ氏もおっしゃっている。

☆『キャラはニュアンスの結晶体』

東村氏曰く――「話がよければ絵が下手でいいとは思っていない」
「話がどんなに凝っていても、印象的なシーンがないとすぐに忘れてしまう」
「印象・記憶に残るのはストーリーの内容よりもシーン・絵である」

うむ、パンティのシワは緻密であってほしいが、時には勢いが必要なこともあるかもしれない。それに緻密なだけではかえって乾いた感じになって、潤いと柔らかさに欠け、エロティックから遠ざかる。まずは湿り気をどう表現するかにかかっておる。

感情を物語る人々の心の記憶に残るパンティ……そんなパンティを描くには天才的な画力が必要になるがの~。とりあえず情念を込めてパンティを描こう。

マンガ道を歩んだハヤシの画の変化

ネタとして自分の画がどう変わっていったかを挙げてみようぞ。まずはデビュー作。

☆「音吉君のピアノ物語」1話より

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この画力じゃ、今の時代ならばデビューなんてできなかっただろう。ま、デビューできたのは運が良かったから。その一言に尽きるかもなあ。

※ちなみに小学館コミックオンデマンドにて「 音吉君のピアノ物語・全6巻」発売中!

そんな『音吉君』が終了して約10年後の画力はこんな感じに変わっていった……。 

☆漫画『ピアニスト』より

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この頃になると「下手」と言われることはなくなってきたけど、「よくある絵だね」ということで「個性がない」と評された。要するにどこにでも転がっている画だと。

※『ピアニスト』は絶版だけど、アマゾンで中古本が出回っていたりします。

ピアニスト (ぶんりき文庫)

ピアニスト (ぶんりき文庫)

その後、ピティナショパン漫画を連載しつつも、RPGクロノトリガーにはまり、二次創作をしたりしていたっけ。なお、プロフィールのアイコンは『ラヴォス』(クロノトリガーのラスボス)です。

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さらに約10年後。今はこの画力。

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漫画とイラストはまた別ものだけど。コマで割る漫画より、一枚絵のイラストって難しい。デッサンの狂いがより気になる。鏡写し(透かし)で直してこれで大丈夫だろうとペン入れして、色塗って、ネット上にアップした時、あれれ? という時がある。キャラに動きがなくなる。

んで、実は昔、こんなようなことを言われたっけ。
「音吉君の頃のほうの絵が面白味があってよかった。キレイなだけな絵はつまらない、印象に残らない」と。

いやあ、何だか難しいの~。 

ちなみに今、音吉を描いたら、こんな雰囲気になると思う。

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楽しく描いて何が悪い

昔、漫画を描いていた時、「楽しく(漫画が)描きたい」とBBSで発言したら、「楽しくねえ……」とある漫画原作者から返された。その「……」には「甘いんじゃない? 誰も楽しくなんてやってねえよ」というニュアンスが滲んでいた。

「いや、楽しくは基本じゃ?」と今なら思う。じゃないと長続きしないから。
けど『耐えて努力すること』に価値を置く風潮は未だに残っているのかも。辛くて苦しいけど耐えて耐えて耐えぬいて人の何倍も努力をしないと他者との競争に打ち勝てず、社会から認めてもらえないんだと。

絵も文章も、自分よりも上手いやつ(レベルの高いヤツ)はたくさんいる。星の数ほどいる。なかなか認めてはもらえないだろう。

が、他者と較べてしまっては「自分はダメだ。努力しても追いつかない」となり、気力も保てなくなる。テンションも下がり、楽しくなくなる。
他者(社会)に認めてもらうというのは、なかなかに厳しいものなので、それはひとまず置いておこう。

もち「そういう他者との競争が好き、それがないと奮起できない」という人は、他者と自分を較べっこし、どんどん競争して、レベルアップをはかっていけばいい。そっちのメンタリティのほうが今の時代に合っているだろう。
競争こそが社会全体のレベルアップにつながるのも事実である。競争がなければ沈んでいく。

けれど、どうしたって他者との激しい競争に合わない人も出てくる。
そういった人は、他者ではなく『昔の自分』との比較でレベルアップを目指すべし。他者と較べるのは避けたほうがいい。

この考えでは「他者よりも」が抜けているため、厳しい競争には打ち勝てないかもしれない。が、他者と較べてばかりいると息切れして、そこでドロップアップしてしまいそう。

やっぱりマイペースを保つことが大事。要は自分にあったやり方・考え方でレベルアップを目指そう。道は長いぜ。

※ほか、ハヤシのマンガ話が載っている記事はこちら↓