これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

はじめまして☆漫画イラストと自己紹介

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まずは自己紹介。
東京音楽大学ピアノ専攻卒業後、漫画家を目指し、少年サンデーに持ち込みを続け、ピアノの先生やりながら、漫画を描いておった。漫画を仕事にしている間、けっこう、あちこちの編集部を彷徨いましたぞ。ここはそんなハヤシの雑記・物語集じゃ。

目次じゃ!

ハヤシの漫画作品紹介

主な作品。
週刊少年サンデー『音吉君のピアノ物語』
スーパージャンプ『御令嬢金崎麗子』
ヤングチャンピオンスカイプレイ』『火遊び』
彩図社『ピアニスト』
ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)サイト『ショパン物語』
ほか読み切り作品多数。

ピアノ漫画について

週刊少年サンデーで『音吉君のピアノ物語』でデビューした後、いろんなジャンルの漫画を描いたが、やっぱり『ピアノ音楽もの』に戻ってきた。それがこの『ショパン物語』だった。ワシの最後の作品になる。

ショパン物語』への架け橋となってくれたのが漫画『ピアニスト』。当時、所属していたピアノサークルでたまたまピティナ関係者と知り合い、漫画を見てもらったところ、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで漫画をやってみないかという話になり、『ショパン物語』が誕生したのじゃ。※『ショパン物語』は無料で閲覧できます。

ピアニスト (ぶんりき文庫)

ピアニスト (ぶんりき文庫)

イラスト紹介

デビュー当時はとにかく絵が下手だった。「ハヤシさん、もっと絵の練習してよ」と担当編集者からも言われ続けた。『ハヤシ=絵が下手』この図式を破ることができなかった。

デビューしてから数年後、持ち込みしたビッグコミック・スピリッツのある編集者からは「よく、これでプロやってたな」という呆れ果てられた評価をもらった。

数年経っても、なかなか画は上手くならなかった。

が、さらに時が経ち、「下手」と言われなくなってきたが、今度は「絵に味がなくなった」「没個性」「どこにでもある画」「つまらない画」「昔の絵柄のほうがよかった」という評価。難しいものよの。

その頃、RPGクロノトリガーにはまり、二次創作をしたりオタク道まっしぐら……。まずは、そのイラストを紹介しておこう。

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で、今現在の画力はこんな感じじゃ。

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音大生時代の話

音大時代、ワシが本格的に漫画を描こうとしていた時、すでに『オタク』という言葉が生まれ、「オタクは恥ずかしい、カッコわるい、ダサい」と世間から悪いイメージで見られ始めていた。
が、その前の中学時代、高校時代はそうではなかった。マンガ絵を描けば、周囲に「へえー上手いね」と認められていた時代でもあった。『オタク』という言葉もなく、もちろん「気持ち悪い」という空気もなかった。

そんな大学3回生の時、ピアノの熱が下がり始めたワシはマンガに興味をもっていたにも関わらず、世間がいう「健全だ、まともだ」という世界に馴染もうとして、他大学のスキーサークルに入ったり(当時、テニスとスキーが大学生たちの間で流行っていたのじゃ)アルバイトを始めたりしていた。

今思えば、漫画研究会みたいなサークルに入ればよかったと思っている。

音大生でピアノを専攻していた自分としては、ピアノの練習が忙しかったのだけど、
周囲から「大学生にもなってバイトをしたことがないなんて普通じゃない。社会性が育たない」「ピアノばかり弾いてもピアニストになれるわけでもなく、どうせ先が知れているんだから、もっと他のほうへ目を向けろ」「音大生は世間知らずだから、一般の大学生を見習え」と言われていた。

そう、ワシはまともな人間・まともな大学生ではなかった。

たしかにピアノはもう行き詰っていたので、『普通の健全な人』になろうと思い、『普通の健全な大学生』にあこがれ、バイトに夢中になった。大学が休みの時は、1日中バイトをしていた。

今、考えれば、学生時代はやはり勉強(自分の専門の道)に励むのが当たり前で、「暗い、つまらない、世間知らず」と言われる筋合いはない、と思うのだが。
当時は、コツコツひとりで勉強に真面目に励んでいると『根暗(今は死語か)で世間知らず、つまらない冴えない学生』に見られがちだった。
「真面目」という言葉は「つまらない」という悪い意味でよく使われていた。

もちろん、結果(ピアノの場合、大きなコンクールに入賞するとか)が伴えば、そんなことは言われなかったのだろうが、結果が伴わず、努力(ピアノの練習)だけダラダラ続け、その努力(練習)は無駄だと周囲が思っていたから、そう見られてしまったのだろう。

普通の健全な大学生とは『バイトをして、自分の小遣いを稼ぎ、サークルに入り、友達をたくさん作り、人脈を拡げ、世間を知り、恋愛をし、コンパ(合コンのことね)をし、人気のある遊び(当時はスキーとテニスだった)をするのが王道』という時代であった。

ピアニストになれるわけでもないのに部屋にこもって延々とピアノを練習していたことを反省したワシは『健全な人』になろうと思い、バイトに励み、流行のスキーをし、世間一般の大学生のサークルに入ってみたものの、何だか居心地が悪かった。話題も合わない。完全に浮いていた。健全とされていた普通の世界に馴染めなかったのだ。

その世界に馴染めないワシは劣等感をもった。

かといって、もはやピアノへの熱も覚めてしまった。これから、ほんのちょっとピアノが上手くなったからといって、将来の展望があるわけでもない。ピアノは単位がとれる程度にしか練習しなくなった。

※ハヤシのピアノ演奏録音はこちらへどうぞ。曲目はショパンエチュードOp10-12『革命』とOp10-8、Op22『華麗なる大ポロネーズ』じゃ。

そんなワシが本当に興味を持っていたのがマンガの世界。

一時は『普通の世界の住人』になろうとしたが、自分には無理。ならばマンガの世界に飛び込んでみようと考えたのじゃ。

 

最初は「漫画家になんてなれるはずがない。無駄な努力はやめて、普通の健全な人を目指せ」と言われていた。『オタク』も蔑まされ始めていた。

……オタクを蔑むのであれば、プロの漫画家に対しても「低俗な恥ずかしい価値のない職業だ。気持ち悪い」と見下せばいいのに、と今ならば思う。プロの漫画家もオタクだった人が多いだろうから。

ま、とにかく、自分も漫画家を目指してみた。

漫画原稿持ち込み~コミック誌連載時代

週刊少年サンデー時代

当時、サンデー編集部に持ち込みを開始した。なぜサンデーを選んだかというと、高橋留美子先生がいたからだ。無知なワシは少年誌で描いている女性漫画家は高橋留美子先生しか知らなかった……。

しかし、あまりの画力のなさに、何度か原稿を見てくれていた編集者に「これでは厳しい」と、暗に漫画家になるのはあきらめるようにと諭されてしまった。

で、これで最後だと思いながら描いたのがピアノもの漫画『音吉君のピアノ物語』だった。

別の編集者に見せたところ、「上(副編集長)に見せるから」とその下手な原稿を預かってもらい、その直後、デビューが決まった。しかも、そのまま週刊連載となった。今思えば、何も知らないド素人をいきなり週刊連載するなんてサンデーって太っ腹だったんだな。

↑『うしおととら』と同じ賞をとり、同時期に連載開始だった。

スーパージャンプ時代

その後、他誌でも連載もいくつか経験させてもらえた。

もっとも厳しかったのが集英社の『スーパージャンプ』(今は廃刊)だった。この雑誌は『週刊少年ジャンプ』から派生、青年誌として存在していた。やり方はジャンプ方式・人気アンケート至上主義だ。

ケチ道をテーマに7~8ページのショートギャグとして『御令嬢金崎麗子』が連載スタート。

※『御令嬢金崎麗子』――実は、その前に『ビッグコミック・スピリッツ』に持ち込みして、担当のOKもらったものの、副編集長や編集長のOKがもらえず、没になった作品だ。担当を笑わせることができたので自信あったんだけどダメじゃった。

そのうちレストランや食堂で『いかにして相手におごらせるか』という話が人気をとり、以降ずっと『おごられバトル』をテーマにして話を作ることになった。

しかし『次回へ続く』ができない読み切りスタイルで、一つのテーマで話を作り続ければ、すぐに限界がやってくる。

案の定、10話程度で限界が来た。

が、それ以外のテーマは認めてくれない担当編集者。「ここでやめたら、もう次の仕事はないよ」とのこと。もうダメかもしれん、と思った。

ネームができない。担当からの催促の電話が怖かった。ここでワシは電話嫌いになった。今も嫌いじゃ。

やっと原稿を完成させても、また2週間後に〆切が来る。新しい話を考えねば、と思うと吐き気がしてきた。いつまでこれが続くのだ?

20代にして白髪が出てきて、あっという間に増えた。

そのうち、担当が変わった。

その担当さんは週刊少年ジャンプから移動してきたギャグ専門の編集者だった。(『マサルさん』の担当をやっていたらしい)

それまでは基本、話し作りはすべてワシ一人でやり、ネームに起こし、それについて担当が感想を述べる、OK出すか出さないかを決めるスタイルだった。(週刊少年サンデー時代もそうだった)

が、その担当さんからは、話し作りから一緒につきあってくれた。アイディアを出し合い、「こんな話にしよう」と決めてからネームに起こす方式になった。

これで話し作りは相当ラクになった。打ち合わせも楽しくなった。「もう限界だ」と思われた『御令嬢金崎麗子』もそれから2年続けることができた。

んが、さすがに本当の限界がやってきた。だって、ずっと『おごられバトル』を読み切りスタイルで連載してきたのだから、アイディアはすっからかん。担当さんからもアイディアが出ない。

それでもなんとかひねり出したネームに、編集長からダメ出しを食らった。

そこで、ワシは「そろそろやめる時が来た」と思い、その旨、担当に伝えた。

が、なんと「作家側には作品を終わらせることはできない」「終わらせる権限は編集部側にある」と担当は応えた。

そう、作品を終わらせるかどうかは、編集部が決めるものなのだ。

もちろん人気がなければ打ち切りになるのは仕方ないけれど、こちらが「終わらせたい」と思っているのに続けなくてはいけないという漫画界の掟をワシはこの時まで知らなかったのじゃ。

正直「終わらせる権限が漫画家のほうにないなんて、この業界、ついていけないかも、合わないかも」と思った。

いや、きっと私が甘かったのだろう。作品を続けるか終わらせるか、編集部=クライアントの意向に沿い、クライアントの希望通りにしてこそ、プロの漫画家なのだろう。ワシにはその力量がなかった。

漫画家の世界

それでも漫画の世界は、普通の世界よりも馴染めたし、居心地は良かった。
漫画の世界がなかったら、ワシはもっと劣等感に苛まれ、「生きていてごめんなさい」という生活を続けていただろう。

ま、やるだけやったし、悔いもなく、それよりも自分の実力以上に認めていただけて、かなり恵まれていたと思う。

で、編集部VS漫画家になった場合、やはり漫画家側に肩入れしてしまい、漫画家を応援したいと思いつつ……
今現在、趣味としても漫画はあまり読まなくなり、漫画の世界からは離れつつあり、小説を楽しむことのほうがずっと多くなってしまった。

けど、漫画界はこれからどうなるんだろう? そういったことはやはり気になる。漫画界はお世話になった場であり、劣等感まみれのワシに希望を与えてくれた場所でもあり、行く末を見守りたいとは思う。

※ほか、ハヤシのマンガ話が載っている記事はこちら↓ 

漫画を趣味として読むことからも離れてしまったが、唯一、気になるのは『進撃の巨人

当ブログについて

ハヤシは今、漫画よりも小説に興味をもっており――どうせならお話も作ってみたいと思い、小説・イラスト発表の場として、ここ『はてなブログ』を開設したのじゃ。

小説はこちらに目次ページを設け、各物語をリンクさせてます。

とはいえ、小説だけアップしたところで読まれないだろうから、雑記(エッセイ)も載せていくぞ。

実は『ソネットブログ』でずっと活動をしていたのだけど『はてなブログ』のほうがデザインに優れているし、何と言っても読みやすい。そこで活動の場を『はてな』に移しすことに。

ソネットブログ』に載せている記事をリライトし、こちらに転載することもあり、ちょいと古いネタもあるかもしれないけど、そこは許してほしい……。 

※ハヤシの『ソネットブログ』はこちら↓

雑記として、創作関連、書評・作品紹介、漫画のことを中心に、ほか社会問題、ライフスタイル、恋愛・婚活・不倫・浮気、家族・教育、ピアノ・音大について語る。

一人称は主に『ハヤシ』『ワシ』、長老言葉を使っておる。なぜかって? なんとなく……単なるノリじゃ。

 

いちおう宣伝!

小学館コミックオンデマンドで発売中

「音吉君のピアノ物語・全6巻」

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