これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

秋の夜長―孤独死、上等

孤独死より苦痛なものは世間の目=世間の嘲笑。死は世間からおさらばできる永遠の安らぎ。そんなお話。

以下、本文。

 芸術の秋に食欲の秋、そして読書の秋。
 ちなみに10月27日から11月9日まで――『文化の日』を挟んだ2週間は『読書週間』である。

 長山春香は図書館に来ていた。
 図書館は結構、利用するほうだ。漫画の資料として、あるいはネタ探しのため、あるいは純粋な趣味のために、本を借りる。何といっても無料で利用できるというのがありがたい。

 漫画のアシスタントで食べている春香の暮らしはカツカツだ。
 どこかに遊びに出かけるということは皆無。テレビもPCも持っていない。

 なので図書館に行って本を借りて読むことくらいしか趣味がない。
 ただ土日は人が多いので、なるべく平日に利用するようにしている。人が多いところはできるだけ避けたい。

 けれど今日は土曜日。
 どうしても読みたい本があったので訪れてしまった。お目当ての本を見つけたらすぐに帰るつもりだ。

 春香は帽子を目深に被り、マスクをつけ、心持ち下を向きながら歩く。帽子とマスクは意地悪い人間たちの視線から春香を守るバリアとなる。

 ちょうどブタ草の花粉と季節外れの風邪が流行っていて、周囲もマスク姿が多く、目立つことなくそこに紛れ込める。心置きなく自分の醜い顔をマスクで隠すことができてホッとする。

 春香は、まず今まで借りていた本を返しに受付カウンターへ向かった。
 その時、足元にベビーカーが見え、ぶつかりそうになった。

「あ、ごめんなさい」
 母親らしい人の声が聞こえ、ふと春香は顔を上げる。

 その若い母親は春香へ軽く会釈し、一緒にいた夫らしき男性とそのままベビーカーを押しながら通り過ぎた。

 ――ヤバ女と四条先輩?
 この地域に住んでいたのか……と春香は、ベビーカーを押すその若いカップルを暫し見つめた。
 ――結婚して……もう子どももいるのか。

 春香にとって恩人でもあるあの二人は幸せに暮らしているようで、ちょっとほっこりした気分になった。
 めったに他人に関心を持つことのない春香にとって、めずらしいことだ。

 けれど、こういった幸せな風景は遠くからそっと眺めるに限る。声をかけ縁を復活させようなどとは思わない。
 ヤバ女も四条先輩も自分のことなど覚えていないだろうし、彼らはもはや別世界の人間。

 お目当ての小説を見つけると貸出手続きをして、春香はすぐに図書館を出て、家に帰った。

 その夜、風邪のひき始めといった感じで体調が悪くなった。
 食欲もないので、今晩の夕食は抜くことにする。そういえばノロウイルスも流行っていると聞くし、要注意だ。

 でも独りだからゆっくり休める。

 普通の人は、一人暮らしで病気になると不安や寂しさを感じるらしいが、春香はそう思ったことはない。

 むしろ誰にも気兼ねせずに休めてホッとする。
 人がいてもいなくても苦しい時は苦しいし、痛い時は痛い。どうしても辛い場合は病院に行けばいい。

 もし孤独死になったらなったで仕方ない。
 ある意味、死は安らぎでもある。死に至るまでがは辛いだろうけど、死んだら何も感じなくなってラクになれる。

 春香にとって、死よりも遠ざけたいのが、人であり世間だった。

 春香を認めてくれる浅野編集者や沢田先生のような人間、あるいは春香を助けてくれたヤバ女や四条先輩のような人間もいるけれど、稀なケースだ。
 たいていの人は、醜い春香を哂うか、上から目線で気の毒がるか、関わりたくないと無視するかだろう。

 自殺するほどに死に魅せられているわけでもないけれど、死のほうからこちらにやってくる分にはそれはそれでかまわない。

 ――けど沢田先生に迷惑をかけられないから、ちゃんと治しておかないと。

 沢田先生の連載している漫画は新しい展開に入るらしく、春香も楽しみにしている。

 ほんの少し開けてある窓から心地良い秋の夜風が入ってきていた。
 部屋の片隅には真夏の名残のように扇風機が置いてある。片付ける場所もないのでそのまま出しっぱなしだ。

 今日借りてきた本はまだ途中までしか読んでない。
 もっと秋の夜長を楽しみたかったが、早く寝ることにし、春香は窓を閉めた。

   ・・・

 四条家の今晩の夕食は、秋刀魚と大根おろし、焼き茄子、エリンギとエノキとシメジと椎茸の炊き込みご飯、カボチャの煮つけ、ネギと人参とワカメと豆腐の具だくさん味噌汁と秋の味覚が盛りだくさん。

 1歳の涼也も離乳食卒業に向け、静也と理沙が食べる同じものを少しずつ与えるようにしている。

 離乳食の時は涼也だけ先に食べさせていたが、涼也が静也と理沙の食べる物に興味を持ってくれるようにと、今は家族一緒に食卓を囲むようにしている。

 けど、やっぱり食べさせるのはひと苦労。
 理沙と静也は交代で涼也の食事の世話をしながら、自分たちの食事をバタバタと済ませる。

 ゆっくり食事できるのはいつの日になることやら……。
 それでも家族三人、食欲の秋を満喫した。

 食事を終えた後は、涼也にはお眠までの時間、読書の秋を楽しんでもらうことにする。

 図書館で借りた絵本を理沙は涼也に読み聞かせる。もちろん、まだ1歳の涼也には内容は分からないだろうけど、いい刺激になるはずだ。
 涼也は、理沙のむっちりもっちりした太ももに乗り、理沙と一緒におとなしく絵本を見ている。

 この間までは理沙の乳を独占していたくせに……今は理沙の太ももを涼也にとられていることに嫉妬心を抱かないではない静也は夕食の後片付けと洗い物に励む。

 涼也を寝かしつけたのか、理沙が居間にやってきた。
 一時は涼也のために夜中は何度も起きなければならなかったので、仕事がある静也は和室で、理沙は涼也と居間で、寝室を別にしていたが、今は和室で三人一緒に寝ている。

 静也も洗い物を終えて、何となしに居間にあるテレビを点ける。
 ニュース番組にチャンネルを合わせると『小学校お受験』について報道特番をやっていた。

「そうかあ、私立小学校の受験って10月に実施するところが多いんだな」

 やはり教育問題は気になる。涼也の教育方針について、そろそろ夫婦できちんと話し合いたいところだ。

「小学校から私立って大変そうね。いろいろと」
「うちは公立でいいよな?」

「まあ、夫婦共働きだしね。やっぱ小学校から私立へ行く子のお母さんって専業主婦が多いんだろうし」
「私立は、子どもの教育にどれだけ親が時間を割いてやれるかも見られるそうだからな」

「じゃあ、働いているママの子どもは私立に入るには不利ってこと?」
「現実的にはそんな感じかもな。もしくは祖父母の協力がないと厳しいだろうな」

「うちは無理だよね。公立でのんびり行くかあ」
「ただ、この地区の公立がどの程度のレベルなのか、そこは心配だな」

 やはりいい環境で学ばせたい。それが本音だ。学級崩壊で授業を受ける権利がなくなるのは困る。

 ただ……学力をつけさせたいと思うものの、学力のレベルすなわち学歴の高さが、将来の日本社会でどれくらいの影響力を持つのかは分からない。グローバル化はますます進み、もっと競争が激しく厳しい世の中になっていくんだろう。

 まだまだずっと先の話だけど、涼也がちゃんと職を得て食べていけるのか心配になることもある。

「まあ、オレたちはずっと公立だったけどな」
「けどさ、大学って……行ってないから、やっぱ憧れちゃうよね」
「涼也が行きたいなら、行かせてやりたいよなあ」
「大学かあ。教育費ってやっぱりお金かかりそうだよね」
「だな」

 二人は顔を見合わせ笑った。テレビの特番はいつの間にか終わっていた。

 これからどんな未来を歩んでいくのか……先の予測はとてもつかない。不安もあるけど楽しみでもある。まあ、何とかなるだろう。

 この後、ドラマを見るという理沙をそのままにして、静也は寝床で読書する。明日も休みだから心置きなく秋の夜長を楽しめる。

 おっと……その前にお眠の『ふっくら』と『ぷっくり』のもっこりお腹を拝んで、おやすみの挨拶をしておかねば。文鳥たちには迷惑だろうけれど、これは静也の日課になってしまっているのだ。

 ということで今日も平和で穏やかな一日を過ごした四条一家であった。昔、ほんのちょっと接点があった、同じ施設出身の長山春香と図書館でニアミスしていたことなど知る由もなく。