これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

祝・お誕生日―恵まれた子と恵まれない子

子は親を選べず、親もどんな子が生まれるかは分からず、人間を誕生させるって、でかい博打。今の時代、子を持つ覚悟が相当に問われそう。

先日、林修のテレビ番組で「高学歴ニートVS橋下徹」にて、あるニートが親に対し「勝手に産んでおいて」云々と「産んだ責任とれよ」「親への感謝なんて強制するな」と言いたげなセリフを吐いていたっけ。本人に了解をとりようがなく、強制的にこの世に生まれさせるなんて酷。ま、そう思っている人は子を持たないだろうし、無責任に子をつくる人が少なくなるのはいいことだと思う。生まれたことを呪う=生きづらい人はたくさんいるのだろうな。

そんなことを考えつつ、以下、本文。

 すっかり涼しくなり、秋の気配に満ちる10月初めの夕刻時。
 静也はいつものように定時で仕事を上がらせてもらい、早々に帰宅していた。

「ハッピーバースディ」
 今日は息子の涼也の1歳の誕生日だ。
 涼也を囲みながら、静也と理沙は盛り上がっていた。親バカ、炸裂といったところか。

 涼也は体重が10㎏近くなり、何とか『あんよ』ができるようになった。
 嗚呼、ガニ股でよちよち歩く姿の何てかわいいこと!
『ふっくら』と『ぷっくり』のもっこりお腹を凌駕するかわいさだ。

「マ~マ、パ~パ」
 涼也が声をあげる。
 そう、「ママ」に続き、あれから程なく「パパ」と言えるようになった。もう静也は涼也にメロメロだ。

「そろそろ離乳食ともお別れだね」
「オレたちと同じものが食べられるようになるって、何だか嬉しいな」
「でも歯磨き、大変だなあ」

 とりあえずショートケーキにろうそくを一本立てて、涼也にフ~をさせる。
 いつもと違う雰囲気に涼也も大はしゃぎ。

 理沙が涼也の脇でフ~フ~する。涼也もそれを真似る。なかなか上手くいかない。けれど何度目かのフ~っで火を消した。
 ちなみに静也は写真・動画係だ。デジタルカメラでこの幸福な時を収める。

「おめでとう涼也」
 理沙もハイテンションだ。涼也もキャッキャッと笑っている。
 なかなかいいショット。

「さて、ケーキ、涼也に食べさせて大丈夫かな」
「調べてみたけど、いろんな意見あるみたい。少しだけならいいんじゃない」
「だよな。あまり神経質になるのは良くないよな」

 イチゴと、生クリームをほんのちょっぴりついたバウンドケーキひと口分を涼也にあげる。あとはバナナと、いつもの離乳食だ。

 涼也はイチゴをペロリ。そして理沙と静也のショートケーキを指差す。「イイゴ~」

「ええ? イチゴ欲しいの?」
「ん~仕方ないかあ」
「今日は特別だね」

 理沙と静也はまずはイチゴを涼也への誕生日プレゼントとした。

「さあて、このあとは『選び取り』だな」
 静也は財布、鉛筆、電卓、絵本、金槌が入った桶を持ってきた。

 こういった桶の中のモノを1歳のお誕生日を迎えた赤ちゃんに選ばせ、その子が手に取ったもので子どもの将来を占う『選び取り』という行事がある。

 この『選び取り』の風習は地方によって異なり――2,3メートル先にいろんなモノを置き、一升餅を背負わせた赤ちゃんにそれを取りに行かせたりと、いろいろなスタイルがあるようだ。
 選んでもらうモノも、財布(お金)、鉛筆(筆)、電卓(そろばん)、本、金槌とは限らない。

 ちなみに財布を選べば「将来、お金に困らない」、筆を選べば「芸の才能あり」、そろばんを選べば「商才あり」、金槌を選べば「職人の才能あり」となるそうだ。

 また赤ちゃんに背負わせる一升餅鏡餅と同じく丸い形をしており、神様の依り代とされ「一生、食べ物に困らないように」「一生、円満に暮らせるように」との願いが込められている。

 ただ今回、一升(約2kg)の餅を背負って歩くのは涼也には無理だろうということで、そのしきたりは省略した。

 かつて日本人は年齢を『お正月に年を取る数え年』で表し、誕生日は重要視していなかったが、この1歳の誕生日だけは特別だったらしい。昔は1歳を迎えることなく亡くなってしまう子どもが多かったからだろうか。

「健康に元気で。これが一番だよね」
 理沙は涼也を膝の上に乗せ、静也が持ってきた桶のほうへ向かせた。

 涼也は興味シンシンの様子で桶の中を覗き、手を突っ込む。
 静也もこのシーンを逃してならぬと動画を撮る。

「何を選んだ?」
 見ると、涼也は絵本を手に取っていた。

「さすが、静也の血をしっかり引いているね」
「知を選んだかあ。知性に優れる人になれるといいなあ」

 静也はこれ以上ないくらいに破顔し、デジタルカメラを理沙に渡すと涼也の両脇に手を入れ抱き上げた。
 涼也は絵本を持ったまま、キャッキャッと笑い声をあげる。

「あとでその本、読んであげるね」
 理沙は涼也から絵本をとり、静也の代わりにデジタルカメラを回す。

 静也は、涼也へのプレゼントその2として、涼也が飽きるまで『高い高い』をやってあげた。
 涼也ははしゃぎながら「パ~パ、パ~パ」と連呼し、静也をさらにメロメロにする。

 そんな幸せな光景を眺めながら、理沙はあの『遠藤さん』のウワサを思い出していた。
 ――その後、遠藤さんの子ども二人は児童相談所の一時預かりとなったらしい。

 あの主婦二人組(山本さんと鈴木さん)の話によると、遠藤さんの上の子は発達障害を抱えていたようで、ずっと前から遠藤さんは育児に疲れ切った様子だったという。ご主人も仕事が忙しかったらしく、家庭を顧みる余裕がなかったのか家にいる時は寝てばかりだと、遠藤さんから聞いたことがあったそうだ。

 それからの遠藤さんは表情をなくしていき、どこか病的なものを漂わせていた。時折、子どもの激しい泣き声が聞こえるようになり、遠藤さん宅からは不穏な物音もするようになったらしい。

「もしかしたら児童養護施設行きになるかもしれないわね」と山本さんは声を潜めて言った。

 遠藤さんの下の子は1歳だという。
 となると下の子は乳児院、5歳になるという上の子は児童養護施設と、兄弟離れ離れになる可能性が高い。

 遠藤さんも辛いだろう。けれど無理して、取り返しのつかないことになるよりは施設に預けたほうがいいかもしれない……。

 聞くところによると、児童養護施設に入所する子どもの2割が発達障害など何らかの障害を抱えており、施設ではそういった子の割合が増えていっているという。

 そんなことを思う一方で――昨晩のテレビで見た『人並み外れ優れた才能を持った子どもたちとその親』のことが理沙の頭を過る。

 その番組に出ていた子たちは、どの子もしっかりしていて、自主的に努力をし自らの才能を伸ばし、周囲の尊敬と憧れを集めていた。
 その子たちの親は、輝かしい未来に向かっていく我が子に全てを捧げていた。

 もちろん辛いことや大変なこともあるだろうし、テレビ用に演出された部分もあっただろうが、親とその子どもたちは自信と希望に満ち溢れていた。特にピアノが上手い女の子とその母親のことが印象に残った。

 理沙は眩しい気持ちでその様子を眺め、自分が暮らした児童養護施設の子どもたちに思いを馳せた。

 施設では、ほかの入所者とほとんど交流しなかったので、どんな子たちがいたのか今となってはうろ覚えだ。
 でも恵まれない子たちばかりだったのは確かだろう。輝かしい未来とは無縁で、不安ばかりが先立つ。親を頼れない子も多かったに違いない。そもそも、頼りにできるような親であれば、施設暮らしにならずに済んだはずだ。

 不公平だな……と正直思う。

 涼也は運よく順調に育っているし、夫の静也も育児に協力的で、経済的にも心配なく、今の自分の立場は非常に恵まれている……とはいえ理沙の心は『恵まれない側』のほうに引っ張られる。

 普通にやっていけているだろう山本さんと鈴木さんだって、子どもの将来への不安を口にしていた。
 理沙にとっても『輝かしい子どもたちとその親』は遠い世界のお話だ。

 遠藤さんのことも気にかかるが、理沙にはどうすることもできない。
『遠藤さんのところは大変だ。気の毒だ』という気持ちの裏には――うちは恵まれている、うちはマシだ、というホッとした思いが隠れている。
 表だって遠藤さんのことを心配したところで、それはきっと遠藤さんにとっては『上から目線』に感じるだろう。

 思えば……静也から聞いた年賀状事件でも、自分たちの気遣いは裏目に出て、女性職員らを怒らせてしまった。

 気遣いも場合によっては見下し行為になる。人を傷つける。
 だから遠藤さんのことについても遠くで見守るのが精々だ。遠藤さんの辛さを本当の意味で分かち合うことはできない……。

「パ~パっ」
 ――涼也のはしゃぐ声に、物思いにふけっていた理沙は引き戻される。
 静也からたくさん『高い高い』してもらって涼也は口を大きく開けて笑っていた。

 ふと『高い高い』してもらっている涼也の姿が、小さい頃の自分の姿に重なる。

 いや、理沙自身は小さすぎて記憶にないのだけど、父親に『高い高い』されている写真が残っていた。
 顔いっぱいに笑っている自分の姿と照れくさそうな表情の父の姿――そこには幸福に満ちた優しい瞬間が映し出されていた。

 ――うちは大きな成功はいらないから、皆、元気で、ほんのちょっと幸せを感じることができる毎日を過ごせればそれでいい。
 いつの間にか理沙は泣いていた。

 その様子に静也が気づき、怪訝な表情を貼り付かせて、涼也を抱きながら寄ってきた。
「何かあった?」

「ううん、何でもない。思い出し泣き」
 理沙が涙を拭うと、静也の腕の中で涼也が「マ~マ」と手を振った。

「もっと『高い高い』の動画をたくさん撮っておこう。私が撮るから静也、がんばって」
「よし、じゃあ涼也、もう1回行くか」

 静也パパは涼也を高く掲げる。涼也は大はしゃぎ。
 理沙ママはカメラを回しながら、涼也の満面の笑顔を脳裏に焼きつける。

 今度の休日は涼也を連れて近くの神社にお参りに出かけよう。1歳になったことを報告し、引き続き神様にも見守ってもらおう。
 そうそう、図書館に行って新しい絵本も借りてこなきゃ。何しろ、涼也は『知識の人』として絵本を選んだのだから。

 夕闇に暮れた空は小さな光を放つ星々を抱きながら藍色に染まっている。
 少し開けている窓から心地よい涼風が入り込み、涼也のはしゃぐ声に共に秋の虫の鳴き声が微かに聴こえてくる。虫も祝福してくれているようだ。 

 ――涼也、1歳のお誕生日おめでとう。