これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

地蔵盆・子どもを見守るお地蔵さん―虐待疑惑

近所づきあいが苦手の上、育児にお疲れの理沙だが……前回「真夏・孤独と幸福の狭間で」の続き。

以下、本文。

 お盆も済み、心なしか寂しさを覚える8月下旬。
 陽が傾き、日差しに黄昏色が混じる頃、家事をひと通り終えた理沙はふと居間にあるカレンダーを見やる。

「今日は8月24日、地蔵盆かあ」
 地蔵盆とは主に関西を中心に行われるお祭りで、子どもを護る仏様であるお地蔵さんに感謝し、子どもの健康と成長を願う行事である。

 この地域でも稲荷神社近くの道端に祠に入ったお地蔵さんがいて、毎年、お花や供え物や提灯で飾られる。この週の土日には神社で縁日が催され、露店も並ぶ。
 今年は涼也を連れて、静也と一緒にそのお祭りに行ってみるつもりだ。

「その前に、お地蔵さんに挨拶しておくかなあ」

 昼間はまだまだ過酷な暑さが続いているけど、夕方になればどこかしら熱気がゆるみ、夏の終わりを感じさせてくれるようになった。

 理沙は涼也を連れて、買い物がてら、お地蔵さんに会いに散歩に出ることにした。
 ベビーカーに涼也を乗せ、エレベータに乗り、1階へ向かう。

 が、エントランスで、先日ゴミ捨ての時に会ったあの主婦二人組と鉢合わせしてしまった。

「……こんにちは……」
 バッドタイミングと思いつつ、慌てて笑みを顔に貼り付かせる。

 そんな理沙に、主婦二人組は先日の続きとばかりに話しかけてきた。

「ねえねえ、知ってます? 遠藤さんのこと」
「お子さん二人共、児童相談所の預かりになったみたい。ほかの住人の方が通報したようで……」

「……」
 理沙が絶句している間に、遠藤さんに関するウワサ話が主婦の口から流れ出る。

「この頃、ぴったりと子どもの泣き声も聞こえなくなったよね」
「ダンナさんは家庭がおかしくてなっていること気づかなかったのかしら」

「ああ、男はダメよねえ。うちも主人は家庭のことなんてほったらかしよ。無関心で全然、助けてくれなかった」
「そうね、子どもに何かあったら、まず母親の所為にされるしね」

「子どもって何をやらかすか分からないし、将来、不安よねえ。犯罪にさえ手を出さなければそれでいいって感じ」
「うちも。普通にやっていければいいって思っていたけど、今は普通にやっていくのでさえ難しくなってきているしね」

「就職させるまで気が抜けないわ。ますます競争社会になっていくだろうし、うちの子、おとなしいし、上手くやっていけるか、今から心配で……」
「うちだって。友だち少ないし、この頃、漫画やアニメに夢中で……オタクになったらどうしようって。いじめられたり、ひきこもりになって社会から落ちこぼれたら、と思うと……」

「遠藤さんの奥さんも気の毒よね。そういえばお子さん、発達障害というか……多動児っていうの? ちょっと変わったところあったし、さらにその下に赤ちゃん抱えていたから、大変だったでしょうね」
「ご両親には助けてもらえなかったのかしら」

「亡くなっているかもしれないし、遠方にいるのかもしれないし……その辺は分からないけれど」
「遠藤さん、近所付き合いも悪かったからね。相談できるお友だちもいなかったのね」

「明るい感じの方ではなかったよね」
「虐待は許されないけど……子どものことでの悩みって尽きないものね……」

 主婦二人は眉をひそめつつも、この話題への興味は隠さない。それぞれ小学生のお子さんがいるようだ。

 でもそこに『他人の不幸は蜜の味』的な意地悪さは感じられなかった。

 そう、明日は我が身だ。
 それぞれ子どもへの心配事がある。遠藤さんのことが他人事に思えなかったのだろう。

 理沙も『遠藤さん』に心を寄せる。
 もしも相談するべき夫が家庭を顧みてくれなかったら、子どもが障害を持っていたら、その上、手のかかる赤ちゃんがいたら、誰も助けてくれなかったら……。
 問題を独りで抱えていた遠藤さんの孤独感はどんなものだったのだろう。

 そして将来への不安も尽きない。
 自分の子どもは上手く社会でやっていけるだろうか。障害があるとすれば、なおのこと心配だ。

 理沙だって「もし涼也に障害があったら」と思うと、胸が押しつぶされそうになる。涼也が泣きやまないだけでパニックに陥ってしまうくらいだ。障害という重荷を背負いながらの子育ての辛さは想像を絶する。

 もちろん『障害を重荷と捉えることは悪』である。差別だと断罪する人もいるだろう。心の底からそう思える人は本当に立派だ。

 けれど自分はそこまで強くないし、そこまで聖人にはなれない。

 ――不安と希望の狭間で揺れる子育てが続く――

「うちも、なかなか泣きやまない時があって、うるさいですよね……ご迷惑おかけしてます」
 思わず理沙は頭を下げていた。

 すると主婦二人組は顔を見合わせ、笑みをこぼしながらこう言ってくれた。
「うちもよく泣いたっけ。そのうちそういうこともなくなるから」
「とは言っても、気になっちゃうよね」
「赤ちゃん抱えていると大変よね」

 理沙と涼也を見つめる主婦たちの目は温かかった。

 ――そうか、子育てに不安を抱えるお母さんは皆、同じ思いを共有できる仲間なんだ。

 マウントをとるママなんて少数かも。そんな余裕あるママなんてほとんどいないかも。少なくとも目の前の二人はそうだ。自信を持って子育てしている人はそんなに多くないのかもしれない。

「あ、引き留めちゃってごめんなさいね」
「これからお出かけなんでしょ。行ってらっしゃい」

「あ……はい、行ってきます」
 理沙はホッとしつつ、主婦二人組と別れ、涼也のベビーカーを押しながら、外に出た。

 夕陽は雲に隠れ、朱色の混ざった夕焼け空が広がり、ほんの少しだけ昼間の暑さが抜けていた。
 まずは稲荷神社へ。途中、坂道がキツそうだけどお地蔵さんのところへ向かう。この頃、運動不足だからちょうど良い。

 ――今まで人目を悪いほうにばかり捉え過ぎていたかも……。
 理沙は今までの考えを少し改め、反省する。

 この人の目があったからこそ、遠藤さんのお宅が少しおかしいと児童相談所に通報が行き、結果、遠藤さんも子どもも助かったのかもしれない。

 お地蔵さんと共に、近所の人の目が子どもを護ってくれる。
 渡る世間に鬼はなし。世の中は決して意地悪で嫌な人ばかりではない。

 すぐに自分の性格が変わるとは思えないけど、近所の人たちを過度に避けるのはやめよう。まあ、多少ウザいこともあるけれど。

「あれ、そういえば、あの二人、何て名前だっけ?」
 まずはそこからだ。