これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

ドライなお見合い―寒い打算

正月の縁談話から約1カ月後、イケメン郷田浩とお見合いした福田みすず。だが、郷田の淡々とした事務的な振る舞いに、みすずのフェミズム魂が揺れる。

では、以下本文。

    ・・・・・・・・・・

 未だ冬が大手を振り、冷たい空気をまき散らしている2月初旬の日曜日。

 福田みすずは、伯母の紹介で郷田浩とお見合いすることになった。
 お互いの希望で、お互いの家族と顔合わせするような堅苦しいものではなく、まずは二人だけで気軽にお茶でも飲みながらお話をする、ということにさせてもらった。

 その前日の土曜の夜遅く――
 みすずは実家の門を叩いた。相変わらず古めかしい黒っぽい木造の家に、何となく重苦しい気分を味わう。

 両親との仲は良いほうだ。
 父も母も割とみすずの好きなようにさせてくれていた。今回のお見合いも、みすずの気持ちに任せると言い、口出ししてこない。

 さっきもみすずの帰りを玄関で迎えてくれたが、すぐに居室に引っ込み、みすずを一人にしてくれた。
 そのほうがみすずもありがたかった。食事も済ませてきたし、あとは明日に備えて寝るだけだ。

 しかし福田家は親戚づきあいが活発な家柄で、それが途轍もなく煩わしかった。しかもあまりいい思いをしたことがない。
 特に思春期の頃、容姿に関することで伯父をはじめとする親戚たちの明け透けな物言いに傷つき、みすずの心を歪ませた。

 伯父はみすずが傷ついていることに無頓着だった。
 悪気がなかったのだろうとはいえ、それは裏を返せば、みすずへ心配りをすることがなかった……つまり軽んじられていたということだ。

 もちろん悪い思い出ばかりじゃないが、真っ先に頭に思い浮かぶのはいつも劣等感に苛まれていた自分の姿だ。

 そう、ここは心が傷つきやすい時代、コンプレックスにまみれて過ごした家だった。

 この家にいるとその時の自分を思い出してしまい、辛くなる。
 一人気ままなマンション暮らしに慣れてしまうと、いっそう実家へは足が遠のいた。

 が、今回は明日のお見合いのために仕方なく帰ってきた。
 みすずは客間の和室に荷物を置く。もう実家には自分の部屋はない。それが自分と実家との距離感であり、寂しいどころか清々している。

 予めヒーターを点けておいてくれたのだろう部屋は温かく、ホッとひと休みしていると、妹のさりなが襖を開けて顔を覗かせた。
 廊下から入り込む冷たい空気に、みすずは思わず体を縮める。

「明日のお見合い、着ていく服は持ってきているの?」
 部屋に入り襖を閉めたさりなは、みすずの小さなカバンに目をやった。そこに服が用意されているようには見えない。

「え、これだけど」
 今、身に着けている黒に近い紺色のジャケットとスカートをみすずは手で示す。

「ええ? 何か地味だね。貸そうか?」

「介護要員の嫁として求められるわけだから、派手な格好しても仕方ないでしょ。むしろ労働着で行くほうがふさわしいんじゃない?」

 みすずは鼻で笑った。
 それに……さりなの華やかな服を借りたって自分に似合うはずがない……。

 そんな投げやりなみすずの態度にさりなは眉をひそめる。
「……お姉ちゃん、気が進まないなら最初から断るべきだよ。相手にだって悪いじゃん」

「気が乗らないワケじゃないの。ま、こういう機会でもなければ、あんなイイ男と出会って、デートなんてできないじゃない? お見合いだから遊ばれたり軽く扱われる心配もないしね。安心できる場でちょっと経験積みたいだけ。それってダメかな?」

 郷田浩は写真で見る限り、イケメンの部類に入る男だ。

「う~ん……ダメという権利は私にはないからね。まずは会わないことには始まらないし」

 さりなは、みすずが男性に不信感を持っていることも知っているし、みすずの気持ちも分からないではなかった。さりなも結婚に失敗し、バツイチの身だ。
 お見合いするもしないも、みすずが決めることであり、さりなが口出しすることではない。

「ところで、さりなのほうは就職どうなった?」
「ああ、伯父さんの紹介で何とかなりそう。小さな会社だけど事務員として雇ってくれるって」
「へえ、よかったね」

 これでお見合いのほうは明日、義理を果たしていつでも断れる。楽しい相手ならば何回かおつきあいさせてもらうのもいい。
 もちろんその前に相手から断られる可能性もあるのだけど。

「さてと、早く寝ないとね」
 みすずは布団を敷きに立ち上がる。

 さりなも「おやすみ」と言って自分の部屋へ戻っていった。
 部屋に静寂が沈む。
 夜はもう深い。柱にかかっている古めかしい時計の音が鼓膜に響く。

 布団を敷き終わり、洗面所でほとんど化粧をしていない顔をサッサと洗う。鏡に映るのは、世間がジャッジする美の価値観から外れた『不細工』という言葉がお似合いの顔だ。
 思わずため息が漏れる。

 客間に戻り、寝間着に着替えたみすずはヒーターと灯りを消し、布団に潜り込む。
 明日のお見合いに緊張することもなく、もちろん心踊ることもなく、すぐに眠りに落ちた。


 翌日。
 空はどんよりと灰色に曇り、冷たい風が吹く中、みすずは濃紺のジャケットとスカートという地味な出立の上に黒いコートを着込み、途中で伯母と落ち合い、見合い場所に向かった。

「もうちょっと明るい色の服、なかったの?」
 伯母も、さりなと同じようなことを言ってきた。

「ええ、この色が一番、私に似合うので」
 そう、今の自分の心を表している色だ。

 そんなみすずに伯母は眉をひそめたものの――
「……ああ、この店よ」
 気を取り直したように明るい声を放った。

 そこは木目調の内装の洒落たレストランで、やわらかい明かりに照らされた欧風で古風なインテリアが落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

 約束の時間より早く着いたみすずと伯母が紅茶を飲んでいると、そう間を置かずに郷田浩がやって来た。
 伯母が手を振り、それに気づいた浩は軽く会釈をし、近づいてきた。

「お世話になります」
 そう挨拶すると、伯母に深々と頭を下げ、席に着いた。

「緊張しないで気楽にね。だからこそ、こういう形をとったのよ」
 伯母はそう言うと、みすずと浩をそれぞれ簡単に紹介した。

 郷田浩は写真の通りなかなかイケメンだった。彫りが深く、鼻筋が通り、目は切れ長。身長180cmある体は均整がとれていた。今までさぞかしモテてきただろう。

「じゃあ、あとはお二人でごゆっくり」
 紅茶を飲み干すと伯母は席を立った。

「伯母さん、ありがとう。後で連絡します」
 みすずは座ったまま軽く頭を下げたが、郷田浩のほうはわざわざ立ち上がり、腰を折り曲げ礼をした。

 ――礼儀正しい人のようね……。

 みすずは郷田浩をそう評価したものの、社会人であれば表向きはいくらでも装うことはできる。根っこの部分は簡単には分からない。

 伯母が行ってしまうと、お互いぎこちなくも、まずはありきたりな趣味の話を口にする。しかし何となく上滑り、幾度も沈黙が訪れる。間が持たない。

 どうしたものかとみすずは思案する。郷田浩が知りたいのはみすずの趣味ではない。だから話が続かないのだろう。

 そう、相手はみすずそのものに興味を持ってくれているわけではない。親の介護を抱える家へ来る働き手としてどうか――知りたいのはそこだ。

 それが分かってしまうだけに、みすずの気持ちも白けた。容姿がいい男を目の前にもう少し楽しい気分になれるかと思ったが、そうでもなかった。

 ――美女と野獣ならぬ、美男と珍獣ってとこか。

 居心地の悪さだけが、みすずの心を覆う。
 伯母さんには悪いけど、帰ったら早々にお断りの連絡を入れることになるだろう。

 ――まだ30分くらいしか経ってない。ここで暇を告げるのは失礼かしら。

 そんなことを考えながら、残り少ない冷めた紅茶を啜っていると、郷田浩が口を開いた。

「あ、そういえばお昼、どうしましょうか」
「え……ああ、じゃあここで」

 とっさにみすずはこう応えてしまった。
 ――ご足労かけてしまっているし、さすがにお茶だけで終わりにするのは失礼かも。ならば、ほかの店を探すのも疲れるし、手っ取り早くここでお昼を済ませて帰ろう。

 メニューを決めて注文すると、また沈黙の空気に晒された。
 もう紅茶は残ってないけど、カップを口に持っていき、間を取り繕う。

 すると突然、郷田浩がこんなことを言い出した。
「すみません、会ったばかりなのに何なんですが、お互い、本当に知りたいこと、話したいことを正直に本音でしゃべりませんか? 時間も勿体ないですし」

「はあ……」
 相手の明け透けな提案に、みすずは間の抜けた返事をするしかなかった。

「福田さんの知りたいことは、もし結婚した場合にどういった生活になるのか、ですよね」
「ええ、まあ」

「介護は僕と妹で行います。福田さんには仕事をそのまま続けていただきたいのです。正直、福田さんのほうが安定した職業ですし」
「はあ」

「僕は零細企業の社員ですし、いずれ給料は福田さんのほうが上になるでしょうから」
「はあ」

「実は妹には結婚を約束した人がいまして……なので妹は嫁ぎ先の家で生活し、土日に通いで母の面倒を見ることになります。なので妹との同居はないです」
「はあ」

「平日の夜は僕が母の面倒を見るので、福田さんに迷惑をかけることはないと思います」
「はあ……」

 事務的に話をする浩に、みすずも遠慮なく質問することにした。
「でも結局は私もやらざるを得ないでしょう? 土日も遊びに出かけられませんよね?」

「いや、福田さんがそうしたければそうされてもかまわないです。介護は僕と妹の役割と考えてますから」
「……」

 郷田浩の答えようは――結婚後、休日にみすずと一緒にどこかに遊びに出かけるなど考えてもなかったようだ。「遊びに行ってもいいけど、行くなら一人で行け」と受け取れる。

 甘い新婚生活など期待してはいないが、みすずの心は冷えた。
 それに親の面倒を見ている夫を置いて、自分一人だけ遊びに行くわけにはいかないだろう。

 みすずは皮肉の色合いを織り交ぜて、浩に質す。
「気軽に、というわけにはいきませんよね」

「……」
 今まで流暢に話していた郷田浩は口を閉じた。

「もしかして妹さんが心置きなく嫁げるようにということで、郷田さんも結婚を急がれているんですか?」
「いや、その」

「もしかして郷田さんが介護のために仕事を辞めることも考えてますか? 私と結婚すればそれも可能になりますよね」
「……まあ……その……」

 郷田浩はしどろもどろだった。
 みすずは心の中で「やっぱりね」とため息をついた。

 郷田家は、公務員というみすずの職業に目をつけた。『介護要員としての嫁』を普通の見合い結婚で探そうとしても見つかるはずがない。ならば介護ではなく、経済面を支えるのにふさわしい嫁を探すほうが、まだ可能性があると踏んだのだろう。

 そこへ郷田浩のこんな問いがきた。
「どうして福田さんは僕とお見合いすることをOKされたのですか? 条件は分かっていたはずですよね?」

「……え……その……」
 今度はみすずがしどろもどろになる。

「正直、安定した仕事をされて、きちんと収入を得ている人を第一条件にしたのは事実です。介護は僕と妹が引き受けるということで。もちろんヘルパーにも来てもらったり、ディサービスも目一杯利用するつもりです。が、妹の手を借りることができなくなり、僕が仕事を辞めて専業主夫になることも考えてました」
「……」

「母は体が利かないだけで、認知症ではないので聞き分けもありますし、福田さんに負担をかけることはほとんどないと思います」
「……」

「これで僕のほうの条件はお話しました。いかがですか? あるいは最初から断るつもりで、ここに来られたのだとしたら時間の無駄ですから、これで失礼させていただきたいのですが」

「……随分、ビジネスライクなんですね」
 みすずは苦笑した。

 相手はみすずにこれっぽっちも情を抱いていないことは確かだった。会ったばかりだし、みすずも相手にこれっぽっちの情を感じていないのだからお互い様なのだが。

「お見合いってそういうものでしょ。特に僕は悪条件ですからね。ですから譲れるところは譲ろうと思ってます。土日をお出かけになりたいのであれば自由にされてください。そういった約束事を書面に記してもいいです」

「契約みたいですね」
 さすがに白けた。

「ええ、だって結婚って契約でしょ」
 郷田浩は淡々と応える。

 昔、結婚は就職と同じようなものだと誰かが言っていたが本当にそうみたいだ。少なくとも郷田浩はそう捉えているのだろう。

 こうした郷田浩の覚めた物言いを聞き、みすずの頭にふと過るものがあった。

 ――何かこの乾いている感じ、誰かに似ていると思ったら、四条君に似ているんだ……もちろん外見は全然違うけど。

 つい失笑してしまったみすずに、郷田が怪訝な目を向ける。
「何か?」

「いえ、何でもありません」
 そう答えながら、こう思った。

 ――たしかに、お見合いで情を求めようというほうが間違っているのかもしれない。恋愛感情などなくても条件から入り、ルールを決めてから一緒に生活するのもありか……。

 恋愛結婚が最上とは思わない。そう、恋愛結婚したさりなは失敗した。

 みすずは改めて損得勘定で、この見合い相手について考えた。
 相手の容姿はもちろんクリアーだ。
 仕事は続けてほしいとのことで、これもクリアー。
 介護は相手がやるというし、土日も自由にしていいとのこと。
 妹は結婚を約束した相手がいるらしく別居になる。
 あとは、相手の母親がどんな人であるかだ。

 夫が専業主夫になることについては、介護という特殊事情があるなら譲れる。専業主婦がいるなら専業主夫がいてもいい、それが男女平等というものだ。

 ――この条件はそう悪くないかもしれない。

 以前は、条件から入る結婚など考えられなかったが、思えば自分の両親もお見合い結婚だ。でも仲は良い。情は長く暮らすうちに育まれていくのかもしれない。

 あの四条静也も他人には冷淡だけど、奥さんには気遣い、家庭第一にしている。
 同じくこの郷田浩も母親や妹のことを考え、家族を大切にしているようだ。家族には優しい人間なのだろう。情がないわけではない……。

 みすずは郷田浩をプラスに捉えようとした。
 情はこれからゆっくりと育んでいけばいい。

「分かりました。結婚については真剣に考えます。ほかに何か条件はありますか?」
 みすずは、郷田浩との交際をとりあえず継続してみることにした。

「細かいことはまだあまり考えてません。福田さんに仕事を続けていただくことが、私が求める条件になります。なので福田さんの仕事の邪魔をすることはありません」
 郷田は淡々と言葉を紡ぐ。

「それは願ったり叶ったりです。あと、気になるのは子どものことですが……」
 みすずの言葉に、郷田は虚を突かれた顔になる。
「あ? ああ……そうですね……やはり子どもは欲しいですか?」

 郷田浩は子どもについてあまり考えていないようだった。親の介護をどのように乗り切るか、そのことだけで頭が一杯なのだろう。

「いえ、私は子どもを持つことにこだわってません。郷田さんがあまり望んでないのなら、私も無理に欲しいとは思ってません」

 そう言いつつも、みすずはこんなことを考えていた。
 娘にしろ息子にしろ、自分に似てしまっては子どもに申し訳ないけれど、郷田浩に似れば、きっとその子どもは容姿についてはさほど劣等感に苛まれずに済むだろう。

 今の若いコは、女はもちろん、男も容姿を気にする時代だ。容姿はその人の性格形成そして人生をも左右するほどに大きな影響力を持つ。それが現実だ。

 静かにため息をもらすみすずから視線をずらし、郷田浩はこう応えた。
「……それはまあ追々、状況が許せばということで」

 子どもはさほど欲しくない――郷田浩の口調からはそう感じた。ならば子どもはナシということになるかもしれない。それならそれでかまわない。

 そんなわけでお見合い初日から突っ込んだ話をしてしまい、みすずはこの郷田浩という男性と結婚前提に話を進めることになってしまった。

 店で軽く食事をした後、郷田浩は「母のことがあるので」と早々に帰って行った。
 食事代は、みすずは「自分の分は出す」と言うと、郷田は「助かります」とあっさり引き下がり、割り勘となった。みすずを家まで送る素振りも見せなかった。

 郷田浩はみすずの前で男として見栄を張るということは一切なかった。

 男女同権を謳い、女性差別を許さないみすずとしても割り勘は当然のことであるし、送ってもらう必要もないのだが……それでもこの寒々とした寂しい気持ちは何なんだろうか。

 自分の中に「女として扱ってほしい、甘えさせてほしい気持ち」がどこかにあるのかもしれない。でもそれは立派なダブルスタンダードだ。

 このお見合いは自分の真の姿を暴き出してくれる……己を見つめ直す絶好の機会だ。
 もし破談となっても、それはそれでいい経験になるだろう。

 時折吹く冷たく乾いた風に黒いコートをはためかせて、みすずは割り切れない思いを反芻する。

 条件を確かめ合うだけで味気なく終わった郷田浩とのお見合い。再びこの疑問が頭をよぎる。
 ――そこまでして自分は結婚したいのか?

 以前、みすずはさりなにこう言ったことがある。
『先に結婚ありき、とは考えてません。一緒になりたいという人が見つかったら、そこで初めて結婚を考えるのが自然でしょ』。(『嫁き遅れの雛人形』より)

 今でも理想はそうだ。けれど実現できそうもない。
 甘い恋愛結婚など自分にとっては縁のなさそうな遠い世界のお話だ。

 郷田浩に惹かれるものがあったかというと、現時点では外見以外では何もない。
 でも今すぐ破談にするほどのことでもない。

 郷田の淡々とした振る舞いに心が乾きつつも、よくよく考えれば自分だって相手に対し好意を示すことなく淡々と応答した。お互い様だ。

「もうしばらく様子見……」
 郷田浩に情を持つことができるのか――それで決めよう。

 空は相変わらず鬱々と灰色の雲が重く垂れ込めていた。
 ひと雨来そうだ。

 お見合いの結果を知りたくて首を長くして待っているだろう両親やさりなを思い浮かべ、みすずは足を速めた。

 

 

※今回の『みすず・お見合い編』の前話となる『みすずの正月・縁談の話』はこちら↓

※今回の『みすず・お見合い編』の次話に当たる話はこちら↓ 

 

※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓