これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

苦い縁談―イケメンだけど最低ランク

今回はフェミニスト・福田みすずのお話。
お正月、容姿に劣等感を持つみすずに縁談が持ち込まれた。そのお相手はイケメンだけど条件が……。

29歳・みすずのフェミニスト魂が試される。

――自分はそこまでして結婚したいのか?

では、以下本文。

    ・・・・・・・・・・

 大晦日
 朝早くに自宅マンションを出た福田みすずは久しぶりに実家の門の前に立っていた。

 門扉の両隣には『年神様が降臨し宿る門松』が置かれ、その奥にある古びた昔ながらの木造の家が影を落としている。庭の木々が葉を落とし枝ばかりとなって寒々しい。

 みすずは憂鬱なため息を吐く。
 この時期に実家に戻るのは気が重い。今回は特に――。

 福田家では、正月は親戚一同が集まることになっており、いつもは伯父さんの家で新年会が催されていたのだが、伯母さんも年老い、その用意をするのがキツくなってきたというので、みすずの家に『新年会のホスト役』が回ってきた。

 みすずは実家を出てから、そういった親戚の集まりはできるだけ避けるようにしていた。

 苦手な伯父さん――事あるごとに、みすずの容姿を笑いの種にしてきたあの伯父さんだ。みすずが24歳の時に見合い話を持ってきたが、みすずは断り、その時、伯父さんの今までのセクハラ発言を非難し、険悪な仲となった――と顔を合わせることになるからだ。

 なので今回、家に親戚たちが集まることを聞き、帰るのを取りやめようと思っていたのだが、両親から「もてなしの準備を手伝ってほしい」と言われ、妹のさりなにもお願いされて、仕方なく帰ってきたのだ。

「ただいま」
 みすずが玄関を開けると、さっそくさりなとその娘のえりなが笑顔で出迎えてくれた。

 さりなは母に似て大きな瞳をしたファニーフェイスのかわいい系の美人だ。4歳になったえりなもその血を引いて愛らしい顔をしている。

 対してみすずは目も細く小さく、鼻は低く、エラが張り、のっぺりした顔立ち――世間でいうところのブスであり、化粧をしても冴えなかった。

「お帰り、お姉ちゃん」

 さりなは1年程前に離婚し、現在は娘のえりなと実家で暮らしている。
 昔、みすずとさりなが使っていた部屋は、さりなとえりなが使っているので、みすずは客間の和室に通された。

「今、お母さんとお父さんは買い出しに行っていて、もうすぐ帰ってくると思うけど……」
「正月、親戚どもが集まるんでしょ。大変ね」
「お姉ちゃん、ごめん。伯父さんには会いたくないよね」
「ま、仕方ないよ。さりなも離婚したことをあれこれ言われるかもしれないしね」
「仕事がどうしても見つからなくて……顔の広い伯父さんを頼るしかないから、逃げるわけにいかなくて……」
「で、私も伯母さんの顔も立てないとならなくなったわけか」
「本当にごめんね」

 実は……その苦手な伯父の妻である伯母の紹介で、みすずに縁談の話がきているのだ。

 当初、みすずは断ろうと思ったが、さりなのこともあり、伯母さんからの話を無視するわけにはいかない雰囲気になっていた。仕方なく話を聞くだけ聞くということで譲歩した。

 両親も『もてなしの準備云々』より、その縁談の話のことて、みすずに帰って来させたかったのかもしれない。

 みすずは29歳になっていた。
 そう、男性が結婚相手として女性を見る時、20代であるか30代であるか、これはかなり大きいらしい。

 ――嫁としての賞味期限がもう少しで切れるってか……。

 さりなが淹れてくれたお茶を啜りながら、みすずは薄く笑う。「女をバカにするな」と思う一方で、自分だって相手となる男性の年齢も気になる。年収や職業、そして容姿も無視できない。お互い様だ。

 お見合いはそういったあらゆる条件が見られ、人間を品定めする冷徹なシステムであり、紹介される相手は『自分を映す鏡』となる。

 自分はどんな条件の相手を宛がわれようとしているのか、すなわち、周囲から自分はどう思われているのか、どう評価されているのかを垣間見ることができる。

 ――私の価値はギリギリ20代であることと、公務員という安定した職に就いていて収入も悪くないってことくらい……夫婦共働きを望む男性には、まあまあな条件ね。

 みすずは冷徹に、男性目線で自分の価値を測ってみる。

 歳をとるごとに価値が落ちていくらしい結婚市場。
 お見合いにおいては30代後半の美人よりは、20代の不美人のほうが有利に働くという。

 この美人も歳をとれば価値が落ちるというところに、みすずはちょっとした快感も抱いていた。

 ――って女性の人権のために戦うこの私が、若さで女の価値を測る無礼な男目線になってどうするのよっ。

 みすずは頭を横に振りつつ、ここでふと生活部市民課のアラフォー独身女子・小林主任を思い浮かべた。

 小林主任とは2年ほど前、四条理沙が結婚した時にそのお祝いを兼ねた女子会で一緒になったことがある。
 四条理沙は小林主任と同じ生活部市民課に所属していたが、みすずは四条理沙の結婚相手である四条静也と同じ総務部広報課にいたので、その関係で呼ばれたのだ。

 その女子会で四条理沙が「四条静也としかつきあったことがない」という話をした時、小林主任は「ほかの男を知らずに、初めての男とその若さで結婚してしまうなんて」と驚いていた。

 そう、四条理沙も四条静也も20歳で結婚したのだ。
 そこから女子会は『恋愛話』になっていき、盛り上がっていった。

 世間は「近頃の若者は恋愛しなくなった」と大騒ぎしているけど、まだまだ『恋愛に生きる人』『恋愛したい人』『恋愛したほうがいいと思う人』が大多数を占める。
 この女子会に参加していた皆は、どっぷりと世間の『恋愛するのが普通』という価値観に染まっているようだった。

 世間でいう恋愛とは『相思相愛になり、おつきあいすること』であり、おつきあいに至らない片想いは入らない。

 恋愛から距離を置いているみすずはビールを一気飲みしつつ、ふと隣の席にいた四条理沙の静けさが気になって視界の端に捉えると、四条理沙も話に入ろうとはせず、ひたすらビールとつまみを口にしていた。

 結婚した彼女にとって、恋愛ごとは興味が持てない話だったのだろうか……。

 どこか皆から距離を置いているようにも見えた四条理沙。ダンナの四条静也もそういったところがある。人の輪に決して自分から入ってこない。

 ――二人は似た者同士なのかもね。
 お互い、自分に合うパートナーを見つけた四条カップルを、みすずはうらやましく思った。

 一方、小林主任は座の中心となって恋愛話に花を咲かせていた。さすが美人だけあって、恋愛経験は豊富のようだ。

 けど、すでに30代後半に突入していた小林主任を見て、みすずはこう思ってしまった。
 ――たくさん恋愛しても結婚にはたどり着けないものなのね……。

 が、すぐにそれを心の中で否定し、みすずは『恋愛のゴール=結婚=女の幸せ』という世間の価値観に毒されている己を叱咤した。
 この価値観こそが女性を縛り、息苦しくさせているのだ。

 いや、女性だけではなく、おそらく男性もだ。
 恋愛しない・できない、結婚しない・できない男性はけっこういるだろう。そんな男性も世間から見下されがちだ。いい歳をした童貞や処女は嘲笑の的になるどころか問題視される。買春や売春して性体験をした者のほうがまだマシと思わされてしまうほどに。

 そのうちに女子会の話題は、友人知人で離婚した人・結婚しても幸せそうに見えない人の話に移っていた。
 そういう話なら、みすずも興味を持って聞くことができた。

 ――でも、それって『結婚しても不幸になった人』『結婚に失敗した人』を見て、結婚しないかもしれない自分が安心したかったからだ……。

 嫁き遅れてもいいから、本当に好きになれた人と相思相愛で結ばれればいいとは思っていたけど、おそらく無理だろう。

 では、お見合いしてでも結婚したいのか?
 はっきり「否」と答えられない自分がそこにいて愕然とする。

 ここにきて、自分の考えがぶれている。

 そこで、あえて世間の価値観に身を晒し、己を見直すために、今回の縁談を聞いてみるのもいいかもしれないと思い直していた。

 ――伯母さんの持ってくる縁談だから、相手が無職だったり、非正規・派遣やバイトで低収入ということはないとは思うけど、24歳の時に紹介された男よりも数段落ちているんだろうな……。

 公務員であるみすずは仕事をやめる気はないので、相手の収入にはさほどこだわってないが、無職や非正規・派遣やバイトはお断りだった。

 そう、男性だって、そういったことでレベル分けされている。定職がなかったり、収入の低い者は劣等感に晒されることとなり、女性とは違う苦しみを味わっているはずだ。

 恋愛や結婚はごくごく一部の恵まれた運のいい人が手に入れられるものであり、できなくて当然ということになれば、ラクになれる人が相当いるのではないか。そんなことを思ってしまう。

 ――今度は、お相手の年齢はいくつかしら。50近かったりして。
 そして、ハゲでメタボで冴えないオジサンなんだろう、これがみすずにぴったりだと、お前はこの程度の男がお似合いなのだと突きつけられるのだろう。

 けど、そう思う自分も40~50代のハゲでメタボの男性を見下していることにもなるのだ。

 ――お互い様ってことよね。
 みすずは自嘲した。

 縁談話を聞くことは、自分は偽善者であることを思い知るいい機会でもあり、そんな『自分への罰』だ。

 明日の正月元日は、自分を罰する日――底意地悪い世の中で生きていくのに相応しい1年の始まりとなるかもしれない。

 そんな思いにふけっていると、ガタガタと引き戸を開ける耳障りな音が、壁の向こう側にある玄関から届く。
 両親が買い物から帰ってきたようだ。

「さてと、のんびりしていられない」
 さりなが立ち上がる。隣でおとなしく塗り絵をしていたえりなも反応し、お絵描き道具を片づけ始めた。

「あ、えりなちゃんはそのままでいいだからね」
「イヤ、えりなも一緒」
 そう言って、幼いえりなは片づけを放り出し、さりなにつきまとう。

「じゃあ、えりなちゃんにも手伝ってもらおうか」
 さりなは苦笑すると、えりなの手を引き、廊下へ出る。

 そんな母子の姿を遠い世界の出来事のように、みすずは湯呑を手にしたまま、ぼんやりと見つめる。

「ほら、お姉ちゃんも早く」
「あ、はい」

 みすずはお茶を飲み干し、客間のヒーターを消すと、さりなとえりなの後を追った。
 これから親戚らをもてなす準備に取りかからねば。
 気持ちを切り替える。

 廊下に出ると寒さが押し寄せ、みすずの頭を一挙に冷やす。
 現実に引き戻されたみすずの前には、たんまりと家事雑事が用意されていた。大掃除に料理の下ごしらえと大晦日の風景に身を同化させ、バタバタと忙しく年を越した。

   ・・・

 正月元日。
 時折、強風が吹くものの、そのおかげか雲が遠くに流され、空は澄み切り清々しさをまとわせている。

 けれど静かな正月を楽しむ暇はなく、福田家は慌ただしく親戚たちへのもてなしの準備に追われていた。
 幼いえりなもお手伝いしようとするが、結局、さりなが子守りすることになる。

 えりなを微笑ましく見やりながら、みすずはこう思った。
 カワイイ姪がいるんだし、自分は子どもがいなくても別にいいかと。

 子どもはどうしても欲しいわけでもない。劣等感を抱えながら自分に似た子どもを育てる自信もない。
 なので結婚も別に急ぐ必要はないし、結婚はできなきゃできないで仕方ない。

 そうこうしているうちに午後になり、福田家の親戚たちが訪れ、集まってきた。

「明けましておめでとうございます」
 ありきたりな挨拶があちこちでこだまする。

 親戚たちは客間に通され、宴会が始まる。
 広い座卓にはお節が並べられ酒が振る舞われた。
 清廉だった正月の空気は賑やかな声でかき乱され、濁っていく。

 みすずが苦手な伯父も妻である伯母を引き連れてやってきた。
 伯父はみすずの顔を見ると苦々しい顔になって目を逸らせたが、伯母はニッコリ微笑み、みすずを手招きする。
「ちょっと静かなところでお話したいんだけど、別のお部屋、空いているかしら」

「では、こちらへ」
 みすずの母は、みすずと共に居間へ伯母を通した。

 父とさりなは伯父を連れて、すでに宴で賑わっている客間へ向かった。
 えりなもワクワクした様子でさりなの後をついていく。幼い子どもにとっては日常と違う楽しげなお祭りに映っているのだろう。

 その客間から廊下を隔てた居間で、みすずは母の隣に着席し、テーブルを挟んで伯母と向かい合った。
 母がお茶を用意し、それを啜りながら互いに近況報告をし、一息ついたところで伯母はさっそく縁談の話を始めた。

「みすずちゃんにどうかと思ってね」
 テーブルにお見合い相手の釣書を広げた。

 みすずはその相手の写真を手に取り、暫し見つめる。

 正直意外だった。年齢は34歳。写真を見ると精悍な感じでなかなかカッコいい青年だ。
 身長は180cm。名前は郷田浩といい、父親はすでに亡く、賃貸アパートで母親と妹との3人暮らし。
 聞いたことのない小さな会社の社員だが、年収は400万円。みすずの年収とトントンだ。夫婦共働きならば、申し分のない生活ができる。

 ――年収700万円の一回り年上のハゲのメタボよりは、こっちのほうがいい。
 みすずはちょっと積極的な気持ちを抱いた。

 しかし、伯母さんはある懸念を口にした。
「ただね……お相手の浩さんのお母様が脳溢血を起こされてお体が不自由でね……今、浩さんとその妹さんが面倒をみているのよ。結婚の条件はお母様と同居となるのだけど……厳しいかしら?」

 それを聞いたみすずは、ああやっぱりね、と思った。相手は妻というよりも無料で使える介護ヘルパーが欲しいのだ。
 だから、みすずにお鉢が回ってきたのだろう。

 みすずの心は急速にしぼんだ。
「伯母さん、ごめんなさい。私、仕事をやめたくないし、最初から介護ありの生活は正直キツイものがあります」

 そう言って断ろうとしたが、伯母はこう説明する。
「いえ、みすずちゃんは仕事をやめることはないのよ。お母様の介護は妹さんと浩さんがされるとのことで、むしろ、みすずちゃんにはお仕事を続けてもらいたいとのことなのよ」

「はあ」
 そう言われても結局、介護もやらざるを得ないだろう。知らんぷりできるはずがない。休日も遊びに出ることなど許されず、介護に仕事にと働きづめで、姑と小姑にも気を遣わなくてはならない暗い生活を想像してしまう。

 出産育児も厳しいだろう。みすずは子どもを持つことにこだわってないとはいえ、最初からその機会が奪われかねないのも納得できない。
 最悪、介護が終わった頃には出産可能な年齢も過ぎ、そんな嫁は用済みとばかりに夫なる人物から離婚を迫まれ、捨てられる可能性もゼロではない。

 もちろん離婚はそう簡単にはできないだろうが、夫が家を出ていき、長く別居状態が続けば、結婚を続ける意味もなくなる。あるいは暴力を振るわれれば、みすずのほうが逃げるしかない。
 離婚する手はいくらでもある。

 慰謝料を請求したところで雀の涙だろう。それをきちんと支払ってくれるとも限らない。
 相手の給料や預金を差し押さえるには、また面倒な手続きが必要だ。弁護士を雇う費用もバカにはならない。

 妹さりなの別れた夫も当初、なかなか決められた養育費を振り込んでくれず、再三の請求にようやく振り込んでくれたそうだが、娘の面会は求めてこない。さりなはそのほうがいいようだが、父親としてどうなんだろう……。
 それでも養育費を払ってくれるだけ、さりなの元夫はマシである。

 離婚し子どもが母親のほうへ引き取られる場合、養育費を払わない男性は多いと聞く。請求してもなしのつぶて。
 結局、多くの女性はあきらめるそうだ。

 海外では、養育費を元夫側の給与や預貯金から天引きするシステムがとられている国もあるが、日本はまだまだ遅れているようである。子どもの権利が阻害されていると言っていいだろう。
 父親としての義務も果たそうとしない無責任で勝手な男が多いということで、みすずの男性への不信感はますます深まっていた。

 もちろん伯母が紹介する相手の男性はそこまで最低な人間ではないかもしれない。
 が、どうしても最悪のケースが頭を過る。

「そのうち、お母様のほうは特養に入れるかもしれないし」
 そんなみすずの気持ちを知ってか知るまいか、伯母は無責任な希望を口にする。

 が、まず公の老人介護施設は無理だろう。
 順番待ちがいらない多額のお金がかかる民間の施設は、みすずと相手の収入そしてその母親の年金などを合わせれば、入居するのも可能かもしれない。

 けれど、みすずの働いた収入がそういったところに使われ、結婚生活がカツカツになることにも違和感を覚える。
 ――もしや郷田家はそういう打算もあって、私に仕事を続けてほしいと言っている?

 そう、相手は嫁を利用することしか考えてないのではないか。みすずはそんな疑問を抱く。
 下手すれば自分にとって搾取されるだけの最低な結婚になりかねない。

 一方、みすずの母は黙ったままだった。
 そう、みすずの両親は伯父夫婦にいまいち頭が上がらない。
 それはみすずの父が、兄である伯父にかなり世話になったからだ。

 みすずの父と伯父の父(みすずの祖父)は早くに亡くなり、長男である伯父が父親代わりとなって弟たちの面倒を見てくれたらしく、みすずの父だけでなく小林家の親族一同、伯父には頭が上がらないようだ。

 みすずにとっては女を容姿で差別する嫌な伯父だけど、親族への面倒見は良く世話好きでもあった。

 伯父夫婦は、みすずの父と母の結婚の世話もし、貧しい時はお金も用立ててくれ、事あるごとに保証人にもなってくれた。恩義があった。

 とはいえ、母も条件が良くない結婚を娘に推し進めたくはないはずだ。みすずの自由意思に任せるつもりで、口をはさまないのだろう。

「どうかしら、一度会ってみない? 会ってみないことにはお相手の人間性も分からないでしょ。お相手の郷田さんの息子さんはね、そりゃあ好青年で家族思いの優しい方なのよ。だってそうでしょ。妹さんと一緒にお母様の面倒を見ているのよ」

「はあ……」
 みすずは微妙な返事しかできない。

 最初から相手の母親との同居と介護が待っているなんて、結婚相手としては最低の条件だ。
 と同時に、介護が必要な親を持つ人を『最低の条件』と考えてしまう自分も嫌だったが、そう考えざるを得ないお見合い・結婚制度にも心が冷えた。

 それに何といっても……そんな最低の条件を持つ相手を宛がわれようとしている……つまり、それがみすずにお似合いだと伯母から思われているということに、胸に鉛をぶちこまれた気分になった。

 もちろん伯母は伯母なりに、みすずのことを考えていただろう。
 介護は手伝わなくていい、仕事は続けてほしい、という相手方の条件は、みすずにぴったりだと思ったに違いない。
 
 伯母は「まず女は結婚してこそ幸せになれる」と信じているのだろう。相手方の親との同居や介護が待っているとしても、生涯独身でいるよりはずっといいと。
 それが伯母のような古い世代を頑なに支配している価値観だ。

 ――子どもは授からなかった伯母さんだけど、伯父さんとの結婚は幸せだったと思えるのね。

 だからこそ多少、条件が落ちる相手でも、結婚を勧めるのだろう。
 ま、みすずにとっては多少どころか、最低に思える条件なのだが。

「私もね、そのお母様・郷田さんと親しくしてもらっていてね……。自分がこんな体になって、息子と娘が不憫でならないって泣かれて……ええ、お母様もとてもいい人なのよ」
 そう言うと、伯母は目にハンカチを当てた。

 ――やれやれ、伯母さんはその郷田のお母様に息子の嫁探しをお願いされたというわけか。

 みすずは白けた感情を抱きながら、伯母を見やる。
 伯母にとっては、たまに会う郷田さんはいい人で、その息子は好青年に映るのだろう。

 ――でも、その好青年の浩さんとやらは、もし自分の母親が介護の必要もなく元気だったならば、新婚早々同居などしなくて済む条件であったならば、私になど目もくれなかったはず。

 みすずの心はどんどん冷え、そのうち凍った。
 その氷を伯母は何とか砕こうとする。

「みすずちゃんももう29歳でしょ? そろそろ身を固めたほうがいいんじゃないかしら。ちょっと昔まではね、女はクリスマスケーキ……つまり25歳までと言われていたのよ」

「つまり25歳過ぎたら売れ残り、価値が落ちまくり、私なんて見向きもされなくなるってことですか」
 みすずはわざと辛辣な言葉を使った。

「いえ、まあ、その……やっぱり20代のうちに結婚したほうが……それが現実よ」
 伯母は困った顔をしながらも、そう応えた。

「じゃあ、30過ぎたら暴落が始まるということで、ただでさえ安い私は困っちゃいますね。どこまで安値になるか、すぐにゼロになりそう。っていうかマイナス? 人生80年、いえ100年の時代なのに残酷ですよねえ~」
 砕かれた心の氷は融けることなく、その上を冷風が吹き荒ぶ。

 自分はもうすぐ無価値になると言われているようなものだ。
 心がうすら寒くなるような、そういった結婚市場の価値観から逃げたい。

 そう、実は、みすずが公務員を目指したのはこういう理由もあるのだ。
 公務員職は女性の権利が守られ、よほどのことがない限りクビになることもなく、ある程度の収入が保障され、結婚しなくてもやっていける、自分を守っていける。

 が、それでも世間の価値観に背くにはそれなりの強さと自信が要る。

 自分にはまだそれが足りない――みすずは膝の上に置いた拳を握る。

「みすずちゃん……」
 伯母は助けを求めるようにみすずの母へ視線を流す。

「みすず、そんな投げやりな態度はやめなさい」
 みすずの母はたしなめるものの、見合いを勧めることはしなかった。

 そんな母を尻目に、みすずは乾いた声で応えた。
「いいですよ、会ってみます」

「え?」
 伯母と母は顔を見合わせた。今までの流れからてっきりみすずは断ると思っていただろう。

「私にはとても勿体ない方のようで恐縮してます」
 みすずは皮肉を吐きながら、歪んだ笑顔を伯母に向けた。

 ――暇つぶしにその好青年とやらを拝んでみるか。相手はイケメンだし、女友だちへのネタ話にもなる。

 それに……さりなのこともある。さりなの就職が決まるまでは、伯母さんの顔を立てておいたほうがいい。

 そう、妹の就職が決まるまでのおつきあいだ。最終的にはお断りする。自分のそんな不誠実な気持ちは当然、相手にも伝わるだろうから、相手側からも早々に断ってくるかもしれない。

「ありがとう、みすずちゃん。じゃあ、郷田さんに連絡とって、さっそくお話進めるわね」
 伯母はいそいそと立ち上がった。

「よろしくお願いします、伯母さん」
「お世話かけます、お義姉さん」
 みすずと母は頭を下げた。

 廊下を隔てた客間から親戚たちの賑やかなおしゃべり声が流れてくる。そんな楽しげな空気を遠くに感じながら、みすずの心は鬱々と重く沈む。

 こんな気持ちに陥るのも、自分のつまらない劣等感や疑心暗鬼が引き起こしていることだと分かりつつも、どうしようもなかった。
 そんなものから解放されたいと思いつつ、なかなか難しい。

 やはり縁談話など聞くのではなかった。世間の価値観と対峙し、劣等感をコントロールできるほど自分はまだ成熟していないのだ。
 斜に構えてはみたものの、結局は自分が安く見られたことに落ち込み、投げやりで捻くれた考え方しかできなかった。

 ふて腐れた不誠実な態度で臨むことになるお見合い――相手側にも悪い気がした。
 けれど今さら「やっぱり見合いは断りたい」とは言えない。

 さりなの就職が決まるまで、さりなのためだ……そう言い聞かせた。

 その時、あの四条カップルのことが、みすずの頭を過った。

 四条静也は勤務を終えるといつも早々に帰っていく。家では育休中の奥さんと赤ちゃんが待っている。夫婦仲は円満なようだ。

 彼らのような幸せな結婚生活はうらやましく思いつつも、自分には縁がなさそうだ……。
 そのことにやはり劣等意識を持っている。いや、持たされているのだ、この社会に。

 客間に戻ったみすずは、ささくれだった気持ちを抑えながら、親戚たちの相手をする。

 家の外はいつの間にか日が落ち、夜が忍び寄っていた。
 暖房の効いていない廊下は底冷えするような冷たさだ。

 トイレに立ち、部屋を出たみすずはふと思う。
 灯りが煌々と燈った暖かくも澱んだ空気にまみれた客間よりも、うす暗くキンと冷えた廊下が落ち着く。
 襖越しの親戚らのしゃべり声が遠くなり、何かから解放された気分になる。

 親戚らのいる客間は世間そのもの――みすずの劣等感を刺激する存在。

 みすずは苦笑し、一つため息を吐く。
 ちっとも楽しい気分になれず心が冷えただけの元日が暮れようとしていた。


 ――この3日後の仕事始めの日、四条夫妻の男女別年賀状が発覚し、みすずは四条静也を責めたが、この元日から引きずっていたクサクサした気持ちも作用していたかもしれない――と、ずっと後になって思い返すのであった。

 

 

※この『みすずのお見合い編』の次話はこちら↓

 

※男女別年賀状事件のお話はこちら↓※これまでの『福田みすずが主人公となっている物語』はこちら↓

※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓