これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

封印された過去―不幸への復讐・静也の児童養護施設時代

四条カップルのもとに、ついに赤ちゃんが生まれた。
幸せに包まれる静也だったが、自分の子ども時代・過去の苦い記憶――イジメ、暴力にまみれた児童養護施設時代が蘇る。

不幸がどこまでも積み重なる環境下、静也のどす黒い本当の姿が垣間見えるお話。

今までほのぼの・ハートフル調だった『これ縁』ですが、今回はけっこうシリアスでダーク。これが物語『これ縁』の本当の姿です。(コンプレックスやイジメをテーマにした番外編『蝉』 『あだ名』と同じ色調ですね)

無痛分娩についてのうんちくあり。

では、以下本文。

    ・・・・・・・・・・

 10月初め。ようやく暑さから解放され、涼風が気持ちよく感じられる季節。
 ついに静也と理沙夫婦に赤ちゃんが生まれた。

 涙ぐんでいる理沙に、静也は声をかける。
「ありがと……」

 我が子の誕生に感激の静也はアドレナリン出まくりでテンションが高かったが、大きな仕事を無事に終えた理沙はただただホッとし、麻酔も手伝ってか心地よい疲労感に身を任せていた。

 そう、四条夫妻は局所麻酔による無痛分娩を選んだ。

 無痛分娩は日本ではまだ少ないが、欧米では普通に行われている。
 リスクは無痛分娩にも自然分娩にもそれぞれあり、リスクがどちらにもあるならば、できるだけ苦痛を取り除くに越したことはないと静也は考えた。
『自然分娩でお腹を痛めて産んだかどうか』と『赤ちゃんへの愛情』は全く関係ない。

 静也の母は自然分娩ではなく、最初から麻酔を効かした帝王切開だった。
 子宮筋腫があり、妊娠高血圧症になった上に静也が逆子だったことが理由だ。
 それでも母は静也に充分過ぎるほどの愛情を注いでくれた。

 だいたい10か月もの間、お腹に赤ちゃんを抱え続けるだけでも大変である。
 ラクな出産方法があるのであれば、大いに利用すべきだ。

 無痛分娩で一番多く取り入れられているのが硬膜外麻酔=局所麻酔であり、赤ちゃんに影響はない。
 ただし全く痛くないわけではなく、痛みを緩和する程度のものだ。

 最初から麻酔を使うと陣痛が微弱になり、かえって出産時間が長引いてしまうため、子宮口がある程度(4、5cm)開いてから麻酔を注入する。
 よってそれまでは普通に陣痛を経験することになる。

 子宮口が開くまで理沙は静也の手を握り、陣痛に耐えた。

 自然分娩による出産時間の平均は12~15時間。かなりの体力を消耗する。
 産婦があまりの痛さにパニックに陥り、呼吸も上手くいかず、結果、赤ちゃんに酸素がいかなくなり、赤ちゃんにとっても苦しい状態が続く。場合によっては、産道の筋肉が硬くなって、赤ちゃんがなかなか降りることができず、帝王切開になることもある。

 対して、無痛分娩だとリラックスできるので難産になることも少なく、平均3~6時間で出産するという。
 体力の消耗を防ぎ、分娩時の出血も少なく済み、母体に負担がかからないので産後の回復が早い。
 会陰切開して縫う時も、麻酔が効いているので痛くない。

 無痛分娩の費用はプラス5万程度。
 ただし麻酔が効き過ぎて上手くいきめなかったりすると、赤ちゃんを吸引することになり、そういった吸引代金がかかる場合もある。

 しかし出産という一大事にケチっていられない。
 こういう時にこそお金を遣うべき、というのが四条夫婦の考え方だ。そのために貯金にも励んできた。

 理沙は子宮口が開くまでは陣痛を経験したものの、そこからは麻酔が入り、軽い痛みはあったが激痛はなく4時間で出産した。
 おかげで、赤ちゃんは酸素不足になることなく、きれいなピンク色で生まれてきた。
 3000グラムの男の子だった。

 理沙に付き添っている間、静也は母のことを思い出していた。

 小さい頃、よく熱を出した静也を病院までおぶって連れて行ってくれたこと、誕生日や正月やクリスマスなどの記念日には静也の好物を料理し、お祝いしてくれたことは覚えている。

 静也の健康を考えてだろう、おやつもよく手作りしてくれた。
 市販の駄菓子は制限されていた静也だが、それだけに母が作ってくれるおやつは最高においしかった。
 興味津々で静也もおやつ作りを手伝ったものだが、子どもの手伝いなど高が知れているし、かえって邪魔なこともあっただろう。
 けれど母は静也と一緒にマドレーヌやクッキー、ゼリーやプリンを作ってくれた。

 そんな母と一緒にお風呂に入ったある日。
「これ、何?」
 今までも気になっていた母のお腹の傷らしいものについて思い切って訊いてみた。

「静也が生まれた時の傷」
 母は何ともないように答えた。

「え? 子どもを産む時、皆、お腹を切るの?」
「皆じゃないけど……静也は特別だったからね」

 それを聞いた静也は申し訳ない気持ちになった。
 神妙な面持ちになった静也に母は微笑んだ。

「お母さんにとっては記念の傷」
 そして続けてこう言った。 
「けど、みんな大変な思いをして産むの。静也もいつかお嫁さんをもらったら、赤ちゃん産む時、応援してあげようね」

 ということで――今、静也は自分なりに母の教えを実行中だ。
 理沙が入院している間は毎日、仕事帰りに病院に立ち寄り、我が子の顔を見てから帰宅していた。

 今日も病院へ見舞いに行ってきて、自宅のアパートに帰ってきたばかり。
 夕食はできるだけ自炊している。今夜はカレーに挑戦。圧力鍋で肉をやわらかくし、野菜と煮込み、甘口のルーを入れる。
 理沙は辛口カレーを好むが、静也は未だに甘口も大好き。子どもの頃、母がよく作ってくれたのも甘口カレーだった。

 そう、子どもに食べさせるなら、当然甘口になる。ここはぜひ甘口カレーを極め、子どもに「ママのカレーよりパパのカレー」と言わせたい。

 それに育児は相当ハードだと聞く。自分も簡単な料理くらいはできるようになっておかないと上手くまわっていかないだろう。

 現実主義の静也は世でいう『母性信仰』は持っていない。
 妊娠初期、悪阻で苦しんでいた理沙が泣きながら不安を吐露したことで、母性が解決してくれるわけではないことを悟り、いろいろと調べていた。
 産後鬱というものもあり、肉体的にも精神的に参ってしまう母親もけっこういるようで、子を持って育てるというのは相当に大変なことのようだ。

 そこでふと思う。そういったストレスから育児放棄や虐待が起きるケースもあるのかもしれないと。

 ――児童養護施設では、親の病気や離婚で家庭での養育が困難になり、一時預かりということで入所する子が多かったが、親からの虐待や育児放棄で保護される子も少なくなかった。

 7歳の時に母を病気で、8歳で父を交通事故で亡くした静也は、施設へ入所した当初、ほかの子がうらやましかった。親が生きているのだから、自分よりはずっと幸せだと思っていた。

 けれど、親がいるのに施設に入所していた子たちは粗暴だったり、逆に人を怖がり、閉じこもりがちになったり、過剰に我がままであったり、問題を抱えている子も少なくなかった。

 静也のいた児童養護施設は定員60名。18歳までの児童を預かっていた。
 2階建てのアパートのような建物で、中高校生は個室が与えられたけど、小学生は4人部屋だった。

 ちなみに、こういった部屋割りは各施設によって違う。全員、個室が与えられるところもあれば、2人部屋、4人部屋、6人部屋のところもある。

 施設では児童同士の虐めもあった。
 親から放置されたり虐待を受けて育った上、その親から引き離され、いきなり集団生活に放り込まれる。
 学区が異なれば、学校も転校せざるを得ない。
 親の暴力やネグレクトから解放されたとはいえ、施設の集団生活や転校先の学校生活もすぐには馴染めず、心を歪ませてしまうこともあるだろう。
 その鬱憤は、自分より弱い者へ向かう。

 静也自身は短い間だったものの両親から愛されて育った。
 母が亡くなった後は、父が一生懸命、静也のために尽くしてくれた。慣れない家事をやり、休日は静也が寂しがらないように遊園地や水族館、動物園に連れて一緒に遊んでくれた。

 そんな父に静也は「人には優しくあれ」と教えられた。
 だから問題を抱える施設の子たちのことが、まるで理解できず、一部の子たちが起こす粗暴で攻撃的なふるまいや自分勝手な行動に眉をしかめた。

 静也のそういったところが癇に障ったのだろうか、「お高くとまっている」と思われ、静也は一部の子たちから嫌がらせを受けるようになった。

 当初、割り当てられた4人部屋の中では静也は最年少で、同室の子は皆、年上だった。
 力では敵いっこない。
 職員が見ていないところで、小突かれ、蹴られ、唾を吐きかけられ、私物をよく隠された。

 職員に訴え、注意をしてもらってもイジメは止まなかった。
 それどころか、職員に訴えたことで余計にイジメは酷くなった。
 大勢で体を押さえつけられ、パンツを脱がされ、囃し立てられたこともある。子どもたちは、標的にした子の羞恥心を弄るのが大好きだ。こんな楽しいことはない。

 イジメは遊びだ。

 職員の指導はいじめっ子らに全く効かなかった。どんなに口で叱られても、大した罰は与えられない。ここにいる子たちは皆、護るべき弱者。そんな弱者に罰を与えるのは人権侵害だ。

 学校生活でも――親が生きていた頃に通っていた学校は、入所した施設の学区が違ったため、転校せざるを得なかった。新しい学校では友だちがなかなかできなかった。

 静也のいた施設では自由にテレビも見られなかったし、ゲーム機もなかったから、学校の友だちの話題にもついていけなかった。

 やがて仲間外れにされるようになった。
 学校にも施設にも自分の居場所はなかった。

 それでも学校のイジメのほうがまだマシだった。
 せいぜい陰口を叩かれ、机の中にゴミを入れられ、無視される程度だ。

 対して施設のいじめっ子たちは暴力をふるうことがあった。
 酷い暴力をふるえば職員に見つかるし、悪ければ自立支援施設(昔でいう教護院)へ隔離されるので、そこは計算しながらの暴力ではあっただろうが――

 標的にした子をサンドバッグにしてストレス発散する気持ちよさは何物にも代えられない。

 疎外された世界で、静也は心も体も痛めつけられ続けた。

 そして静也が10歳の時。
 同じ施設に入所していた中学1年生の子が死んだ。
 道路にいきなり飛び出し、トラックにはねられたという。

 その子はとてもおとなしく「ごめんなさい」が口癖だった。「モグラ」とあだ名され、施設にいた中学生たちによくイジメられていた。
 いじめっ子らは「モグラ叩き」と称して、職員の目を盗んでは、その子の頭を何かと叩いた。彼らにとっては軽い遊びだったのだろう。

 叩かれる度に『モグラ』は頭を抱え、顔をしかめながらも「やめて」と言葉を発していた。
 何も悪くないのに「ごめんなさい」と謝った。

 でも、いじめっ子らのゲーム=暴力が止むことはなかった。
 イジメの日々は続き、いつの間にか『モグラ』は何の反応もしなくなった。叩かれている間も無表情となり、口を開かなくなった。『モグラ』から何かが消え去った。

 それから……
モグラ』が死んだのは間もなくのことだった。

 ひょっとして自殺だったのでは、と静也は思った。
 いや、その前に皆から心を殺されていたのだ。モグラの体は心を追っただけに過ぎない。

 だが当時の静也は何もしなかった。
 他人のことなどかまっていられない。自分を守るのに精いっぱいだ。

 亡くなった父の教え――『人に優しくあれ』――
 それは自分に余裕があって初めてできる行いだ。
 自分を愛してくれている誰かがいてこそできる行いだ。
 不幸より幸せの量が多い者ができる行いだ。

 職員も疲れていた。施設としても事故として処理したかっただろう。
 トラックに轢かれて亡くなった『モグラ』の親は、施設へ怒鳴り込み、職員の監督不行き届きだとしてクレームをつけてきたから、なおさらだ。

 静也の大人たちへの不信感が広がった。
 ――あの父親は、息子が死んで悲しんだのだろうか? そもそも元気な親がいるのに、なぜあの中学生は施設暮らしだったのか?

 モグラが自殺したとしても不思議ではない。この地獄から解放されるのであれば、死は絶対的な救いとなる。人間たちよりも死神のほうが優しい。人間のほうがよほど残酷だ。

 トラックに轢かれたモグラの頭は割れていたという。苦痛だけの記憶は脳から流れ、地面がそれを吸い取り、頭蓋の中が空っぽになったモグラの姿を静也は想像した。

 無となったモグラは二度と苦しまずに済む世界へ逝ったのだ。もう「ごめんなさい」と言わなくていいのだ。だからモグラが死んだと聞いた時、静也は哀しいとも酷いとも思わなかった。痛みを感じず即死であったならモグラにとってよかったのではないか。

 大人が子どもを守ってくれるとは限らない。
 24時間3交代で、一人で数人の子どもの面倒を担当させられる施設の職員はいっぱいいっぱいだ。

 親から虐待を受けて保護された子どもたちは、職員にも暴力をふるったり、過剰に我がままであったり、聞き分けがなかったりする。
 自分を受け入れてほしいという気持ちが、そういった態度に表れてしまうのだろうか。

 そんな子どもたちを数人、一人の職員が受け持って面倒を見るのだが、一人一人の子どもの求めに満足に応えられるはずがなかった。親ほどに細やかな愛情は注げない。

 子どもたちを平等に扱うことに心を配るあまり、子どもからあえて距離をとる職員も少なくなかった。
 エコヒイキはご法度だ。子どもたちはそういったことに対して非常に敏感である。
 誰かをエコヒイキをしたと子どもたちに思われてしまったら、嫉妬が引き金となり、厄介な問題を引き起こす

 また施設の仕事は子どもの世話だけではなく、細々とした雑事・家事、日報作成に書類作成、関係機関へ出向いたり、保護している子どもの親との面談などがあり、大変な激務だ。
 なのでイジメに気づきながらも見て見ぬふりをする職員もいただろう。

 おまけに施設の職員は非常勤も多かった。労働に見合う報酬が得られない上に不安定で過酷な職場に長く務められる者は少ない。ほとんどが3年くらいで辞めていく。

 こうして――『モグラ』がいなくなってから、静也にイジメが集中するようになった。
 読書が好きだった静也は性格が暗いということで、『マックラ』と名づけられ、『モグラ』と同じように頭をよく叩かれ、小突かれた。

 ――オレは野蛮なこいつらとは違う。

 度重なるイジメ……いや『虐め』で自尊心をズタズタにされながらも、そう思うことで静也は壊れそうな心を守った。
 が、静也がそう思えば思うほど、いじめっ子たちの目には「お高くとまった嫌なヤツ」と映り、虐めは徐々に過激さを増していった。

 静也は自尊心を回復させるために勉学に励んだ。
 静也の父は「勉強すること」の大切さを説き、生前は学校の宿題や予習復習につきあってくれた。
 もう褒めてくれる両親はいないけれど、静也は父の教えに従った。

 父のもう一つの教え『人に優しくあれ』が実行できない分、そうすることが心の慰めになった。

 だけど、いじめっ子たちは教科書を隠したり、勉強の邪魔をし、時には職員の目を盗み、暴力をふるってくる。

 ある日の夜――
床に就いた静也を部屋の子たちは顔にまくらを押し付けてきた。「マックラは、枕がお似合い」「お先マックラ」と哂いながら。
 彼らにとっては軽い悪ふざけだったのあろう。

 が、静也は息ができなくなり、危うく窒息死かけた。
 その時、失禁してしまったが、そのことを担当の職員に言い出せず、朝までそのままでいた。
 結局、おねしょということで処理されてしまった。

 いじめっ子たちは失禁した静也を、今度は『ばい菌君』『おもらし君』と呼ぶようになった。「ばい菌君にはこれがお似合い」と体を押さえつけられては度々雑巾を口に突っ込まれた。

 いじめっ子=敵はいつ襲ってくるか分からない。
 ――誰も助けてくれない。周りの全てが敵。

 学校も施設も戦場だ。
 静也の心がヒビ割れ、傷は膿み、黒いものが生まれる。

 何もいいことがない日々。
 希望が持てない日々。
 不安だけの日々。

 皆から攻撃を受け、バカにされ、虐められる毎日。
 死んだほうがマシ。自分もあの『死んだ中学生モグラ』と同じ道を歩むことになるかもしれない。

 ――世界が襲ってくる。世界に押しつぶされる。
 でも、このまま死ぬのは悔しい。どうせならあいつらを殺してからだ。あいつらも道づれだ。いや、できれば周りの世界を不幸に突き落としたいくらいだった。

 戦うしかない。ついに静也は反撃に出た。

 決行の時――図書室で借りた分厚い本を脇に抱え、読書しに行くことを装いながら、職員の目が届かない場所――人目の付きにくい裏庭へ、一人で向かった。
 いじめっ子2人組が後をつけてくるのが分かった。
 施設の問題児だった中学2年と、静也と同室の小学6年の男子児童だった。

 静也は窓のない建物の角を曲がったところで待ち伏せし、追いかけてきた『中学2年』の顔へいきなり本を投げつけた。
 先制攻撃だ。

『中学2年』は避けることができず、本は顔を直撃した。『中学2年』は鼻を押さえ、ふらつき、屈んだ。

 いつもおとなしい静也がそんな行動に出るとは予想しなかったのか、もう一人の『小学6年』は怯み、その場に固まっていた。
 その隙に静也は、屈んでいる『中学2年』の肩を思いっきり蹴った。

「うげっ」
 ヘンな声を出して『中学2年』が地面に転んだ。
 すかさず頭を蹴ってやった。

 幼い頃、親から教えられた倫理観はとっくに消し飛んでいた。
 護ってくれる親はもういないのだ。

 静也から数発の蹴りを入れられた『中学2年』は倒れたまま動かなくなった。

 ――リーダー格から徹底的に潰す。

 静也はあらゆる想定をし、戦い方をシュミレーションしていた。拳は痛める可能性が高いので、スニーカーで保護されている足をひたすら使った。

『中学2年』を仕留めた静也は、『小学6年』を挑発した。
「勉強もろくにできないバカが。だから親に捨てられたんだろ」
 悪意に満ちた言葉を浴びせる。

 ――こいつらは敵。倒すべき敵。
 そこにあるのは怒りと憎しみ。それだけ。

「死ね」
『小学6年』が顔を歪ませ、静也に飛び掛かってきた。

 ――殺してやる。

 静也の心が、いじめっ子の心とリンクする。
 やるせない負のエネルギーと破壊衝動。
 それは静也をも飲み込み、心の底に雲泥のように溜まっていた怒りを爆発させた。

「お前こそ死ね」
 静也はポケットに隠し持っていたカッターを取り出して振り回した。

 ビビったのだろう相手の動きが止まった。
 その隙にタックルを仕掛けた。相手は仰向けに倒れた。ゴツンという鈍い音、頭を打ったようだ。

 すでに『小学6年』は戦意を喪失していたが、静也は容赦なくその子の腹を何度も踏みつけた。

「死ね、死ね、死ね」
 静也は相手が憎いというよりも、この自分を取り巻く不幸が憎かった。

 これは、自分を虐めた相手への復讐というよりも、不幸へ復讐だった。世界への復讐だった。
 なぜ自分だけ、こんなに早く両親が立て続けに亡くなり、こんなヤツらに虐められる惨めな日々を送らないといけないのか。

 死ね、死ね、死ね……。
 呪いの言葉に取り込まれる。

 ボスッ、ボスッ。敵の体にめりこむ自分の足。
 地を這いつくばりながら呻く敵の声。敵=世界を圧している自分。

 ――容赦ない暴力の解放。

 鬱憤が晴らされ、たまりにたまった不幸感が発散されていく。脳がしびれ、トランスしていく。恍惚というものがどういう感覚なのか、静也は初めて理解した。

 完膚なきまでに相手を打ちのめすことが、こんなに気持ちいいものだなんて。

「ぐええ」
『小学6年』はお腹を抱えたまま妙な声を出して呻き、そのまま地面に伏せた。当分、起き上がることはできないだろう。

 静也は、倒れている『中学2年』のほうへ来て片膝をつき、囁いた。
「お前、少年法って知っているよな。オレはお前を殺しても罪にならない。14歳未満なら逮捕もなくて補導扱いだ。だから殺し放題ってわけ。お前、一度死んでみる? モグラのところへいけよ」

『中学2年』の髪をつかんで乱暴に顔を引っ張り上げ、カッターをその頸に当てた。

 この少年法という法律も、静也は調べていた。
 もし、この『中学2年』が暴れたら、本当に頸を切りつけるつもりだった。
 死んでもいい覚悟の上でやっているのだ。捨てるモノがない不幸のどん底にいる静也に怖いものなどなかった。

 今の自分は無敵だ。相手の生殺与奪権をも握っている――妙な昂揚感が静也を包んでいた。

 そんな静也の凄まじい殺気を感じたのか『中学2年』はガタガタと震え、ひたすら「ごめんなさい。許してください」と繰り返した。

 けどその謝罪は……もっと目上の者に対する言葉遣いに思えた。……おそらく虐待を受けて保護された子だったのだろう、今思えば、親に許しを請う言葉だったのかもしれない。

 静也は脅しの言葉を吐き続けた。
「二度とオレに近づくな。次は殺してやる」
 そう言うと『中学2年』の顔を足蹴にし、そのままスニーカーで地面に思いっきり押し付けた。

『中学2年』の顔は鼻血と涙でぐしゃぐしゃだった。ズボンも濡れていた。
『小学6年』も、半開きの口からよだれをたらし眼を見開いたまま金縛りにあったように動かなかった。

 怯えきった二人のいじめっ子らの惨めな姿は、静也に満足と自尊心をもたらせた。沸騰していた脳みそが次第に覚めていった。なあんだ、自分もこいつらと同じ野蛮人だったんだなと失笑するほどに。

 ――はあ~、すっきりした~。

 歪んだ口から深いため息が漏れた。静也は爽快感を味わっていた。溜まっていた鬱憤が全て解き放たれ、洗い流されていく。

 ――気持ちいい~、完全勝利だ。世界をぶちのめしてやった。

 クックッと楽しそうに笑いをこらえる静也を、二人は地に転がったままギョッとしたように見つめていた。

「汚ないなあ……『おもらし君』『ばい菌君』はお前らのほうだな」
 静也は歪んだ笑顔のまま彼らを一瞥すると、カッターを右手で握ったまま、左手で本を拾い、周囲を警戒しながら宿舎へ戻った。

 それ以降、静也への虐めはピタっと止まった。

 静也の暴行も先生や職員には知られることはなかった。
 いじめっ子らは黙ることを選択したのだろう。

 怪我や服の汚れも「転んだ」「悪ふざけして喧嘩ごっこをした」「トイレに行き損ねて、もらした」とごまかしたようだ。
 施設の職員も何かを感じたかもしれないが、深く追究しなかった。

 施設で起きた問題はできるだけ表にしたくない――それが職員たちの本音だろう。
 施設の人員が、ひいては予算が足りなさ過ぎるのが元凶だ。

 静也はそのことも計算していた。
 職員らは見て見ぬ振りをする可能性が高いと。余裕のない大人は面倒事が嫌いだ。
 そして案の定、静也の思い通りになった。

 けれど、子どもたちの間ではウワサが広がったのか、施設の小中学生たちは静也から距離を置くようになった。言葉を交わすどころか視線さえ合わせない。

 こうして静也の周りは静かになった。

 だが、静也は警戒は解かなかった。
 いつ仕返しされるか分からない。敵も少年法で守られている。
 だから常にカッターナイフなど武器になりそうなものを持ち歩いた。攻撃を受けたら、躊躇なく、相手の急所を狙うつもりだ。
 あらゆる戦闘シュミレーションを行い、常に感覚を研ぎ澄まし、緊張を保った。

 虐めが止んだからといって、その後も心安らかになれる時などなかった。
 それが暴力で解決した報いだった。

 所詮、仮初の平和。結局、戦闘状態は続いているのだ。

 でも仕返しされるなら、それはそれでかまわないとも思っていた。こちらも正当防衛という名の下で容赦なく暴れることができる。また暴力に酔うのも悪くはない。今度も世界をぶちのめしてやる。

 自分も結局、野蛮人だった。親という保護者を失い、食うか食われるかの戦場にいるのだから仕方ない。きれいごとは通用しない世界だ。

 そんな静也に職員らは特に気にかけることはなかった。
 ほかに問題児童がたくさんいたので、施設の規則を守り、おとなしく勉学に励む静也は手のかからない良い子と見ていたようだ。いや、そう思いたかったのだろう。

 だから静也のほうも、表向きはそう振舞ってやった。筋違いの気遣いなど邪魔なだけ。
 自分のことは自分で護るしかない。誰も頼れない。

 静也は、施設だけではなく学校でもバリアを張った。クラスメイトらは温かい家庭の中で保護されている別世界の人間――自分とは違う種類の生き物である。

 もともと、静也は同級生らから「シセツ」と呼ばれ、敬遠されていた。

 人間は、人をカテゴライズし、差別するのが大好きだ。
 以前から、施設の子どもが学校で問題を起こすと「施設育ちだから」と色眼鏡で見られ、警戒されていた。
 静也も例外ではなく、一部の生徒からは「真面目でおとなしいヤツほど危ない」「犯罪者予備軍」と思われていたようだ。
 おそらく、その生徒の親がそう子どもに伝えていたのだろう。「あの施設の子に関わってはいけない」と。

 ――施設の奴らも学校の奴らも全員、敵だ。こっちから縁を切ってやる。

  皆から空気のように扱われることで、モグラのように死なずに済んだのだと、そう思うことで静也は孤独に耐えた。周りからバカにされ虐められるよりは独りでいるほうが数倍マシだ。
 8歳で止まってしまった家族との思い出を支えに、勉学にエネルギーを注いだ。

 それでも時折、世界を憎んだ。そのうち自分を誕生させておきながら護ってくれずこの悲惨な世界に置き去りにした両親をも。

 理沙との縁が始まるまで静也の孤独は続いた。

 ――オレは人を遠ざけ、壁を作ることで、自分を守ってきた。緊張と警戒を強いられた生活の中で、オレの性格はそう形成されてしまったんだ……。

 そして本当の自分は暴力に快感を見出す野蛮な人間だ。

   ・・・

 カレーの匂いが充満してきて、静也は我に返る。
 鍋がグツグツとおいしそうな音を立てている。

 理沙と縁を結び、子どもも誕生した今、本当に幸せだ。
 だからなのか、自分が痛めつけた『中学2年』と『小学6年』のことが気になっていた。今はもう名前さえ思い出せないあの二人。

 ――人は心が満たされてこそ、初めて過ちを顧みることができるのかもしれない。

 静也はようやく、あのいじめっ子たちの気持ちを少し思いやれるようになった。彼らも虐めや暴力で自分のやるせない気持ちを発散するしかなかったのだろう。

 しかし8歳で家庭を失い、虐めの標的にされ、不幸のどん底にいた当時の静也にそんな彼らの心を汲む余裕もなかったし、虐めを黙って受け入れる謂われもない。

 あのまま虐められる生活を送っていたら、自分の心はもっと荒み、やがて親から愛された記憶も薄れ、本気で世を呪うようになっていたかもしれない。『モグラ』のように自死に追い込まれたかもしれない。あるいは反社会的な犯罪者になっていたかもしれない。

 静也にとって、これはずっと封印すべき苦い出来事だった。理沙にも話したことはない。この先も語ることはないかもしれない。
 変えることができない苦痛に満ちた過去の話より、希望が持てる未来の話をしたい。

 静也が痛めつけたあの二人はその後――『小学6年』のほうは親のところへ帰ったというウワサを聞いた。『中学2年』のほうは中学卒業と同時に施設を出ていった。

 それから彼らがどうなったのか、消息は分からない。
 施設から出ていく理由や行った先の場所は、いちいち公には明かされない。施設生の中で不確かなウワサとなって流れてくるくらいだった。ただ、親から見捨てられた子どもの人生は過酷だと、今なら想像が働く。

 静也がまともな人間関係を結べたのは理沙一人だけだ。同じ境遇の理沙になら警戒を解くことができた。

 ただ……周り全てが敵で誰一人として味方がいない中、苛烈に虐められる体験をしていないだろう理沙に全てを分かってもらおうとは思わない。あの時、子どもだったとはいえ、人を殺そうとしたことなど共感してはもらえないだろう。

 そう、自分と理沙との間にも破ることができないうすい膜があるのだ。
 普段は冷静で理性的な静也だが、我慢の限界を超えてしまった時は激情にかられ、苛烈な行動に出てしまう。そして暴力に陶酔し、破壊衝動の解放に快感を抱く。そんな静也の裏面を理沙は知らない。

 ――いや、理沙には知ってほしくない。知る必要もない。

 人を呪う過酷な体験は心を破壊される。理沙にはそんな目に遭ってほしくない。そこまで自分と共有しなくていい。

 家族を失くした自分にとって、施設も学校も緊張と警戒を強いられる戦場だった。自分の周り全て……世界が敵だった。

 だからこそ、やっと手に入れたこの家庭だけは心休まる場所にしたい。
 何と言っても……自分の子を、あんな目に遭わせたくない。

 とその時、こんな思いが胸をよぎった。自分の子はこの世界で幸せになれるんだろうか? 誕生させたのは正解だったのか? この世界に傷つけられるのではないか? その時、自分は守ってあげられるのか?

 過酷な記憶は、我が子の誕生を喜ぶ静也に一瞬、影を落とす。
 不幸は執念深い。今ある幸せに黒い染みをつけようとする。不幸はいつ襲ってくるか分からない。

 そんな暗い不安を蹴散らすかのように静也は首を振る。まずはカレーを完成させなくては。ルーが溶けたカレー鍋にケチャップを入れ、かき混ぜた。
 ケチャップが入るといい具合に甘口になる。発酵食品である味噌やヨーグルトを足せば、さらに味がよくなっていく。
 程よく煮込んだところでガスの火を止める。

 カレーが出来上がった。食してみると、まあまあだった。
 それでも独りの食事は味気ない。さっさと食べ終え、皿を片付ける。

 けっこう残ったので、明日もカレーだ。一晩寝かせれば熟成されてもっと旨くなっているはず。ママのカレーよりパパのカレー。

 秋虫の鳴き声が微かに聞こえてくる静かな夜。
 静也はシャワーを手っ取り早く浴び、お眠の『ふっくら』と『ぷっくり』のもっこりとした丸いお腹を拝む。
 苦い過去は記憶の奥底に沈み、再び封印され、ざわめいていた心が静まる。

 あの苛烈な日々とは縁が切れた。両親が生きていた頃と同じ安らかな暮らしを再び手に入れた。自分はあの不幸に勝ったのだ。

 呪詛にまみれた過去を、今ある祝福が包み込む。

 床に就いた静也は布団を被り、理沙と我が子に思いを馳せながら眠りに落ちていった。


※無痛分娩実施率―アメリカ約61%(2008年)、フランス約80%(2010年)、イギリス23%(2006年)、ドイツ18%(2002~03年)、ノルウェー26%(2005年)。一方、日本は2.6%(2007年)。

 

 

※次話↓※短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓