これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

セクハラ恵方巻き―いやらしい由来

前回の『セクハラ鏡餅』に続き、男性ホルモンが充実しまくっている肉食系・黒野先輩が起こすセクハラ騒動。
またもや静也も巻き込まれる。

今回は静也VSフェミニスト・みすず。
(福田みすずは主要キャラになっていきます。以後、お見知りおきを)

恵方巻きの驚くべき由来とは?
節分についてのミニ雑学もあり。

では、以下本文。

    ・・・・・・・・・・

 今日は立春の前日――節分の日。

 待ちに待ったお昼休みがやってきた。
 閑散とした○○市役所総務部広報課室へ戻ってきた四条静也はコンビニで買ってきた恵方巻き3本とペットボトルのお茶を机の上に置く。
 ほかの多くの職員は席を外したままだ。大方、食堂へ行ったのだろう。

「あら、四条君も恵方巻きにしたんだ」
 先輩女性職員の福田みすずも恵方巻きが2本入ったコンビニの袋をぶら下げ、入ってきた。

「せっかくだし、あえてコンビニ商法に乗るのもいいかなと」
 この日、外のお店ではどこもかしこも恵方巻きセールで盛り上がっている。

「商法?」
 みすずも自分の席に着く。

恵方巻きっていう名前、セブンイレブンがつけて広めたらしいですよ」
 そう応えながら、静也は恵方巻きの包みを開けた。

「じゃあ、これって昔からある日本の風習じゃないの?」

「いや、関西方面の風習らしいですけど、歴史は浅くて、大阪の海苔店が始めたって聞きますよ。名前も丸かぶり寿司恵方寿司、吉方巻きといろいろあったようです」

「なあんだ……」
 ちょっと白けた顔をしてみずす先輩は袋から恵方巻きを取り出す。

「ま、おいしけりゃいいじゃないですか。一本丸ごと食べれば、運がいただけるってことで」
 静也は恵方巻きにかぶりついた。海苔の香が口の中でふんわり広がる。

「そうね。丸かじりって豪快な食べ方も嫌いじゃないしね」
 みすず先輩も静也に倣い、恵方巻きをかじる。

 と、その時――
「やめて~、もっとやさしく……」
 机の向こう側からイヤラシイ声がした。

 もう確認しなくても分かる。黒野先輩だ。
 相変わらず、男性ホルモンを抽出したかのようにムンムンとしたオーラを放っている。先輩の周囲だけ常夏だ。

 そんな黒野を、みすずは恵方巻きを口にくわえたまま、にらみつけた。
 セクハラの王者・黒野は、みすずにとって敵以外何ものでもない。

 が、みすずの鋭い視線も何のその、黒野先輩はいつになくニヤついている。
 静也は不穏な空気を感じ、先輩たちに背中を向け、恵方巻きを口に押し込んだ。

 だが黒野は、2本目の恵方巻きを手にした静也を引きずり込む。
「静也も知っているんだろ。恵方巻きの本当の由来を」

「んぐ……さ……さあ~」
 恵方巻きを飲み込みながら、静也は顔を横に振った。

「理沙ちんもお昼、恵方巻きなのかなあ」
「……そうだと思いますが」

 ちなみに理沙は静也の妻である。ここ○○市役所に夫婦してお勤めしているが、静也とは課が違う。

 黒野先輩の『ニヤつき度』はさらに高くなった。目が三日月のように細くなり、口角がこれでもかというくらいに上がっている。
「お前のは恵方巻きクラスなのか?」

「……」
「今夜は、理沙ちんに本物の恵方巻きを……このスケベ」

 絡んでくる黒野を無視して、静也は恵方巻きを食べ終えることに専念した。静也の頬っぺたはハムスター状態だ。

 だが、これにみすず先輩が反応した。
「一体、何の話よ? 四条君、説明してよ」

「さあ、よく分かりません」
 なぜ、オレに話を振る……と思いつつ、静也は三本目の恵方巻きをつかんだ。

 そんな静也に代わって黒野がズバリ答える。
恵方巻きはな、男のアレなんだよ。だから普通の太巻きみたいに切らないで、一本まるごと頬張るんだ。つまり『アレ』に見立てた巻きずしを節分の日に遊女に頬張らせた……そういうプレイが大阪の花街で流行っていたということで、恵方巻きは花魁遊びに由来しているんだよ」

 恵方巻きをくわえたまま、みすずの顔が能面のように無表情になった。

 それとは対照的に得意満面の黒野は、みすずを挑発するかのように笑いかける。
「実にイヤラシイ食べ方だよな~」

 恵方巻きをお茶で流し込んだみすずはついに吠えた。
「セクハラよ。これはセクハラだわっ」

 静也はもう一本残った恵方巻きとお茶を手に、この部屋から退散しようとした。
 ――そういう話はお二人でどうぞ。オレを巻き込まないでくれ。

 だが、みすず先輩は見逃してはくれなかった。
「四条君、知っていたのね。恵方巻きの由来」

「い、いや……」
「知っていて、私の食べる姿を横目で楽しんでいたんでしょ」

 どうしてそうなる?……静也はみすずの失礼な物言いに憮然とした。

「あとで上に報告するからね」
 気炎を上げながら、みすずはさらに恵方巻きにかぶりつく。
 その食べっぷりはなかなかのもので、まるで男を食い尽くそうとするかのようだった。

 が、さすがの静也もこれには黙っていられなかった。
「言いがかりにも程があります。オレがそんな不埒な想像をして楽しんでいたという証拠はありますか?」

恵方巻きの由来を知っていたくせに、とぼけていたのが何よりの証拠でしょ」
「おいしく食べたいから、本当かどうか分からない下らない由来を無視しただけです」

「さあ、どうだか」
「仮に想像していたら、男のオレは恵方巻きなんて食えません」

 そこで黒野がすかさず入ってきた。
「男同士で……って場合もありうるな」

 が、静也はみすずにターゲットを絞る。
「これがセクハラになるなら、恵方巻きを売っている全国のお店に抗議すべきでしょ。オレをセクハラ扱いするなら、そうするべきです」

「……」
 ようやく、みすずは黙り込んだ。反論の言葉を探すも、見つからずといったところか。

 机の向こう側でファイティングポーズで拳を振り回している黒野を尻目に、静也はみすずにさらなる追い討ちをかける。

「コンビニで『恵方巻きに対するセクハラ抗議』が通じるとは思いません。そんなことしたら単なるクレーマーです。市の職員がそんなことしたら問題になるかもしれませんね。それでも自信を持ってコンビニを訴えることができますか?」

 ここでやめても良かったが、一度、理屈スイッチが入ってしまった静也は止まらない。
「福田さんは僕をセクハラ扱いし、課長に報告すると脅しました。僕は福田さんからパワハラを受けたということです」

「脅すとか、パワハラとかっておおげさな……そもそも私、あなたの上司じゃないし」
 みすず先輩の声がしぼむ。

「いえ、後輩である僕は、あなたより弱い立場の人間です。コンビニには抗議しようとしないあなたは、弱い立場の僕には理不尽な言いがかりをつけました。つまり弱い者イジメをしたんです」

 ピシャリと静也は言い返す。一人称を『オレ』から『僕』に変えていた。
 こういった問題では、相手より弱い立場であることを主張し、被害者になったほうが勝ちだ。

「セクハラとパワハラ、どっちの罪が重いんだろうなあ」
 拳を振り回すのをやめた黒野は、のんびりとした調子で茶々を入れてきた。

 もとはと言えば、あんたが仕掛けたんだろうが……静也は横目で黒野をにらみつける。

「ま、ここらでやめておこうぜ。福田もちょっとお前に当たっただけだ。あまり女を責めるのは気が引けるしよ。矛を収めようぜ」

 黒野は静也をとりなそうとしたが、静也は理屈を通す。

「その考えこそ女性を下に見ていませんか。それこそ女性差別です。男女平等、男女同権を訴えながら、男が女を責めるのはかわいそうだ、とするのはおかしいです」

 そう言って黒野を一瞥した後、静也はみすずのほうへ向き直る。

「福田さんは、僕にハラスメントを行い、心理的な苦痛を与えた上、大切な休息時間である昼休みを僕から奪ったのです」

 そうだ、おかげでせっかくの恵方巻きを味わえなかった。口に押し込んで早食いをし、それをただただお茶で飲み込み、勿体ない食べ方をしてしまった。実害を被ったのだ。

「……ごめんなさい」
 ついにみすずは静也に頭を下げた。

「では、こちらも矛を収めます」
 反省してくれれば、こちらもそれ以上は言うことはない。静也の完膚なき勝利だ。 

 けど黒野はこんなことを言ってきた。
「お前、そんな性格でよく結婚できたな……理沙ちんが懐の深い女なのかもしれないけど」

「何で、いきなり結婚の話になるんですか?」
 静也はワケが分からなかった。

「お前、友だち、少ないだろ?」
「……」

 というか、友だちいません――静也は心の中で答えつつ、こんな疑問ももつ。
 友だちって言われるほど必要か?

「ま、お前みたいな男を伴侶にしてくれた理沙を大事にしてやれよ」
 いい話でまとめ、この場を収めた黒野だが、静也は苦言を呈することを忘れなかった。
「先輩も食事中にマナーに反することはやめてください」
「んも~、カタいこと言うなよ~」

 そんな二人のやりとりをボンヤリ見ていたみすずは食べる気が失せたのか、残った恵方巻きを仕舞った。

   ・・・

「へえ、そんなことがあったんだ」

 仕事を終えた静也は理沙と待ち合わせ、帰途に就く。
 役所を出ると吐く息は白く、相変わらずの寒さだ。手がかじかみ、足のつま先が冷たい。

「でも私も知らなかったな。恵方巻きの由来」
「ま、切らずに一本丸のままでというのは、いろいろ説があるらしい。縁が切れないように、運を逃さないように、とか」

「うん、そっちの説のほうがいいよね」
 そう話しながら、理沙は手をポンっと打つ。
「ねえ、晩ご飯も恵方巻きにしない? お昼、ちゃんと味わえなかったんでしょ」

「そうだな、恵方巻きは節分の晩に食べる、という説もあるしな」
「コンビニじゃなくてさ、デパ地下で高級な恵方巻き買って、ちょっと贅沢しようか」

 二人は賑やかな繁華街に出て、デパ地下に向かった。
 その間、空いてきたお腹をなだめながら、静也は『立春の前日となる節分』についてのうんちくを垂れる。

「本当は節分って年に4回あるんだ。節分の意味は『季節を分ける』ってことだから、春夏秋冬の区切りの日はすべて節分になるわけだ」 
「へえ」

「昔、立春を一年の始まりとしていた時代もあったそうだ。だから正月を新春って呼ぶんだろうな」
「なるほど」

「その立春の前日は『大晦日(おおみそか)』になるわけだ。それで、この日に一年の厄を払うってことで、厄除けに『豆まき』をするようになったって話だ」
「へえ」

「地方によっては節分の日に蕎麦を食べるところもあるようだな」
「要するに『年越し蕎麦』ってことか。じゃ、今夜は恵方巻きにお蕎麦をつけようか」
「いいね」

 ということで、自宅に帰った静也と理沙は、デパ地下で買ったちょっと高級な恵方巻きと、温め直した昨日の残りの南瓜の煮つけ、スープ代わりにチャッチャと茹でたお蕎麦を並べ、食卓を囲んだ。

「いただきます」
 暖房を点けたもののまだひんやりとした空気が漂っている部屋で、湯気が上り立つ熱々の蕎麦をズルズルと音を立てながら食べる。

「はあ~サイコ―」
 二人とも思わずため息が漏れる。

 体が温まり、人心地ついた後、具だくさんの高級恵方巻きに手を出す。
 恵方巻きの海苔のふくよかな香りが食欲を誘う。一口かじるともう止まらなかった。
 寿司飯と具と海苔のコンビネーションがたまらない。

「ん~、さすがにおいしいね」
「ん……」

 口の中では恵方巻きが躍っていて、まともに返事ができない。
 玄米茶で一息つき、2本目の恵方巻きを口に運び、ガリをお供に食べ進めていく。
 南瓜の煮つけもまあまあだ。

「そんなに押し込まないで……ちゃんと噛まなきゃ」
「ん……」

 外の世界は未だ厳冬に覆われているけど、二人の心の中はまさに春。

 ――縁が切れないようにと願いを込めた『切れていない恵方巻き』――
 静也と理沙は丸かじりする。二人の縁が続くようにと。

 

 

※次話 

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