これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

旧暦9月9日☆血液型診断―栗の節句

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2017年10月28日(土)は旧暦9月9日に当たる――『重陽節句』の日です。別名『菊の節句』または『栗の節句』とも呼ばれます。

知名度はいまいちだけど、3月3日『桃の節句』、5月5日『端午の節句』、7月7日『七夕』と同じく、古代中国を起源とする昔からある日本の行事のひとつで、江戸時代に定着しました。

(今現在は新暦で行われるが、本来は旧暦で祝う行事ため、若干季節がずれている。つまり新暦の9月9日だと栗や菊の季節としては早すぎるということ)

そこで、この『栗の節句』をネタにした若夫婦の物語を紹介。2700字ほどのサクッと読める、ほのぼのハートフルなお話です。もちろん『栗の節句』について、そして科学的な血液診断の雑学あり。

ココの登場する四条夫妻は、本編・短編連作小説「これも何かの縁」の主人公カップルです。本編への前話としてお楽しみくださいませ。

では「これも何かの縁」より番外編「血液型診断―栗の節句をどうぞ。

以下、物語本文。※劇中の日時は2017年10月28日(土)としてます。

   ・・・・・・・・・・

 晴れ渡った空が心地よい中秋の休日。
 四条静也・理沙の若夫婦はまったりと自宅マンションで過ごす。

 二人は中学時代からの同級生で、今は高卒公務員として○○市役所にお勤めしている。
 結婚して一年。
 しかもまだ21歳――若すぎる二人の結婚に周囲は驚いたが、それはまた別の話。

 昼食を済ませ、居間でゴロゴロしていた静也に、理沙は何となしに話しかけてきた。

「ねえ、静也って血液型はたしかAだったよね」
「ん、そうだけど」

 体を起こした静也は理沙を見やる。

 理沙は図書館から借りてきた『これが真実! 新・血液型診断』という本に目をやりながら「なるほどね」と一人頷き納得。

 やれやれ、女はああいったの好きだよな。
 ちょっと辟易気分を抱え、静也は心の中でつぶやく。

 そもそも4種しかない血液型で人間の性質を分けるなんてナンセンス。
 けど、さすがにそんなことを口にする愚は犯さない。正直さは時に諍いのもとになる。

 それに、理沙が世の中に4種類の人間しかいないと信じたところで、静也には痛くもかゆくもない。
 はっきり言ってどうでもいいことである。
 下らないことで理沙の機嫌を損ねることのほうがずっとマイナスだ。夫婦円満こそ幸せなる家庭の基本。ここは黙って理沙に同調しておくに限る。

 ――と損得勘定ではじき出し、適当に理沙のおしゃべりを聞き流していた静也であるが、だんだん興味が湧いてきた。
 この血液型診断、意外と科学的なアプローチもある内容のようだ。

「A型って、もともとは農耕民族由来だったらしいよ。対してB型は遊牧民族。つまり農耕と遊牧じゃ生活スタイルが違うから、A型とB型って相性が合わないんだって」

「そういえば、黒野先輩はBだよな」

「ああ、いかにも遊牧民族系よね」

 黒野先輩というのは、同じ職場に勤める静也の同僚だ。静也と同じく広報課に所属しており、男性ホルモンが過剰に分泌されているのではないかと思うほどのマッチョな肉体を持つ暑苦しい男だ。

 そんな先輩は、お酒も合コンも大好きな肉食系。
 少々ウザイところもあるが、明るくて自由奔放。
 たしかに行動的で遊牧民的な気質を持っている。

「とするとAB型は? 農耕と遊牧の掛け合わせってことか」
「みたいね。進化の過程で、新しく生まれてきた血液型なんですって」

「合わないもの同士の掛け合わせか」
「だから性格が複雑なのかも」
「なるほどな」

 慎重派で冒険はあまり好まず、安定を求める農耕型の草食系・静也的な性格と――
 計画性があまりなく自由を愛する遊牧型の肉食系・黒野先輩的な性格が同居していると考えれば、そのややこしさはなかなかのものであろう。

「ええっと、理沙はO型だったっけ」
 当然、静也は理沙の内容も気になった。

「うん。O型は一番、古くからある血液型のようよ。病に打ち勝ちながら長い歴史の中、生き残ってきたということで免疫力が強いんですって」
 理沙はニカっと笑い胸を張る。

 それを聞いた静也はホッとした。
「そうか、健康に長生きできる可能性が高いってことだよな」

 やっぱり、理沙に先に逝かれるのはイヤだった。もちろん、自分だってそこそこ長生きしたいけど、理沙より長生きしたいとは思わない。

 その時、ふと思い出す。
 健康で長生き……といえば――

「今日は旧暦の……重陽節句だな」

 旧暦の9月9日は重陽と呼ばれ、江戸時代に定められた五節句の一つである。

 今ならば新暦10月中頃にあたり、栗の旬、菊の季節でもあることから、別名、栗の節句または菊の節句ともいう。

 昔、菊は薬草としても用いられ、長寿を願う植物とされてきたことから、重陽節句は不老長寿を願う行事でもあった。

 ちなみに節句とは――古代中国の風習を由来とする、季節の節目に無病息災・子孫繁栄・豊作を願い、供え物をし邪気を祓う行事のことで――

 その古代中国では、奇数は縁起の良い『陽数』としているため、奇数の中でも一番大きな陽数が『9』となる。その『9』が重なる日――9月9日を重陽と呼び、めでたい特別な日となったのだ。

「そうそう、栗の節句ということで、さっそく『栗祭り』といきますか~っ」

 理沙にとっては嬉しい栗の節句、すなわち栗を使った食べ物をお腹に収める日としてインプットしてある。

「栗饅頭に栗羊羹、モンブランにマロングラッセとあるけど、やっぱり日持ちしないモンブランを先にいただかないとねえ」

 いそいそと立ち上がった理沙はお茶の用意をする。重陽節句に因んで栗系のお菓子をすでに用意していたようだ。

 もちろん新暦の9月9日でもしっかりと重陽節句を祝い、栗のお菓子を食べまくった理沙である。

「甘いものを食べすぎると健康に良くないぞ。血管もボロボロになるし、塩分と同じく害になるんだぞ」

 そう注意するものの、理沙の耳には入らない。

「栗は栄養にいいのよ~」

 いや、理沙には「太るぞ」という言葉が効くのだが、そこはあえて言わないでおく。
 本当に健康を害するほどの肥満体であれば注意するけど、今のところ理沙は中肉中背で平均的。膝から太ももにかけて、ムッチリと肉がついているくらいだ。
 内臓に脂肪がつくのは良くないが、皮下脂肪であれば健康には問題ない。

 と論理的かつ科学的に判断する静也であるが、実はムッチリした理沙の太ももが大好きでもある。
 たまに膝枕で耳掃除なんぞもしてもらっている。

 めでたい栗の節句、少々の糖分の取り過ぎは仕方ないかと大目に見ることにし、紅茶をお供にモンブランを幸せそうに口に運ぶ理沙に、静也も倣う。
 口の中に広がるモンブランの栗の香ばしさと甘さ。脳内の幸せホルモンが分泌される。
 そう、こういった暮らしこそが長生きの秘訣かも。

「これ食べたら、図書館に行こうか。この本、返したいし」
「そうだな」

 図書館までの道はいい散歩となる。
 日はすっかり短くなり、昼下がりになると日差しにはどこか黄昏た色が混じり、家々や葉を落としつつある木々をやわらかく照らして長い影を作る。

 明日も仕事は休みだから寝坊ができる。
 秋の夜長は読書で過ごすか。

 夫婦水入らず。旧暦・重陽節句の日、お互いの健康長寿を願った。

 

 

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