これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

オタクが嫌われる理由・発達障害との関係☆アニメ監督・山本寛氏の「オタクは虫けら」発言

オタクについて、発達障害との関係、嫌われる理由を熱く考察。ちなみにアニメ監督の山本寛氏の存在は一連の炎上騒ぎで知った。

目次じゃ!

オタクへの偏見

山本寛氏のオタクバッシング

「ええ歳こいてアニメ観てるような人間は障害者……いや、豚だ、虫けらだ」とアニメ監督・演出家の山本寛氏。

山本寛氏は「アニメがオタクに蹂躙される」だなんて言っている。大げさだな。オタクにそんな力ないよ。だって、オタクは人間ですらない虫けらでなんでしょ? 虫けらは非力ですから。

オタクのせいでアニメが発展しない? 単に製作側の力不足を『オタクのせい』にしているだけでは。

そう、オタクを嫌悪する人の中に、自分自身も『オタク要素』がある人(いわゆる作家・クリエイター)がいたりする。
例えば――「引きこもりオタクがエロ漫画をダメにしている」と言う『夢をかなえるゾウ』の著者・水野敬也氏など――製作側の力不足を受け手のオタクのせいにしたがる人がね。※それについてはこちらの記事をどうぞ↓

こういったオタクバッシングって……単に、オタクが作品批判しているのがウザい、不愉快ってだけの話では?

自分の感覚が正しく、オタクは間違いだ、オタクに正しい批評などできるはずない、と思っているみたいだね。

なんかね、オタク気質を持つプロのクリエイターが、受け手であるアマチュアのオタクを叩くのを見ていると、痛い。同族嫌悪なのだろうか……。
クリエイター自身も相当な劣等感を抱えていそう。

世間一般からも嫌われ気味のオタク。
そのオタクを叩くことで「自分はあいつらとは違うんだ」と言いたいのかもな。

結局は、世間一般の皆さんに認められたいがために、世間一般の皆さんが嫌うものを一緒に叩こうとしているようにも見える。

そう、世間が下に位置づけたものを、一緒になって叩き、自分は上なのだと示す。ま、一種のイジメだね。

炎上芸人・山本寛

ところで、この山本寛氏の「オタクは人間ですらない虫けら」発言はエキセントリックでちょっと病んでいる感じがする。

そう、山本寛氏はよく問題発言をして炎上させることで有名らしい。わざとやっているのか、誰かにかまってほしいのか、注目を浴びたいのか。

2018年5月には、エヴァンゲリオン残酷な天使のテーゼ』の作詞家・及川眠子氏を「クソバ婦人」「バカ」と罵倒。

山本寛氏みたいな人を『いきりオタク』というのかも。オタクもそれぞれだ。

そんな山本寛氏はツイッターでも「だからオタクはキモい。いつもキモい」「もう本当にキモい。同じ生き物とは思いたくない」「俺の夢は人類殲滅かもしれないなあ。意外とマジで」と発言。※問題発言がいろいろあったのだろう、当時のツイッターは凍結を食らったようだ。

またブログでも「先の大戦で日本をぶっ壊したのは増長した日本人全員。アニメをぶっ壊すのも増長したオタク達。この国は一度完全に滅びないと治らない」 と言っているようで……。

イケハヤ氏が会社員をディスるように、山本寛氏はオタクをディスる。ここまでいくと趣味のようなものかもしれない。

ま、ワシが山本寛氏の存在を知ったのは、こういった炎上で取り上げられていたからなんだよな。アニメからは遠ざかっているし、山本寛氏の作品は全く知らなかった。

「オタクのせいでアニメがダメになる」と被害者意識満載の山本寛監督だけど、ネットでパトロン募って、オリジナル新作アニメを制作しているみたい。オタク関係なく、自分がやりたいように作品を制作できる環境にいながら、なぜオタクを敵視しているんだろう?

そもそもオタク受けアニメではなく、一般人に受けるアニメを作ればいいだけの話。それこそ『君の名は。』のようにね。あるいはジブリのように。

ところで監督の『薄暮』を読んだけどつまらなかった。ドラマ性もなく予定調和、退屈。ま、『君の名は。』もさほど共感しなかったので、ワシの感性がずれているのかもしれないが。いや、実は最近のジブリも全く面白くない……。

世間から見るオタクのイメージ

オタクの生き方

アニメオタクがダメなら、漫画オタク、アイドルオタク、鉄道オタクなども同様なのか?
いろんなオタクがいるわけだけど……アニメオタクと、それらのオタクと何が違うんだろう?

いい歳したアニメオタクも、アイドルオタクも、韓流スターに夢中になるおばさんも、みんな同じだとしたら、その人たちも『虫けら』なんでしょうねえ~。

この手の話題が出てくるたびにいつも思う。
オタクに対しての罵詈雑言は許され、外国人や民族、女性への罵詈雑言となると許されないのは何でだろう?

「本人の努力で変えることができないから」というのがその理由だとしたら、本人の努力で変えられるものに対しての差別、罵詈雑言は許されるということになり――
『いじめられるほうが悪い論』が通ってしまう。

自分たちが気に入らない者を、一歩間違えれば「それ差別発言ですよ」というようなことを平気で言ってくる輩、けっこういるよなあ。

もうさあ、オタクはとことん嫌われ者でいこうぜ♪
いじめや差別が大好きな『えげつない世間さま』に承認されても仕方ないじゃん。

ここで、なるほどツイートを紹介。
https://twitter.com/takasuka_toki/status/916571826301497344より。

人から認められる為には ①仕事をするか、②カッコよくなったり美しくなったりして性的にチヤホヤされるか、③創作物を作るしかなくて、これが無い人に「文句ばっかり言ってないでもっと建設的な事でもしろよ」というのは非常に厳しいんだよな。だってこの3つとも、持たざる者には不可能だもん。

仕事、容姿、創作物の3つ以外で承認を得る方法は残念ながら今のところ皆無に等しいので、安定した精神状態、そこそこ清潔感ある容姿、そこそこの知的能力、構想能力のどれかが無い人はいきなり人生ハードモードになる。上のうち複数を持ってたとしても、楽勝モードではないけど(ノーマル位かな)

承認欲求をこじらせるよりも自己完結。これしかない。パンチラ、大好き♪

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オタクが嫌われる理由

オタクがなぜ嫌われ、気持ち悪がられ、社会の害悪視され、下手すりゃサイコパス扱いされるのか、考えてみた。

ちなみにこの場合のオタクとは、二次元キャラやアイドルに入れ込むオタクに限らず、何か一つのことに入れ込んでしまう人=こだわってしまう人=バランスが悪く偏っている人と定義しておく。

そう、『バランスがいいとされる義理人情の文系人間』に較べ――
わずらわしい人間関係を嫌い、自分の興味あることに入れ込んでしまう理系オタクは『情がうすい』と見なされる。

自分とは合わない世界の人と関係を結ぶのは苦痛だし、そんなことにエネルギーを使いたくない。

場の空気を読んだり、コミュニケーションを上手くとったりして、人間関係を築くのが苦手・下手。

場の空気が読めないということは、不特定多数の一般の人たちと共感する、といったことも少ないかもしれない。

まさにワシも、この『オタク気質』だ。どうしても普通の人と馴染めず、普通の人が興味持つことに興味が持てず、自分がどこかおかしいことを自覚している。

この『普通の人たちと共感することが少ない』ため、『サイコパス扱い=害悪視されてしまう』ことにつながっていくのだろう。

※特に理系オタクの場合、サイコパス扱いされやすいのは、漫画や映画などでマッドサイエンティスト=狂った科学者・博士がよく描かれていた影響もある?

普通の人にとっては、こういったオタクは理解不能な生き物であり、「気持ち悪い」と思うのは仕方ないことかもしれない。

オタクは並々ならぬ集中力がある代わりに、バランスが悪く、偏りがある。
こだわり性・アスぺ・発達障害的気質とオタク気質ってリンクしているのではないだろうか。

オタクと発達障害

そんなオタクは二つに分かれる気がする。成功者となる天才的オタクと、成功者になれなかったオタク。

天才はひとつのことに突出した才能・能力を見せる代わりに、どこか偏っていて、バランス悪いことが多い。きっと脳のつくりがそうなっているんだろう。だからアスぺ・発達障害でも、社会の成功者となる例がある。

ワシの独断であるが――「オタクと発達障害はつながっているのでは」と推測している。

「ここからがアスぺ・発達障害だ」という線引きは難しい。幅広いグレーゾーンがあるのだろう。「場の空気が読めない」といったアスぺ・発達障害の気質が少しだけある人から、完全に「これは異常だ、障害だ」といえる人まで。

が、現実には成功者になれるオタク・アスぺ・発達障害者は少ない。ごくごく一部だ。

大半は、ある程度の突出した特別な能力はあるものの、それがビジネスにつながったり、社会の役に立つところまではいかず、バランスの悪さ・コミュニケーション能力の低さが災いし、人間関係でつまずき、弾かれ、落ちこぼれていくのかもしれない。人からも哂われ、バカにされ、社会不適合者の烙印を押され、仕事も上手くいかず、社会のお荷物となってしまう。

母となる女性にとっても、発達障害児を産んでしまうことは恐怖だろう。

なにしろ、障害者としては中途半端。公の手厚い支援は受けられない。障害者認定もされにくい。(自閉症、知的障害気味であれば、認定されやすいだろうけれど)

中途半端な軽い発達障害者は普通に就職することも厳しい。就職できたとしても周りと上手くやっていけず、退職に追い込まれるだろう。
周囲の人たちからバカにされ、イジメられ、見下されるので、自信など持てるはずもなく、外に出ることも怖くなり、引きこもるしかなくなる。そうなると自立もできない。

発達障害は精神を患うリスクも高い。
殺人など重犯罪事件があった時「加害者は発達障害だった」なんていうこともよく聞いたりする。

今では「発達障害」という言葉を知らない人はいない。
遺伝的なものがあることも知られていくはずだ。

※ハヤシの親族に『医師から診断を受けた発達障害』がいる。そしてハヤシも発達障害の気質=バランスの悪さがあると自覚しておる。

そんな発達障害と似たところがあるオタク。こだわり性で、一つのことに能力を発揮する代わりに、ちょっと偏ったところがあるオタクが、一般女性から嫌われ、気持ち悪がられるのは仕方ない。

オタクが非モテであるのは、当然かもしれない。社会の成功者となる率は低く、社会の嫌われ者・お荷物扱いされる可能性が大なのだから。

そしてバランスが偏っている=脳のつくりが偏っていることは、一般の人たちから見れば警戒心を抱かせてしまうのかも。最悪、サイコパス的な犯罪を起こしかねないと。(例えば、あの『宮崎勤』のように)

皆の嫌われ者、それがオタク

人間が本能的に蛇を嫌うように、一般の人は『オタク』が気持ち悪くて仕方ないのかもしれない。

以下、一部転載。

しつけや教育によってヘビへの気持ち悪さがなくなるのなら、これでなんの問題もありません。しかし困ったことに、ヘビへの嫌悪感は遺伝子に埋め込まれたプログラムなので、どれほど教育されても気持ち悪い感じは消えません。

ところがヘビの権利を擁護する社会ではその嫌悪感は口にしてはならないと抑圧され、さもなくば「差別主義者」のレッテルを貼られて社会的に葬り去られてしまうのです。

「ヘビ差別」をなくそうとする教育的努力は、必然的に個人の内面に介入します。子どもたちは「ヘビを差別することは道徳的に許されない」と教えられますが、ヘビを見ると気持ち悪さを抑えることができません。この矛盾を解消しようとすれば、自分を「不道徳」な存在として断罪するか、「ヘビを差別する自分は正しい」と開き直るか、どちらかしかありません。

好き嫌いという感覚的なものはどうしようもない。嫌いなものを好きにはなれない。他者を平等に扱える聖人は少ない。

となると――人間、『見下している相手・嫌いな相手』とは距離を置くのが一番。やっぱ、もう棲み分けしかない。できるだけ近づかないことだ。

それでも一般の皆さんの目の前に『オタク』が現れることもあろう。その場合、できるだけスルーしてくれ。もちろん、ちょろっと目の前を通る(目に入る)かもしれないが、そこは許してほしい。
「目障りだ、消えろ、この世からいなくなれ」となると、根はナチスヒトラーと変わらない。まあ、山本寛氏から見ればオタクはもはや人間ではなく『虫けら』なので、「オタクは殺されても仕方ない」と思われているかもしれないが。

なので、オタクなハヤシも世間(普通の一般の人たち)とは距離を置き、つきあい方を考えないといけないよなあ、と反省している。

『オタクは認められてきた』などという甘い考えを捨て、嫌われ者であることを自覚しよう。ワシも認識を改める。生きていてごめんなさいね~。

最後異に、こんなツイートを見つけたので紹介しておこう。やっぱオタクやコミュ障は嫌われ者。たとえプロの漫画家になれたとしてもね。
https://twitter.com/mi_na_no/status/827468584129409024より

漫画や小説読んでると時々なんとなく、書き手のリア充度が察せられるときがありますよね。ウェイ系パリピである必要はないけど、リア充の作者さんの漫画や小説の方が好きです。リアリティというかビリーバビリティ(それらしさ)が違う気がします。痛キモいハイテンションの腐女子の人とか正直苦手です。

https://twitter.com/mi_na_no/status/827464565365436416より

セラムン武内直子先生から漂う圧倒的キラキラリア充感と、神風怪盗ジャンヌ種村有菜さんから漂う圧倒的痛ヲタク感の差な…。宝石商のお嬢様で都内の薬学部時代の愛車はポルシェでアナスイ大好きな夫は冨樫な美人と、中高時代はクラスに馴染めず保健室登校で漫画描いてたコミュ障陰キャの差ですかね…。

 

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