高知地元民アンチイケハヤの告発☆田舎VS都会☆イケダハヤト氏がすすめる地方移住
追記その3(2019年2月7日)
たしかに最近のイケハヤ氏に違和感。
追記その2(2018年11月7日)
下記にて、イケハヤ氏に疑問を持つ記事を紹介したが、イケハヤ氏の救われた若者がいるのも事実。それも紹介しておこう。
世間の価値観に合わず生き辛い人、イケハヤ指南に救われることもあれば、さらに転落することもある。万能の人生指南はない。
ただ、イケハヤ氏のやり方・生き方指南に疑問を持つアンチの活動はそれはそれで意義があると思う。大学や会社を辞めるのも田舎へ移住するのもブロガーやフリーランスになるのも考えさせてくれるという点で。
追記その1(2018年8月21日・10月2日)
高知地元民のイケハヤ氏に対する違和感
イケハヤ氏に苦言を呈する高知を知っている方・高知地元民・元地元民の方の記事を見つけた。
ということで――地元民の中にもイケハヤ氏を嫌う人はけっこういるよう?
私がお邪魔したのは、ご夫妻が嶺北に移住したばかりの頃だったので、こんなに荒んでいませんでした。
— ゆき (@CrimsonSepia) August 20, 2018
畑も手入れされており、立派なお野菜をお土産にもらって帰りました。
なので、その後色んな方々やご本人が動画や写真を上げる度に驚きましたよ。どうしてそうなってしまったのかと。
イケダハヤト氏は注目を浴びるためか、ネット上ではわざと嫌われるような、心に刺さる言葉を使って敵を作り、煽ってきた。でもそれは田舎で暮らすには向かないやり方かもしれない。
イケハヤ書生への違和感
これについてはワシも――芸大はじめ芸術系学校生徒・出身者を見下すようになった界隈の一部若者に疑問を持っている。
いや、本物の芸術家(音大バカにしたヴァイオリニスト五嶋龍氏みたいな)から見下されるなら納得だけど、作品は素人臭く、子どもの工作の域を出てないように思う。
イケハヤ界隈にいる画家を名乗っている人も『技術』を否定し、やはり芸大はじめ美術に関わっている人を見下すような発言をしていたっけ。
理論や技術なく感性や情熱だけで乗り切れるほど芸術は甘くない。もち学校いかなくても基礎・技術は学べるが、それさえも否定しているようだから。彼らにしてみれば『基礎・技術=古い価値観』であり「古い価値観に縛られていては新しいものは生まれない」としたいのだろうが、本当は理論や基礎や技術を学ぶのが面倒くさくて嫌なのだろう。
芸術はけっこう論理的で科学的だ。というか、理論・技術・基礎の上にはじめて感性・感覚がくる。『理論・技術・基礎』と『感性・感覚・創造力』は対立するものではない。芸術にはどちらも必要だ。
あの小室哲哉もかつてこんなことを言っていた。
『音楽の全ては理屈で説明できる。理屈(理論)で説明しようとしない限り、疑問は生まれない。疑問のないところに進歩はない。これは音楽だけではなく、あらゆることに当てはまる。
生理的に嫌い、なんとなく好き、など感覚でしか言えないのは思考拒否である。
なぜ嫌いなのか、なぜ好きなのか、を分析をし、感覚的なことを理屈で説明することが、自分を知るひとつの道筋にもなり、進歩となる。
疑問を持たないこと=鵜呑みにすることであり、疑問を持つこと=分析をし、自分で考え、答えを探すこと、自分の歯で噛み砕くことである。
感性の正体とは、自分の歯で噛み砕く力である』
感覚ってあやふやなものだから、きちんと理屈で論理的に説明できたほうが、表現を深めることにつながるのかもしれない。
……っと話をもとに戻そう。
もうひとつ気になったのが――マダムゆき氏の記事にあった「(イケハヤ氏の)奥さんに対する態度が高圧的で亭主関白」との箇所。もし本当だとしたら、やはり残念。愛妻家であるはずのイケハヤ氏のネットでの発言とはかけ離れているから。もちろん夫婦間のことは当人にしか分からないが。
いや、ワシは幸せ溢れるイケハヤ家庭を信じたいぞ。
↓この記事にて、軒並いる恋愛戦士たち(藤沢数希氏および恋愛工学生、紀州ドンファン、リアルナンパアカデミー塾長、はあちゅうさん+しみけん氏)を差し置き、イケハヤ氏をトップに位置付けてしまったのだから。ということで追記はここまで。
以下本文。
まずは『農ガール、農ライフ』(垣谷美雨)の紹介。
※内容【派遣ギリに遭った日、32歳の水沢久美子は同棲相手から突然別れを切り出された。仕事と彼氏と家を失った久美子は、偶然目にした「農業女子特集」というTV番組に釘付けになった。自力で耕した畑から採れた作物で生きる同世代の輝く笑顔。さっそく田舎に引っ越し農業大学校に入学、野菜作りのノウハウを習得した久美子は、希望に満ちた農村ライフが待っていると信じていたのだが】
コメディ調でけっこう笑える部分もあり、サクサク読めた。
最後のほうは上手く行き過ぎる感はあったが。
農業のことが、サクッと分かる。
ただ、これはフィクションだから成功しハッピーエンドとなったけど、実際、学校で習った程度の素人が農業で生活するのは厳しそう。
で、実際は農協が絡んできて、あまり自由もなさそう。『農ガール』にはそういった場面は出てこないけど。実際、この辺はどうなのだろう?
↓けど、上手くすれば、まだまだ成長産業かもしれないね。
ということで、希望を胸に田舎に移住する主人公の試行錯誤が描かれている『農ガール・農ライフ』――この本を読んでイケダハヤト氏のことが頭に思い浮かんだ。
そこで今回はイケダハヤト氏が勧める地方移住について語ってみよう。
目次じゃ!
都会VS田舎
田舎のほうが消耗しそう
若い時は老いた時のことをあまり想像できないだろうが――
体力なくなると、やっぱ東京(というか便利な街)がいいと思う。
近くに病院・歯科医があって、学校があって、食料品や生活用品が買えるいろんな店があって、競争原理が働く街。
自動車がなくても不便がない。
歩いて行ける範囲内に病院や店がある。
都会だとバスもわりと頻繁に回っている。タクシーも拾える。
で、東京の場合、ゴミ出しも面倒がない。(たとえば横浜は分別が大変)
もちろん無料。自治体によっては有料なところもあるだろう。
ワシの場合、図書館も必要だよなあ。
田舎のほうだと、歩いて行ける範囲内に店はない、病院はない、などなど不便そう。図書館もないかも。
(地方都市はそこまでじゃないだろうけれど)
若い頃はワシも田舎暮らしにあこがれたこともあるけど、実際に住むとなると、相当な覚悟がいるだろう。
家族全員が病院など無縁な健康体で、体力がないと無理。
で、店が少なく、競争が働かなければ、物価もそう安くはならない気もするのだが。
そう、安いのは家賃だけだ。(ま、これが大きいんだろうけれど)
町内会を脱退するなど許されないだろう。
つうか、脱退したら生活できない?
村八分になったら終わり。
息苦しそうな閉じられた共同体。
そういった人間関係が、わずらわしく感じる人は合わないかも。
都会よりも、田舎のほうが消耗する可能性もあるよな。
結局は、合うか合わないかだ。
都会の便利な暮らしに慣れている人は覚悟しないと、田舎への移住は難しい。
若い時は不便でも体が利くからいいけど、老いたら厳しい。
近くに食品・生活用品が帰るお店がそろっているか、病院や歯医者があるか。
そしてストレスなく通える範囲内に大規模病院(さまざまな科がそろっている総合病院)があるか、交通の便はどうか。
で、その地方の財政状態が厳しいと、住民サービスも悪い。
ゴミの収集システム、図書館などの施設の有無などにも関わる。
場所にもよるだろうけど、不便を楽しむことができるかどうか、だよな。
老いたら、楽しむどころではない。
ま、体が利く若いうちなら、田舎暮らしの経験もいいものかも?
あと、寂しがりやさんも。田舎の濃い人間関係は、わずらわしい反面、癒しになるかも?
ちなみにワシは便利で快適な暮らしを求める都会派だが、それはあくまでも生活するのに便利だからであって、おしゃれ・華やかさはまるで求めていない。
田舎や過疎地で生活するデメリット
一番の問題点はコミュニティの数だ。
生活していく場に、直にアクセスできるコミュニティが一つしかない、というのはリスク高い。
イケダハヤト氏が提唱する地方・過疎地移住――人をたくさん呼び込み、多数のコミュニティが成立する環境が整えられたら、あるいは各地に散らばっているコミュニティにリアルでも簡単にアクセスできる環境が整えられたら、クリアできそうだが――まあ、これは相当に難度が高そうだ。
選択できるものが少ない。それが田舎の欠点、デメリット。
例えば、ワシはピアノをやっているのだが――
都会にはたくさんピアノの先生がいる。習う側が選べる。
ピアノの先生たちに競争原理が働く。サービスもよくなる。
これはもう病院も、学校も、趣味の場も、あらゆるものがそうだろう。
気楽に通える範囲内にそれらがあまりないとしたら、やっぱり不便。遠くまで通うのは消耗する。
ワシも地方での生活経験があるから分かるのだけど――
ピアノの先生も少なく、場合によっては通える範囲内に一人しかいない、なんてこともあったりする。
んで、そういった先生は、殿様商売だったりするんだよなあ。
ヴァイオリンとなると本当にいないよなあ。
選択肢が限られてしまうことも、田舎・過疎地のデメリット。
選択肢をたくさん提供できるのが、都会のメリットだ。
これはけっこう大きな問題だろう。
人の少ない田舎・過疎地での生活は『ひとつのコミュニティに依存せざるを得ない状況』を作り出す。
が、それはイケダハヤト氏が否定してきたことではないのか?
ひとつの共同体にしか居場所がないのは、とてもリスクが高い生き方だ。イケダ氏が見下す『ひとつの会社に依存する生き方』と変わりがない気がする。
家族(学校に通うようになる子ども)を持つと、そう簡単に引越しすることもできず、住居を移すことは難しくなる。
やはりどう考えても、田舎暮らしも都会と変わりなく消耗する。
メリットもデメリットもそれぞれにあるだろう。
そして『コミュニティのリスク分散』という暮らし方は、都会に分がある気がする。
共同体の中の生活ってきついぜ。逃げ場がないから。
人間関係が濃い分、いざこざも起きやすい。
その問題をどうするのか――だよな。
けど生きていくって試行錯誤の連続。
イケダ氏についていく若者もそういったリスクは覚悟の上で活動をしているのだろう。
そもそも「ついていく」という考えは危険かも。
イケダ氏もそういった関係は望んでいないだろう。それって『イケダ氏が見下している社畜』と同じようなことになるし。
と、何だかイケダ氏に対する疑問を語っている感じになってしまったが――
実は『おもしろそうなこと』『世の価値観をひっくり返しそうなこと』『でかいこと』をしてくれそうなイケダハヤト氏に注目をしている。
おそらく……イケダ氏だって、コミュニティを作るとしても昔からある田舎の古い体質の共同体とは違うものにしたいだろう。
で、イケダ氏のような人が増えれば、地方も変わっていくかも。『同調圧力・監視社会』『息苦しい』『古い』というイメージも覆されていくだろう。
そこでイケダ氏の生活が垣間見れる記事を紹介しておこう。
↓田舎で幸せそうな暮らしを営むイケダ氏の姿が垣間見える。
町内会を脱退した話
つい何年か前まで、うちの町内会で防災訓練があった。
毎年、梅雨明けの猛暑が一番厳しい時期に。日陰のない学校のグラウンドで。
驚くなかれ。火事が起きた時にどうするかってことで、バケツリレーするんだぜ。この時代に。
ああ、これが『竹やり訓練』というやつか。
猛暑の中、ワシは遠い目をして、戦中の日本を思った。
災害で家事になったら、バケツリレーするよりも、逃げたほうがいいのでは? と思うことは許されないのだ。
バケツリレーするより、消防車がきたほうがいいよなあ……。
※ちなみに消火器を使う訓練もする。だったら、なおのこと、バケツリレーはいらないだろ。
そう、ここは根性と無駄なことにエネルギーをかけることが大好きな日本国なのだ。(いや、ワシのいた地域が特殊だったのかもしれないが)
で、訓練の後、なぜか、熱々の豚汁が出てくる。
猛暑の中の豚汁。
やはり、根性を鍛えようとしているのか。
災害には根性で立ち向かえと。
消防士のおじさんも、こんな訓練に付き合せられて大変だね。
豚汁作るオバさんたちも大変だ。暑いのに。
が、参加者にはお年寄りもいる。
さすがにお年寄りには梅雨明けの猛暑はキツイ。
なので消防士のオジサンたちは「体がキツイ人は木陰で休んでいてくださいね」と言うので、結構な人が木陰で休み、訓練に参加せず……という感じ。
そりゃあ、熱中症で倒れられたら困るしの。
そんなアホみたいな訓練じゃった。
それが毎年あった。
参加したくなかったけど……町内会の圧力で、参加しなくてはいけない雰囲気だった。
こんなところに税金、無駄なエネルギー使っているのか、この自治体は。
なので、毎年こんなのやっていられん、税金の無駄遣い、ということで電話で自治体に抗議した。
そして町内会を脱退した。
※脱会した理由は、「お宅、参加しなかったでしょ」と言われたこと。「いやいや参加しましたよ」というようなやりとりがあり――参加しないとそうやって圧力をかけ、監視しているような雰囲気がイヤだったからと、さすがに失礼だと思ったから。わりと大勢、参加していたから、単にワシの姿が見なかっただけのことだろう。
なので、今はとても快適。
何に使われているか分からん町内会費も払わなくて済むし。
んで、町内会を脱退して何か不都合なことがあるかと言ったら、全くない。
町内会って何のためにあるんだ???
けれど地方では、そんな勝手は許されない、同調圧力があり、不都合な面がでてくるのかもしれないね。都会だからできだのだ。
で、そんな無駄な訓練を終えた後、参加者に懐中電灯がプレゼントされた。
これも税金で買ったんだろう。業者にとっては商売になっただろう。けど、要らない人も多かったのでは。
ちなみにこれは東日本大震災後の話。日本中が『絆祭り』に沸いていた頃だ。
なので――某SNSでこの無駄な災害訓練のことでぼやいたら『絆大好き人間』からお叱りを受けたっけ。
こういう情緒的な人が精神論が大好きで、壮大な無駄を作り出すんだろうな。
バケツリレーも、もしかしたら昔を懐かしむお年寄りの郷愁のために行われたのかも。
無駄な慣習――こういうことが日本のいろんなところで行われているのだろう。
せっかくの休日、こんな無駄なことに参加したくないんだけど、同調圧力かけてきて、参加せよとこっちのエネルギーを奪いにくる。
で、この無駄があるからこそ、ごくごく一部に儲けている人もいるんだろう。大量の懐中電灯は自治体が買ってくれたわけで、その業者は大儲け。
ここで藤沢数希氏のツイートを紹介しよう。
みんな、そろそろ気づいたほうがいいんだよね。少子化対策とか教育改革とか、あとはギャンブル依存症対策みたなのもそうだけど、誰も問題を解決しようとは思ってないのよ。まあ、思ってたらアホ。それを口実にいかに税金を自分たちの懐に入れるかというゲームなんよ。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2017年8月26日
……やれやれ。
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