これも何かの縁

ピアノとマンガの道を歩んできたハヤシのエッセイ・イラスト・物語集

マンガ裏話・漫画貧乏☆「はじめの一歩」異変?☆漫画界の未来

厳しい出版業界――漫画家と契約の話。漫画原稿料や印税の話、編集者との関係、漫画界の未来予測について語る。

目次じゃ!

 

安く遣われている漫画家

原稿料だけでは赤字の漫画家稼業

まずは漫画家を目指すなら知っておいた方がいい佐藤秀峰氏の記事を紹介。

佐藤秀峰氏の『漫画貧乏』も必見の書じゃ。 

漫画貧乏

漫画貧乏

 

『漫画貧乏』を読んで、原稿料と印税の定義について考えさせられた。
佐藤氏の言うとおり。「原稿料で食べていけなくても、印税で稼げばいい」という考えはたしかにおかしい。原稿料と印税は別だ。

連載をしている場合、原稿料だけでは赤字。どうしたってスタッフ・アシスタント代=人件費で大方、とんでいってしまう。

作画作業代として、スタッフを雇わないとやっていけない漫画家に対し、あまりに低い原稿料。「その赤字は印税で賄え」というのはおかしいのだ。単行本にならない=印税が出ない漫画家もいるわけだし。

出版社側の根底に「好きなことやっているんだから安くても文句は言うな」「タダでもいいから雑誌に掲載されたい人が多いんだから、原稿料をもらえるだけありがたく思え」という漫画家への見下しもあるんだろうな。

売れっ子はごくわずか。貧乏漫画家がほとんど。平均的な漫画家の収入(厳密にいえば人件費など経費を差し引いた所得)は、コンビニのバイトか、それ以下となる。
もしかして同人誌やっている人のほうが儲けているのでは、といった感じ。

いくら人気を取っても、掲載誌が廃刊になれば、路頭に迷うのは漫画家とスタッフ=アシスタントだけ。

一方、正社員の編集者は仕事を失うこともなく、大手出版社の場合、給料もそのまんま。平均給与年収1600万円。入社5年目で1000万円超えるという。(あくまで大手)

いや、実はワシも「載せていただけるだけで、ありがたい」という気持ちだった。こういう性格の人は漫画を仕事にするには向かない。趣味で行くほうがいいと思う。

要は『漫画を描いてどうしたいのか』だ。
それを仕事として生活していきたいのか、それともお小遣い稼ぎ程度でいいのか、発表さえできればいいのか。
今はネットがあるので、発表の機会は本当にいろいろとある。

リスクを理解した上で、その道に進むのかどうかを考えた方がいいということで、この『漫画貧乏』を漫画家志望者にぜひぜひおすすめしたい。
これは漫画家になるリスクを理解するための必見の書だ。

そして、そんな漫画出版の世界を変えたいと言う佐藤氏。既得権益層との戦いといった感じだな。
今後も佐藤氏の活動に注目していきたいと思っている。

ハヤシが漫画連載した時の話

ワシはかつて週刊少年サンデーで漫画を連載したことがあるのじゃが、当時の原稿料は1枚1万円だった。大手出版社の新人への原稿料はそれくらいだと聞いた。小さいところだと5000円とか。なので1枚1万円はかなりいいほうだった。

この新人への原稿料、もしかして今もあまり変わってないのでは。

週刊連載の場合、ざっくり計算すると、20枚が4週で、月額80万円の収入。一見、良さそうに見える。
事実、実情を知らない周囲から「わあ、たくさんもらえるんだね」と言われた。ワシもそう思った。

が、アシスタント代という人件費(交通費や食費も漫画家側が出すのが一般的だった)でふっとぶ。
つまり経費を差し引いた本当の収入=所得はかなり安くなる。コンビニのバイト以下と言われる所以だ。

それでも当時はまだ、漫画全般、絵が今ほど緻密でなかったし、ワシの場合、アシスタントを2人から3人で回した。

けど、安定的に週刊連載をこなすのであれば4人必要。報酬もそれなりでないと、アシのなり手はいない。絵を描くという特殊技能のいる仕事だしね。

で、原稿料は源泉徴収されるので、それを取り返すのに、確定申告をするわけだが――
新人漫画家だと「週刊連載しながら、そんな事務処理なんてできない」ていう人のほうが大半だろうな。

ええ、それでもケチなワシは、確定申告をし「税金として差し引かれてしまったお金」はちゃんと取り戻しましたぞ。

ザックリ計算しよう。1話の原稿料を20万と仮定し、週刊連載で年50話とすれば、年1000万円だ。そこから源泉で1割差し引かれるので、約100万円、国に持っていかれている。印税も同様。
これを取り返すのが、確定申告だ。

漫画家は原稿料のみでは生活ができないほどの赤字を抱えるのだから、新人漫画家の場合、単行本が出ていない状態だろうし、ほとんど取り戻せる。

これをやらないと住民税や健康保険料などにも、はね返ってくるので、やったほうがいい。
けど、週刊連載しながらなんて……厳しいよね。

で、契約をする、仕事を受注する、ということについてもよくよく考えた方がいい。
ワシの若き頃はまるでそんなこと頭になく、むしろ、そんなことを考えるのは不純だという空気があったが。

コスパを考え、リスクを理解することは本当に大事だと思う。そういった計算高さを嫌うのが、今までの日本人だったけどね。

そう、佐藤氏は漫画家側の権利を主張してくれているのだ。

今まであまりに漫画家側に権利がなかった気がする。
それなのに世間は莫大な報酬を手にする一部の売れっ子漫画家のイメージで見る。
なので、佐藤氏のことも「そんなに金が欲しいのか」と批判するのだろう。

著作権、二次使用料のことも、漫画家側はあまりに無頓着だったかも……。
『漫画貧乏』はそんなことを考えさせてくれる本だ。

※このへんは漫画家・ヤマザキマリ氏も言及していたっけ。出版社任せにしては、漫画家が得られるはずだった報酬が得られなくなる。業界は「コミックが売れれば印税が手に入るんだからそれでいいじゃないか」という目で見るけれど。

原作使用料・編集部に任せられない?

佐藤秀峰氏のインタビュー記事を紹介しよう。

以下、一部転載。

『特攻の島』連載にあたって、佐藤氏は芳文社としっかり執筆契約を結んだという。本人も「他にはこんな漫画家いないですね」と話す通り、出版業界では執筆にあたって書面をかわす慣習がない。

出版社と作家が書面で契約を結ばず、口約束だけでまかり通っていたなんて、普通は考えられない仕事形態だ。

つまり、漫画家の地位はそれだけ低い、ということかもしれない。「先生」と呼ばれるけどね。
出版社からは、対等な仕事相手と見なされていない場合が多い気がする。
契約を結ばなくても、仕事が成立してしまう、一般常識でみれば、かなりおかしい業界である。

で、漫画家のほうも新人としてデビューする時、「雑誌に載せてもらえるだけでありがたい」と考えてしまう。「載せてもらえるのなら、お金なんてどうでもいい」と。
編集部との力関係は、漫画家側が大ヒットを飛ばさない限り、弱い。

小説家・ライトノベル作家も相当厳しい世界。兼業で別の仕事をしながら書いている作家さんもけっこういるようだし……『作家で生活する』というのは、ヒットを飛ばさない限り、立場も弱く、かなり大変。

大ヒットした『海猿』の原作使用料について佐藤氏はこう言っていた。

テレビの場合、原作使用料は1クールのドラマで200万円くらいです。ほかの原作者さんもだいたい100~200万円くらい。映画も200万円ちょっとでした。これが多いか少ないかは人によって受け取り方が違うでしょうけど、僕はすごく少ないと思ってます。

邦画ナンバーワンで70億のヒットと言われても原作者の僕には200万円ちょっと。どんなに興行収入が上がっても固定。“それはおかしいだろう”と思ったので、契約を小学館海猿は同社のヤングサンデーで連載)に任せず自分で交渉しました。

結果として映画の3作目からは10倍以上にアップしました。桁が一つ上がったんです。

映画の2作目までは『映画化の話まとめてきたよ。これにハンコ押して』って(小学館から)契約書が届く感じでした。出版社としては、すみやかに契約を結ばせたいというのがあるんだと思います。変に揉めたら自分たちにお金が入ってこなくなりますから。彼らは別に僕がいくらもらっても関係ないんですよね(笑)。だからそんなに作家側にたって交渉してくれるわけじゃない。

以前は映画で『海猿』のグッズなどが作られても、まったく僕には権利料が入ってこなかったんですよ。それも交渉してお金が入ってくるようになりました。

作家さんは出版社より立場が弱いですから、十分な権利料がもらえなくても『その代わり本をいっぱい売るから!』と言われたら、なかなかそれ以上の主張ができないんです。でも、言ったら変わりますね。言わなきゃ変わらないってだけです。“作家が黙ってるからそのまま黙ってやっちゃおう”で済ましてしまう部分が、出版社にはありますね。

作家側に立った交渉――出版社の編集部および担当編集者は、できれば面倒なことはやりたくないだろう。というか、それは自分たちの仕事じゃないから「やらないのは当然」である。
やっても、やらなくても、編集さんの報酬は変わらないのだから。

だが『コルク』のような作家をマネージメントする会社が活躍すれば、こういったことも変わっていくのではないだろうか。

※『コルク』は元講談社の漫画編集者・佐渡島庸平氏が起ち上げた作家のエージェント会社。作家と契約を結び、作品が売れることで、その分、報酬も得るというスタイルをとっている。社長でもあり編集者でもある佐渡島氏は、作品を売るためにあらゆる努力をし、漫画家の収入も増えるようなビジネスを展開しているという。

漫画家・曾田正人氏もこのように発言していた。

古今漫画の世界は編集者がいわばノーギャラで担当漫画家のマネージメントとプロモーションをやっている訳ですが、その形態が今でもよく理解できないのです。

それは漫画家にとっては有難すぎる反面、タダでやってもらっているのだから、例えば彼の関心や所属部署が移ったりしてそれが行われなくなった、もしくは質量が減じた場合にもこちらは何も言えない(言う”理”が無い)。

佐渡島氏の独立は予想外で、僕はフツーに雑誌で描くつもりだったから今の自分の仕事環境はそれこそ偶然かもしれない。しかし『プレイヤー』が『マネージメント』とある種冷徹な契約関係にある事はプレイヤーからすると物を言いやすくはあると思った。

漫画家や小説家など作家は『プレイヤー』で、編集者の仕事は『マネージメントとプロモーション』ということになるが、本来、それは編集者の仕事ではないので、編集部側としても片手間にならざるをえないのだろう。

漫画界の未来

漫画離れ

そういえばワシは今、ほとんど漫画雑誌を読んでない。昔、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『遊幽白書』などの作品がそろっていたジャンプ最盛期は発売日の月曜日が待ち遠しかったのに――趣味としての漫画を読むことからは距離を置いてしまった。

まあ、歳のせいもあるかもしれないけど、読むのが面倒。
いつ終わるのか分からない、あまり話が進まない連載を追いかけるのが面倒。
長期連載のコミックスは巻数があり場所をとるので困る、かといって長い連載ものをネットで読むのも面倒。

とにかく面倒、この一点に尽きる。

その点、小説はたいてい1冊で話が完結する。長くても上下巻。シリーズものだとしても、前作を知らなくてもいいようになっている。

※いつ終わるのか分からない巻数がいってしまっている長編ラノベは漫画同様、あまり読まない。

商業誌で漫画連載を経験したことがあるワシであるが、漫画界のことを知らず、デビュー当時『作者が物語を終わらせることができる』と思っていたのだ。

いや、人気がなくて途中で打ち切りになるのはまだ分かる。けど人気が続く限り終わることができないなんて、これは想像もしなかった。

スーパージャンプ『御令嬢金崎麗子』連載時、最後のほうネタが完全に切れ、潮時かと思い、「終わりにしたい」と担当編集者に言ったら、「それを決めるのは編集部であり、作者には決める権限はない」と言われたことにびっくりしたっけ。

その以前にも、ネタが尽き「もう終わりにしたい」とぼやいたら、「次は仕事ないからね」と別の編集者に言われたことがあった。

もちろん、その逆もある。ヤングチャンピオンスカイプレイ』ではまだまだ話が中途なのに、人気が取れないので終わざるを得なかった。

『音吉君のピアノ物語』が一番終わるべきところで終わらせてもらったし、自分の好きなように描かせてもらえた。おそらく作品のことを考えてくれた副編集長に運よく当たったことが大きかったと思う。(当時、少年サンデー副編集長が推してくれていたらしい。漫画最盛期であり、余裕があった時代なのだろう)

とにかく『人気』で全てが決まる。ストーリーの内容も人気が取れるように合わせていくし、場合によってはストーリーの流れも編集部側が決めることもある。クライアントである編集部の注文を受けるのが漫画家の仕事だ。このことが自分には分かっていなかった。

作者側に終わらせる権限が全くないとは――マンガ業界、ちょっと自分には合わないかもしれない、と思ってしまった。

尻切れトンボ、または、終わるべきところで終わらないダラダラ続く漫画に、仕事どころか趣味としてもついていけなくなってしまった。
物語を楽しみたきゃ映画、小説、テレビドラマがある。

けれど映画の場合、2時間、その時間を束縛されるのが嫌である。テレビドラマも1話45~50分ほどの束縛にストレスを感じることもある。録画を録り、早送りで観たりしているが――自分のペースで楽しめるところまでいかない。

で、結局、物語好きな自分の中では『小説』が残った。
小説なら、ざざーっとななめ読みもできるし、自分のペースで楽しめる。
趣味は読書なんてありきたりだけど、一番ストレスがない。

ただ、これだけは思う。
物語を完結させる責任をプロの作家に与えないコミック編集部のやり方には違和感を持つ。物語を完結させるという最低限の責任を作家から奪うのはよくないよな。

異変?少年マガジン連載『はじめの一歩』

そういえば、少年マガジン連載の『はじめの一歩』(森川ジョージ)の展開、主人公の一歩君がパンチドランカーになってしまったとかで、大変なことになっているらしいね。

昔『はじめの一歩』のファンだった。けれどいつまでたってもライバル・宮田君との試合はなく、物語を追いかけるのが面倒になり、やっぱり読まなくなってしまった。
結局、宮田君と闘わずに終わるのか?

あまりに長編過ぎる「はじめの一歩」。作者の森川氏、疲れているんじゃないのかなあ。

そこで――富樫義博氏の「幽遊白書」をやめた理由を吐露した記事を紹介。

当時の富樫氏の言葉、一部転載。

幽遊白書の キャラクターを壊していくか、読者があきるまで同じことをくり返すかしか残っていませんでした。キャラを壊す試みはジャンプでは当然 ボツになりました。同じことをくり返すに耐え得る体力も気力ももうありません。そこで常々思っていたことを実行しました。「もしジャンプで長期連載ができたら自分の意思で作品を終わらせよう」

「キャラクターを壊していく」というところに、今回の『はじめの一歩』と重なってしまった。(長期間キャラとつきあっていると、作家はたまにそういうことをしてみたくなるものじゃ)

ただ、富樫氏の場合、キャラクターを壊そうとしても担当編集者からボツをもらってしまったわけで、当然、森川ジョージ氏の担当も『パンチドランカーになった一歩が復活しないままにボクシングをやめる』という結末にOKするはずがない。

そこで、ここからは想像だけど、一歩君はパンチドランカーになっていないのでは。パンチドランカーに似た症状の治療可能な病気になっただけでは。

だいたい、パンチドランカーになっている一歩君を会長が見逃すはずがない。そしてボクシングを続けさせるはずがない。(会長は以前に一度、パンチドランカーを疑い、一歩に検査させ、その時はシロという判断をしていたようだ)

で、治療中、彼女未満の看護師・久美さんと愛を育み(もしや、このために久美さんが看護師という設定だったのでは)、完治して復活。やはり宮田君と対決してラストを飾ってほしいよな。

いやあ、ほんと森川氏も連載、大変そうだよなあ。

というか編集部は漫画家に無理させ過ぎるのでは。無理させればいい仕事をすると時代錯誤的な勘違いを未だ持っていたりして。

そもそも、この漫画業界、週刊連載が当たり前になっていることが異常だ。

「プロなんだから」という呪いの言葉で、編集者は「自分が担当の間だけもってくれればいい」ということで漫画家に無理をさせる。漫画家も「自分はプロなんだから」と無理することが当たり前となり、その疲労は蓄積されていく。まさに一歩君のパンチドランカー状態。

その後、少年マガジンの『はじめの一歩』をチェックしてみたけど、一歩君、もうボクシングやめて久美子さんと一緒になって幸せに暮らしてもいいんじゃないかな。というか純愛という尊い奇跡を手に入れている時点で一歩君、勝ち組の中の勝ち組。

そうそう、純愛といえば『君の名は』の瀧君と三葉ちゃんを思い浮かべる人、多いかもしれないけど、一歩君と久美子さんも負けてない。というか一歩君と久美子さんカップルのほうがいいよなあ~♪ 愛が育まれた時間の長さの違いかもしれないが~。

部数大幅減の少年コミック誌

少年コミック誌、電子のほうへ移行しているにしても、ずいぶん発行部数が落ちたんだな。

(2017年7~9月)

週刊少年ジャンプ 184万1千部

週刊少年マガジン 88万4千部

週刊少年サンデー 31万1千部

最盛期の数を知っているだけに驚いている。

今、無料で読める漫画も多いし、いろんな要因があるんだろうけれど、出版社・編集部が漫画家や作品を本当の意味で大事にしてこなかったことも一因かも。漫画家を目指す人も減ったという話も聞くし。

今はネットで作品発表できるし、同じフリーランサーならば、コストがほとんどかからないプロブロガー、アフェリエイターとして収入を得ることを考えたほうがいいかも。

実質、バイト以下となる漫画の原稿料の報酬を考えると、稼ぎ方はいろいろありそう。

大手出版社・編集部の力はまだまだ強いけど、徐々にその既得権は弱まっていくかも?

追記(2018年10月17日)その後の少年コミック誌の発行部数

(2018年1~3月)

週刊少年ジャンプ 176万部

週刊少年マガジン 81万5千部

週刊少年サンデー 29万8千部

(2018年4~6月)

週刊少年ジャンプ 175万部

週刊少年マガジン 79万2千部

週刊少年サンデー 30万1千部

これからの漫画家・出版社との関わり方

「これからの作家は出版社からの自立を考えたほうがいい」「少なくとも出版社を通してというのは、仕事の手段のひとつくらいにして、出版社への依存度を減らした方がいい」ということで目に留まったツイート・記事紹介しよう。

イケハヤ氏のお言葉「出版社の無能なサラリーマンたちを養う義理はない。印税率8%とか舐めてんの?って感じw」「著者を舐めた殿様商売」――おおお~さすが~強気じゃの~。

いやあ『原稿料では赤字』の漫画家は印税で食っていくしかないわけで、その「印税が8~10%」というのは過酷。単行本も出してくれない出版社・編集部もけっこうあるし。ほんと一部の大ヒットした作家しかやっていけない世界だ。

小説家なんて書き下ろしだと印税のみしか入ってこない。生活なんてしていけない。だから兼業も多い。

「売れるようにがんばれ」「ヒット作を出せばいい」というのはその通りだけど、一方で大手出版社の編集者は売れない作家の担当をしていても高給取り。

作家って一部をのぞいて、ほんと立場が弱い。

週刊少年ジャンプ元編集長・鳥嶋和彦氏の有名な「売れたものだけが作品で、売れないものはゴミ」発言――確かにその通りだけど、ゴミを採用した編集者の責任はあまり問われないようだ。

ならば出版社を通さずに、ネットで自分の作品を発表して売り、広告料もとって稼ぐ方法を考えたほうがいいかも。

作家自身は自分の作品をゴミだとは思っていない。でも編集者はゴミだと思っている。そんな出版社・編集部側と組んで仕事しても上手くいくことは少ないかも。

出版社の力が弱まり、相対的に作家が自由になれる時代がやってくる。編集者=クライアントの奴隷にならずに済む手段が増えていく? もちろん全ての作家がうまくいくわけじゃないけれど、作家にとってはとてもいいことだ。

少なくとも「ゴミだ」と思われながら、出版社に依存して作品創りするよりは、健康的だ。

もちろん厳しいことには変わらないけれどさ……。

※ほか、ハヤシのマンガ話はこちらにて。

※四季折々の日本文化をネタにした短編連作小説「これも何かの縁」目次はこちら↓